特別展覧会 開館110年記念「美のかけはし」-名品が語る京博の歴史-
2006年7月15日から8月27日
京都国立博物館
京都国立博物館 の自慢名品ばかり並べた展覧会でした。それほど混雑もしていませんでしたし、とても楽しめました。東京から来たかいがあった。
【第一章 諸行無常 東山の光と影】
後白河法皇像 1幅 鎌倉時代 14世紀 京都・神護寺(寄託品);
国宝 文覚四十五箇条起請文 1巻 平安時代後期 元暦二年(1185) 京都・神護寺(寄託品)
国宝 白描絵料紙金光明経巻第三(目無経) 一巻 鎌倉時代 建久三年(1192) 京都国立博物館;
後白河法皇関連が先ず3点並ぶ。昼間、鞍馬寺霊宝殿「百の義経展」でディジタル画像処理で修正した後白河法皇像を見たばかり。そこに本物がでてきて吃驚。なお、京博のとなりの妙法院にも重文 後白河法皇像があるようだ。
さらに次に、文覚四十五箇条起請文には、後白河法皇の朱色の手印が押されています。大天狗ではなく、梁塵秘抄を編纂した謡に凝った天皇だと「百の義経展」という話を振り返ると、この手印の品のよさもさもありなん。
文覚(1129-1203)とはというと、Wikipediaによれば「俗名は遠藤盛遠(えんどうもりとお)で、元は摂津国渡辺党の武士であり、鳥羽天皇の皇女統子内親王(上西門院)に仕えていた北面の武士。従兄弟で同僚の渡辺渡(わたなべわたる)の妻、袈裟御前に横恋慕し、誤って殺してしまったことから出家したという。荒廃しきっていた神護寺を再興するため後白河天皇に強訴したため、渡辺党の棟梁の摂津源氏の源頼政の知行国であった伊豆国に配流された。そこで同じく配流の身だった源頼朝に平家打倒の挙兵を促す。」などとあった。そのときの有名な起請文ということになる。
白描絵料紙金光明経巻第三(目無経)は、下絵のある料紙を用いて写経されている。この物語絵巻は後白河法皇のもとで制作されていたもので、『理趣経』巻末の奥書によると、法皇は晩年にある女性と物語絵を作っていたが、その途中で崩御されたので、残された人びとは、下絵までできていた絵巻の制作を中断し、その紙に経典を書写することにしたという。故人ゆかりの紙に経典を書写することが供養になると考えられていたからである。、『金光明経』4巻と『理趣経』1巻のうち完存するのは京都国立博物館蔵の『金光明経』巻第三と東京・大東急記念文庫蔵の『理趣経』(国宝)の2巻だけで、巻第二と巻第四が断簡となって残っている。(e国宝から)確かに料紙に目無しの人物などが描かれています。大東急記念文庫のものをこんど拝見したいものです。
国宝 土佐日記 藤原為家筆 1帖 鎌倉時代 嘉禎二年(1236)大阪青山短期大学(寄託品);土佐日記の写本。流麗な書体まで写したのでしょうか?
公家列影図 1巻 鎌倉時代 13世紀 京都国立博物館;平氏の面々が描かれています。
【第二章 大仏出現 秀吉の夢の跡】
昨日の徳川美術館天下人たちの時代 -信長・秀吉・家康-に引き続き秀吉の展示です。京博が秀吉を取り上げているのは、もともと京博(の一部の敷地)は、方広寺の敷地だったということによる。功名が辻4巻を読んでおいてよかった。
重文 豊臣秀吉像 玄圃霊三・惟杏永哲賛 1幅 桃山時代 慶長五年(1600) 滋賀・西教寺(寄託品);徳川美術館では、原本 一宮市妙興寺蔵を桜井清香模写(1936)を拝見しましたが、こちらは当時のもの。
重文 日月蒔絵硯箱 1合 桃山時代 16世紀 京都・仁和寺(寄託品);日月という意匠は天皇を敬うものとは。なるほど。
重文 桐矢襖文胴服 豊臣秀吉所用 1領 桃山時代 16世紀 京都国立博物館;秀吉の派手さがよくわかります。
重文 豊臣棄丸坐像 1躯 桃山時代 16世紀 京都・隣華院(寄託品)
重文 小形武具 豊臣棄丸所用 1具のうち 桃山時代 16世紀 京都・妙心寺(寄託品)
松竹鶴亀菊文童具足 1領、蓬莱文童具足 1領、金箔押兜 1頭
「功名が辻」の原作4巻を最近読んだばかりです。秀吉の話が随所に挿話されていて、棄丸の話も知りました。それにしても、こんな豪華絢爛な武具も他にはないでしょう。
素文透柄鏡・菊桐紋蒔絵柄鏡箱 1具 京都・妙法院(寄託品)
素文透柄鏡 1面 インドネシア・東ジャワ時代 14~15世紀
菊桐紋蒔絵柄鏡箱 1合 桃山時代 16世紀
豊公遺宝図略 2冊 江戸時代 天保三年(1832) 京都国立博物館
「豊公遺宝図略」(真静編 呉景文・岡本豊彦画 天保3年(1832)刊2冊。豊臣秀吉の遺宝の図集。兜、鎧、太刀掛、表袴、王冠、茶道具などが載っている。)と遺宝「真珠付純金団扇」を徳川美術館で拝見したばかり。京博では、同じく「豊公遺宝図略」から素文透柄鏡・菊桐紋蒔絵柄鏡箱(京都・妙法院(寄託品))を拝見したことになります。
梵鐘銘拓本 1巻のうち一点 江戸時代 19世紀 京都国立博物館
問題の方広寺の梵鐘銘拓本。「国家安康」「君臣豊楽」
方広寺大仏殿諸建物并三十三間堂建地割図 大工頭中井家建築指図のうち 1巻 江戸時代 17世紀 埼玉・中井正知(京都市歴史資料館寄託)
京都大仏雛形 1躯 江戸時代 17世紀 東京国立博物館
方広寺大仏殿瓦 3点のうち2点 江戸時代 17~18世紀 京都国立博物館 巴紋軒丸瓦 1点、桐紋軒丸瓦 1点
奈良の大仏より大きな大仏殿があったとは想像しがたいです。奈良の大仏は8世紀から鎮座しているとは、これはすごいことなのですね。
豊国祭礼図屏風 すでにこちらに記事を書いた。
【第三章 京博誕生 文化財保護の原点】
旧帝国京都博物館建築資料 1括のうち 明治時代 明治二十八年(1895)京都国立博物館 毘首羯磨(びしゅかつま) 、伎芸天、菊花紋章
本館入館の際、空を見上げながら、何気なく破風に目がいって立派だなと思った。中に入って建築資料として展示されていて、偶然に吃驚。毘首羯磨(びしゅかつま) 、伎芸天だそうだ。作者は、東京美術学校(現東京芸術大学)教授の竹内久一と伝承。
柳橋水車図屏風 6曲1双 桃山時代 17世紀 京都国立博物館
先般小さな柳橋水車図屏風を大倉集古館で拝見しましたが、こちらは、立派な6曲1双でした。
【第四章 魅せる 名品との出会い】
ここのコーナに国宝がずらっと並びます。
国宝 龍智像 真言七祖像のうち 7幅のうち1幅 平安時代前期 弘仁十二年(821)京都・東寺(寄託品); 真言七祖像は、空海の請来目録にある五祖師像に2つの祖師像を追加したもの。五祖師像は、唐画の遺品中でも名高い。今回の龍智像は、仏画の平安初期に稀な作品。伝空海による筆がある。
国宝 釈迦如来像 1幅 平安時代後期 12世紀 京都・神護寺(寄託品);画像・解説はこちら
国宝 釈迦金棺出現図 1幅 平安時代中期 11世紀 京都国立博物館;状態はよくないですが、構図といい、素晴らしい。
「釈迦が金棺に身を横たえたとき、天上からはせ参じたものの間に合わなかった母のため、神通力を用いて復活説法する場面を描いている。奇跡に立ち会った会衆の驚喜の感情が、巧みな筆線と求心的構図によって見事に活写されている。典拠は『摩訶摩耶経(まかまやきょう)』。この主題を単独画面として描いたものは本作品だけであり、平安仏画の大画面の遺品としてもたいへん貴重である。様式史的にみて11世紀後半から末頃の制作であろう。本作品はもと京都の天台宗長法寺にあり、江戸時代には「涅槃図」と呼ばれていた。その後、松永記念館の所有をへて国に寄贈された。」(e国宝)
国宝 孔雀明王像 1幅 中国・北宋時代 11世紀 京都・仁和寺(寄託品);東博にも国宝の孔雀明王像があるようだ。拝見したいもの。画像は展覧会の説明に。
国宝 源頼朝像・平重盛像 2幅 鎌倉時代 13世紀 京都・神護寺(寄託品); 4月に東博の国宝室で伝藤原光能像も拝見しているので三幅とも拝見したことになります。
国宝 山水図 李唐筆 2幅 中国・南宋時代 12世紀 京都・高桐院(寄託品);隠し落款で李唐作となったそうです。李唐の解説と、画像はこちら
国宝 瓢鮎図 大岳周崇ほか賛 如拙筆 1幅 室町時代 15世紀 京都・退蔵院(寄託品);第四代将軍の足利義持による問答の絵。鮎魚(ねんぎょ。本来、『鮎』は鯰を意味する)竹竿(ちっかん)に上(のぼ)る」(苦労して成功するという意味)「いわんや瓢をや」ということです。高僧の賛がいっぱいです。画像・解説はこちら
【第五章 蒐める 収蔵品の成り立ち】
【守屋コレクション】
重文 一字蓮台法華経 如来神力品第二十一 1巻 平安時代中期~後期 11~12世紀 京都国立博物館; 最澄と天台の国宝で、国宝 一字蓮台法華経 9巻のうち 巻第3 平安時代・11世紀 福島・龍興寺蔵を拝見しています。画像・解説はこちら
【上野コレクション】
集王書大唐三蔵聖教序(宋拓) 1帖 中国・唐時代 咸亨三年(672)建碑 京都国立博物館;画像・解説はこちら(文化遺産オンライン)
陶淵明・飲酒二十首 文徴明筆 1巻 中国・明時代 嘉靖三十三年(1554) 京都国立博物館;文徴明の書って素晴らしいです。画像はこちら文徴明(ぶんちようめい:1470~1559)が東晋の詩人、陶淵明(とうえんめい)の「飲酒二十首」を絹本(けんぽ
ん)に書写したもの。巻末に「甲寅七月朔書、時年八十有五、徴明」とあり、徴明が官を退いて郷里の蘇州で自適していた晩年の作であることがわかる。円熟した典型的な行書体を示す優品である。
【購入と管理替】
国宝 芦手絵和漢朗詠抄 2巻のうち1巻 平安時代後期 永暦元年(1160)京都国立博物館;画像・解説はこちら(京博)
国宝 山越阿弥陀図 1幅 鎌倉時代 13世紀 京都国立博物館;画像・解説はこちら(京博)
重文 遠浦帰帆図 伝牧谿筆 1幅 中国・南宋時代 13世紀 京都国立博物館;画像・解説はこちら(京博)
鸞天目(鼈盞) 吉州窯 1口 中国・南宋時代 12世紀 京都国立博物館;前田家伝来。画像・解説はこちら(京博)
国宝 太刀 銘則国 1口 鎌倉時代 12~13世紀 京都国立博物館;刀剣には、余り興味がないのですが、この銘則国は細身で美しかった。画像・解説はこちら(文化遺産オンライン)
堀江物語絵巻 岩佐又兵衛筆 1巻 江戸時代 17世紀 京都国立博物館;大絵巻展では、よく拝見しなかったのですが、今回はしっかり拝見。
【第六章 護る みやこの宝蔵】
国宝 絵因果経 1巻 奈良時代 8世紀 京都・上品蓮台寺(寄託品);Wikipediaによれば、奈良時代の作例としては東京芸術大学本(国宝)、京都・上品蓮台寺本(国宝)、京都・醍醐寺本(国宝)、東京・出光美術館本(重文)などがある。画像・解説はこちら(京博)。東京芸術大学本は、東京美術倶楽部 創立100周年記念「大いなる遺産 美の伝統展」で、東京・出光美術館本は、開館40周年記念 出光美術館名品展Iにて拝見したばかり。
阿弥陀二十五菩薩来迎図 1幅 鎌倉時代 13~14世紀 京都・知恩院(寄託品); 画像・解説はこちら(京博)
重文 方丈記 1巻 鎌倉時代 13世紀 京都・大福光寺(寄託品); きちんとした字です。
【第七章 甦る 文化財の総合病院】
中巌円月坐像 1躯 南北朝時代 14世紀 京都・霊源院(寄託品)
毘沙門天立像(中巌円月像内納入) 1躯 鎌倉時代 13世紀
重文 聖一国師像 自賛 1幅 鎌倉時代 弘安二年(1279) 京都・万寿寺(寄託品)
信長公記 太田牛一筆 15冊のうち1冊 江戸時代 17世紀 京都・建勲神社(寄託品)
(11日)
2006年7月15日から8月27日
京都国立博物館
京都国立博物館 の自慢名品ばかり並べた展覧会でした。それほど混雑もしていませんでしたし、とても楽しめました。東京から来たかいがあった。
【第一章 諸行無常 東山の光と影】
後白河法皇関連が先ず3点並ぶ。昼間、鞍馬寺霊宝殿「百の義経展」でディジタル画像処理で修正した後白河法皇像を見たばかり。そこに本物がでてきて吃驚。なお、京博のとなりの妙法院にも重文 後白河法皇像があるようだ。
さらに次に、文覚四十五箇条起請文には、後白河法皇の朱色の手印が押されています。大天狗ではなく、梁塵秘抄を編纂した謡に凝った天皇だと「百の義経展」という話を振り返ると、この手印の品のよさもさもありなん。
文覚(1129-1203)とはというと、Wikipediaによれば「俗名は遠藤盛遠(えんどうもりとお)で、元は摂津国渡辺党の武士であり、鳥羽天皇の皇女統子内親王(上西門院)に仕えていた北面の武士。従兄弟で同僚の渡辺渡(わたなべわたる)の妻、袈裟御前に横恋慕し、誤って殺してしまったことから出家したという。荒廃しきっていた神護寺を再興するため後白河天皇に強訴したため、渡辺党の棟梁の摂津源氏の源頼政の知行国であった伊豆国に配流された。そこで同じく配流の身だった源頼朝に平家打倒の挙兵を促す。」などとあった。そのときの有名な起請文ということになる。
白描絵料紙金光明経巻第三(目無経)は、下絵のある料紙を用いて写経されている。この物語絵巻は後白河法皇のもとで制作されていたもので、『理趣経』巻末の奥書によると、法皇は晩年にある女性と物語絵を作っていたが、その途中で崩御されたので、残された人びとは、下絵までできていた絵巻の制作を中断し、その紙に経典を書写することにしたという。故人ゆかりの紙に経典を書写することが供養になると考えられていたからである。、『金光明経』4巻と『理趣経』1巻のうち完存するのは京都国立博物館蔵の『金光明経』巻第三と東京・大東急記念文庫蔵の『理趣経』(国宝)の2巻だけで、巻第二と巻第四が断簡となって残っている。(e国宝から)確かに料紙に目無しの人物などが描かれています。大東急記念文庫のものをこんど拝見したいものです。
【第二章 大仏出現 秀吉の夢の跡】
昨日の徳川美術館天下人たちの時代 -信長・秀吉・家康-に引き続き秀吉の展示です。京博が秀吉を取り上げているのは、もともと京博(の一部の敷地)は、方広寺の敷地だったということによる。功名が辻4巻を読んでおいてよかった。
松竹鶴亀菊文童具足 1領、蓬莱文童具足 1領、金箔押兜 1頭
「功名が辻」の原作4巻を最近読んだばかりです。秀吉の話が随所に挿話されていて、棄丸の話も知りました。それにしても、こんな豪華絢爛な武具も他にはないでしょう。
素文透柄鏡 1面 インドネシア・東ジャワ時代 14~15世紀
菊桐紋蒔絵柄鏡箱 1合 桃山時代 16世紀
「豊公遺宝図略」(真静編 呉景文・岡本豊彦画 天保3年(1832)刊2冊。豊臣秀吉の遺宝の図集。兜、鎧、太刀掛、表袴、王冠、茶道具などが載っている。)と遺宝「真珠付純金団扇」を徳川美術館で拝見したばかり。京博では、同じく「豊公遺宝図略」から素文透柄鏡・菊桐紋蒔絵柄鏡箱(京都・妙法院(寄託品))を拝見したことになります。
問題の方広寺の梵鐘銘拓本。「国家安康」「君臣豊楽」
奈良の大仏より大きな大仏殿があったとは想像しがたいです。奈良の大仏は8世紀から鎮座しているとは、これはすごいことなのですね。
【第三章 京博誕生 文化財保護の原点】
本館入館の際、空を見上げながら、何気なく破風に目がいって立派だなと思った。中に入って建築資料として展示されていて、偶然に吃驚。毘首羯磨(びしゅかつま) 、伎芸天だそうだ。作者は、東京美術学校(現東京芸術大学)教授の竹内久一と伝承。
先般小さな柳橋水車図屏風を大倉集古館で拝見しましたが、こちらは、立派な6曲1双でした。
【第四章 魅せる 名品との出会い】
ここのコーナに国宝がずらっと並びます。
「釈迦が金棺に身を横たえたとき、天上からはせ参じたものの間に合わなかった母のため、神通力を用いて復活説法する場面を描いている。奇跡に立ち会った会衆の驚喜の感情が、巧みな筆線と求心的構図によって見事に活写されている。典拠は『摩訶摩耶経(まかまやきょう)』。この主題を単独画面として描いたものは本作品だけであり、平安仏画の大画面の遺品としてもたいへん貴重である。様式史的にみて11世紀後半から末頃の制作であろう。本作品はもと京都の天台宗長法寺にあり、江戸時代には「涅槃図」と呼ばれていた。その後、松永記念館の所有をへて国に寄贈された。」(e国宝)
【第五章 蒐める 収蔵品の成り立ち】
【守屋コレクション】
【上野コレクション】
ん)に書写したもの。巻末に「甲寅七月朔書、時年八十有五、徴明」とあり、徴明が官を退いて郷里の蘇州で自適していた晩年の作であることがわかる。円熟した典型的な行書体を示す優品である。
【購入と管理替】
【第六章 護る みやこの宝蔵】
【第七章 甦る 文化財の総合病院】
毘沙門天立像(中巌円月像内納入) 1躯 鎌倉時代 13世紀
(11日)
コメント&TBありがとうございました!
詳細なレポに、色々忘れてたものを思い出しました。まだまだ名品があるので、partIIをやってくれてもいいのになあ、とか思ったりしています(笑)
細見のリクエストにしろ京博の名品展にしろ、珠玉という言葉がふさわしいような展覧会でしたね。
私は今東京にいます。
巴水みてきますので、近々。