徒然なるまままに

展覧会の感想や旅先のことを書いてます。

開館40周年記念 出光美術館名品展I(前半)

2006-05-14 | 美術
開館40周年記念
出光美術館名品展I
受け継がれる伝統の美 -絵巻・室町屏風と中国陶磁
前期:2006年4月29日から5月23日
後期:2006年5月27日から6月18日

表記に行ってきました。前半、後半で中国陶磁を除いては、ほとんど入れ替えでした。要注意です。出品リストはこちら

最近見たばかりの書、素養の無い室町屏風と中国陶磁の展覧会の中で、あえて絞って、目に言ったものをリストします。特にといえば、伴大納言絵巻(上巻)と重文 漁釣図 徐祚筆、重文 四季花鳥図屏風 能阿弥筆の3点。

【仏画、経箱】
  • 重文 絵因果経(奈良時代)
  • 重文 金銅蓮唐草文透彫経箱(室町時代):美しい細工の透彫り経箱

    【朝鮮陶磁】
  • 重美 青磁象嵌柳唐子文浄瓶

    【絵巻物】
  • 国宝 伴大納言絵巻(上巻)(平安時代):応天門の火事の場面、烏帽子をかぶった逃げ惑う人々の場面です。表情が豊かです。10月7日から11月5日には全場面が公開予定。

    【書】
  • 国宝 古筆手鑑 見努世友:今回は主に大聖武、中聖武をはじめ歴代天皇の断簡が展示されていました。
  • 重文 継色紙 伝小野道風
  • 石山切 伊勢集断簡 伝藤原公任筆
  • 重文 倭漢朗詠抄 巻下 伝藤原行成筆:丁度巻末の部分を展示。
  • 重文 書状 藤原定家筆 一幅
    墨跡は、数点ありましたが、素養がないので。。。

    【茶道具】
  • 渡唐天神図 筆者不詳 賛/愚極礼才筆 一幅 宝徳元年(1449):賛が楷書と草書を混在させいい感じです。
  • 待花軒図 画/伝 周文筆 賛/大岳周崇筆 他八僧 一幅 室町時代 :伝周文の画はちょっとあまい?
  • 唐物肩衝茶入 銘 師匠坊
  • 重美 井戸茶碗 銘 奈良 朝鮮 朝鮮王朝時代 :黒田家伝来、褐色の朝鮮茶碗。
  • 重文 青磁下蕪花生(瓶) 郊壇官窯 中国 南宋時代
  • 祥瑞蜜柑水指 景徳鎮窯 中国 明時代末期

    【中国絵画】
  • 重文 漁釣図 徐祚筆 一幅 中国 南宋時代: 
  • 牛車渡渉図 筆者不詳 一幅 中国 南宋時代  
  • 牧牛図 毛倫筆 一幅 中国 元時代
    この3点、中国絵画で非常に暗い掛け軸で見逃してしまいそうですが、素晴らしい作品です。特に漁釣図。葦の葉が大きく繊細に描かれている向こうに、小さく丸く背を丸めて座り込んで魚を釣る人の姿。雰囲気がでています。

    【室町屏風】
  • 重文 四季花鳥図屏風 能阿弥筆 四曲一双 応仁3年(1469) :右の屏風に描かれた鳥の様、見事です。

    【中国陶磁・工芸】
  • 重美 饕餮文か 一対 中国 殷時代:根津美術館にもたくさん展示されていましたが、ごつごつした青銅器とその怪獣の装飾はいつみても可愛らしいです。
  • 重美 青磁袴腰香炉 龍泉窯 中国 南宋時代
  • 青花紅彩龍文瓶 景徳鎮窯 一対 中国 清「大清乾隆年製」銘
    景徳鎮窯がずらっと並びます。この1点は、時代があたらしいので、技術が進んだといってしまえばそれまでですし、もしかするとプリントかもしれませんが、全く対称の意匠の青花と紅彩龍(ピンク)、発色が素晴らしい。


    後半の見所は、古筆手鑑の断簡、牧谿、玉澗の重文でしょうか?
  • コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    日本絵画名品展 -信仰の美・世俗の美- 大和文華館

    2006-05-09 | 美術
    日本絵画名品展 -信仰の美・世俗の美- 大和文華館
    2006年4月1日から5月14日

    折角奈良まで足を運んだからと、大和文華館をはじめて訪れてみた。焼き物の展覧会でいくつかいい作品を見ていて気になっていた美術館。例えば、華麗なる伊万里、雅の京焼 で、「染付山水図大鉢」(1630~40年代)「色絵鴛鴦香合」(仁清 1合 17世紀)。国宝燕子花図 光琳 元禄の偉才 (根津美術館)で「錆絵山水図四方火入れ」(乾山作・光琳画)。

    案内には、国宝「松浦図屏風」と国宝「一字蓮台法華経」が出展されているという。後者が気になっていた。16日に天台宗開宗1200年記念 特別展 最澄と天台の国宝で、「国宝 一字蓮台法華経」(9巻のうち 巻第3 平安時代・11世紀 福島・龍興寺蔵)というのを拝見。同じ、国宝「一字蓮台法華経」が出展されるといえば、また、見たくなります。しかも、天台宗開宗1200年記念 特別展でのNHKの解説ビデオでは、大和文華館の「一字蓮台法華経」を紹介していたではないですか。

    そんなわけで、場所も定かではなく、どんな美術館なのか、他に何が出展されているかの情報もなく、はじめて大和文華館を訪れました。

    近鉄奈良からは難波行きに乗り250円。西大寺の2つ先の学園前駅で降ります。駅前で降りればどうにかなるかと思いきや、あまり親切な案内板は無いので、地図のついたちらしを駅の構内で再度探して、徒歩7分。それから、立派なお庭(文華苑)のエントランスを通り、美術館に到着です。

    まずは、信仰の美のパート。
  • 重文 佐竹本三十六歌仙断簡『小大君』。これ出光美術館での『歌仙の饗宴』で見そこねた作品。『歌仙の饗宴』では、他の佐竹本三十六歌仙断簡を見て、状態も悪くほとんど感動しなかったのですが、この『小大君』を見て考えが変りました。艶やかな十二単の発色も鮮やか。素晴らしいですね。

  • 「伊勢集断簡 石山切」。「石山切」は『本願寺本三十六人家集』(白河上皇への献上品とされる。1112年)のうちの『伊勢集』と『貫之集』下の二冊を、昭和四年に断簡したもの。石山本願寺の旧地に因んで名付けらた。「平安の仮名、鎌倉の仮名」で、出光美術館所蔵の「石山切」の三種類の色の料紙を見て、綺麗だなあと思っていたが、大和文華館の「石山切」は、色のついた料紙を貼り合わせての絵にしています。灰色の地に薄茶、藍、黄茶で里山を描き、さらに雲がたなびき、雁の一群が飛んでいます。


    この「小大君」「伊勢集断簡 石山切」2点は、ちらしには、来春開催の「茶の湯と美術」のところに載っていたので、見られないかと思っていたので、ラッキーでした。

  • 国宝「一字蓮台法華経 普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぱつぼん)」。見返し絵もきちんと展示されていますし、色の変った蓮台に一字一字が書かれています。料紙の上界、下界にも絵が描かれています。


    こちらは龍興寺の一字蓮台法華経(「最澄と天台の国宝」へのSRCリンク)

     龍興寺は、天海大僧正(てんかいだいそうじょう)が出家した天台宗の名刹(めいさつ)です。寺に伝わる一字蓮台法華経(いちじれんだいほけきょう)は、福島県内に3つしかない国宝の1つで、書き終えるまで280年を要したといわれています。龍興寺は、嘉祥元年(848)慈覚大師によって開山され、本尊を阿弥陀如来(あみだにょらい)とされています。建物の跡の土中から千体観音が掘り出され、寺内に奉安されていますが、この仏体の基礎供養として建立され、当時の人々の崇敬の深さと隆盛を極めた寺院であったと史実書籍等にも記されています。(会津美里町のHPから)
     新国宝第二号の指定を受けたこの一字蓮台法華経は、無量義経、観普堅経の開結二巻をともなう十巻の法華経であるが、第六巻が散逸している。料紙に銀界を引き、1行十七個の蓮台を、緑青、藍、淡黒、赤などの顔料をもって手書きし、一字づつ経文を墨書してあり、書風は端正かつ美麗の一語につきる。写経をもって現世に浄土を具現する祈りをこめたもので、平安後期の特色をもった和様の経文が調和し、その美しさは王朝時代を如実に物語っている。数百年の風雪にも耐えたものとは思われない墨痕は現代科学をもってしても模倣は難しいと言われている。書き終えるまで280年を要したという。(会津美里町のHPから)

     なお、京都国立博物館には、如来神力品・嘱累品が所蔵されており、龍興寺と一具のもの。(文化遺産オンライン 画像あり)

    この大和文華館所蔵の一字蓮台法華経は、WikiPediaによれば、もとは原三渓旧蔵とのこと。料紙も異なるので龍興寺のもとは異なるのでしょうか?
    金銀の砂子や切箔をまき、彩色を施した料紙には、贅が尽くされている。経文の文字を蓮台に乗せて金輪で囲むのは、文字そのものを仏身と見なす考えによる。経巻を荘厳(しょうごん)することで、篤信のほどを示そうとしたのであろう。法華経信仰と貴族社会の洗練された美意識が生み出した宗教美の結晶と言える。また、この経巻の見返には、吹抜屋台(ふきぬけやたい)の室内で法事を営む情景を描き、読経する僧らの表情まで巧みに表現している。平安時代の大和絵としても貴重な作品である。

  • 重文「山水図屏風 伝周文筆 六曲一双」(室町)。大作です。切り立った岩のような山谷は、中国の風景。


    周文は室町中期の画僧で、字を天章、号を越渓という。京都相国寺の禅僧で、画を如拙に習ったとされる。応永30年(1423)に画僧として幕府の使節に加わり朝鮮(李朝)に渡り、のちには幕府の御用絵師となっている。弟子に雪舟、墨渓、岳翁などがいる。室町水墨画の巨匠のひとりで、いわゆる応永詩画軸(主に山水図)や山水図屏風を中心に周文筆とされる伝称作品は多いが、誰もが真筆と認める作品は一点も現存しない。本図は、馬遠、夏圭らの中国南宋院体山水図に学んだ跡が顕著で、余白を生かした瀟洒な画風を示し、有力な伝周文画の一つである。各隻に「越渓周文」の朱文方印が捺されているが、後印である。

  • 重文「維摩居士像 文清筆 長禄元年(1457)存畊祖黙賛」

    本図は、几(き)に寄り、綸巾(かんきん)をかぶり、寛袖(かんしゅう)の長い杉(さん)をまとい、手に払子を持つ維摩居士の半身像が描かれている。図中に朱文方印「文清」が捺されている。文清は15世紀中頃に活躍した大徳寺ゆかりの水墨画家であり、山水図や頂相(ちんぞう)<禅僧の肖像画>に優れた作品を遺した。図上に禅僧存畊祖黙の賛があり、長禄元年(1457)の年記が見える。そして「荒川駿河守詮氏(するがのかみあきうじ)が老後を越中利(砺)波(となみ)郡で過ごし、その地に没した後、禅僧である子の善済(ぜんざい)が詮氏の遺言によってその屋敷を仏寺とし、室中にこの像を掲げて詮氏の姿に擬した」ことが知られる。

  • 重文「婦人像」
    信仰の美の最後は「婦人像」 慶長美人図とよばれていたが、桃山時代の作だそうで。

    白地に雲形、枝紅葉、貝、流水の模様のある華麗な小袖を着た垂髪の貴婦人が、上畳の上に正坐している。この小袖は「辻が花染」というしぼり染めを主に描絵、摺箔などの技法を合わせて装飾されたものである。手に持つ数珠は、本像が像主の死後に迫真の像として描かれたことを示すものである。ただ画面の四周が切りつめられ、画面上部にあったと思われる賛文が失われているので、能面のようなこの美貌の主も、その名を探索することは困難。おそらくしかるべき武将の奥方であったであろう。本図は画品が高く、しかも画技が秀でている上に、衣服の形状や模様も室町時代から桃山時代にかけての辻が花染盛期の特色を明示しているので、その頃に活躍した狩野派の名手の筆になったものと推定される。

    次に、世俗の美のパート。

  • 国宝「婦女遊楽図屏風(松浦屏風)」六曲一双 江戸前期 紙本金色著色。松浦家伝来。八人の婦女が描かれています。派手な着物を着ています。松浦の女性の顔立ちなのでしょうか、顔立ちに一寸特徴があります。

  • 重美 「阿国歌舞伎草紙」 絵2段(茶屋遊・念仏踊)詞書一段 桃山時代 紙本著色」紙本著色のためか、まだまだ絵具が状態がよく18.6cm x 27.7cmの小作品なのですが、人物の表情とかよく判り楽しめます。

  • 輪舞図屏風とか、不思議な絵です。算術の問題でしょうか。

  • 司馬江漢が3点あった。
    「美人図 蕭亭春重落款 1775年ごろ」。春信の急死の後に2世春信として売り出していた頃の作品でないかと。作品自体は、全く春信。司馬江漢もはじめは浮世絵師としてデビューしたらしい。
    「海浜漁夫図 寛政11年(1799年)絹本墨画淡彩」図柄が西洋漫画です。
    「七里ヶ浜図 絹本油彩」これは、西洋画かぶれの司馬江漢。空を青く塗るのは西洋画というのがよくわかる
    いろいろ試しています。

    そして、何と琳派の美

  • 「伊勢物語図色紙 伝俵屋宗達筆 六段芥川」 
  • 「伊勢物語図色紙 伝俵屋宗達筆 八十段衰えたる家いえ」 
    の2点。旧益田家旧蔵(36面のうち)。伊勢物語図色紙現在59面が発見されているという。
    共に色紙で小さな作品。でも紙本金色著色で豪華な色紙。

  • 重文 「中村内蔵助像 伝尾形光琳筆 元禄17年(1704年)中根元圭賛」 内蔵助の裃の細密な表現は、型紙でも使って染めたのでしょうか。

    中村内蔵助(なかむらくらのすけ)は京の銀座の役人を務めていた。算学者、中根元圭(なかねげんけい)の賛によって、この作品は36歳を迎えた内蔵助が、予め没後の号を定めた際に、尾形光琳に描かせたことがわかる。光琳と内蔵助は親密な関係にあった。内蔵助の娘を養育し、後に、その娘が光琳の息子と結婚することになる。最大の理解者である中村内蔵助のために、光琳が心を込めて描いた肖像画である。この作品には光琳特有の張りのある線描が駆使されている。全体の姿はピラミッド形にがっちりと構成され、強調された両膝がしっかりと支えている。単純化されながら、量感を失っていない。日本絵画史上を見渡しても類がないほどの強い造形性を備えた人体表現である。

    このほかに
    扇面貼交手筥<重文> 尾形光琳筆
    流水図広蓋 尾形光琳筆
    武蔵野墨田川図乱箱<重文> 尾形乾山筆 寛保3年(1743)
    が並んでいた。

    画像は大和文華館へのSRCリンクです。青字は同引用です。
  • コメント (2)
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    横山大観「夜桜」

    2006-05-07 | 美術
    桜さくらサクラ・2006展
    山種美術館
    2006年3月11日から5月7日

    山種美術館で「桜さくらサクラ・2006展」は先月鑑賞はしていたのですが、三の丸尚蔵館のあとに、大蔵集古館所蔵の横山大観「夜桜」を見に再度訪れました。

    作品自体は、六曲一双という大画面に夜空の群青、松に緑青は、篝火の朱と艶やかな色を背景に桜花が描かれる艶やかな世界。日本画と呼ぶにはあまりに華麗です。吉野の山間に西行庵を訪れ、「願わくば花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」という歌を思い出しながら戯れ歌など読んで、山間で月明かりでお花見すると風情があるのかなと想像していたところだったので、この屏風は全くその風景で吃驚です。眺めると月明かりにさらに篝火。お花見には、篝火とは想像していませんでした。篝火による夜桜って素晴らしいでしょうね。いまどき篝火の夜桜が鑑賞できるところなどあまり聞きません。古(いにしえ)の夜桜の幻想的な風景がうらやましい。

    この《夜桜》は、富田溪仙筆《祇園夜桜》(横山大観記念館蔵、大正11年日本美術院米国展覧会出展)から影響を受けているとしばしば指摘されるという。《祇園夜桜》は、京都祇園の枝垂れ桜が篝火の中から幻想的に浮かび上がる様子を描いているという。同じ円山公園の枝垂桜を描いた富田溪仙 《東山夜桜図》は、「大いなる遺産 美の伝統展」で鑑賞しましたが、来春のお花見のころに横山大観記念館を訪れてみましょうか。

    横山大観「夜桜」は、昭和4年に制作され「ローマ日本美術展」に出展された作品。その「ローマ日本美術展」という展覧会については、説明を読んでなるほどと感銘。1930年(昭和5年)4月26日から6月1日にイタリア・ローマのパラッツオ・ナッツィオナーレ・デッラ・エスポジッツィオーネ(Palazzo nazionale della Esposizione)で開催。大倉喜七郎が企画、全費用を負担。大倉がイタリア首相ムッソリー二に、大観が描いた《立葵》を寄贈したのを機に、ローマでの日本美術展開催が決定。戦前の事業家は考えることがスケールが大きいですね。実際の運営と出品作家の選択は横山大観に一任される。日本美術院の横山大観は《立葵》を含めて16件27点、帝国美術院の川合玉堂の10点、竹内栖鳳の5点など、168件204点が出品される。16万5千人が鑑賞。大盛況ですね。

    Takさんが探された解説によれば、この「ローマ日本美術展」は横山大観にとっては2回目のターニングポイントらしい。大観は、よく知られているように東京美術学校助教授に任じられるも、東京美術学校騒動の析に、岡倉天心とともに野に下る。このときの気持ちを描いた《屈原》(日本美術院第一回展 出品)(1898)(厳島神社蔵)は先般鑑賞したばかり。しかし昭和5年の「ローマ日本美術展」を契機に日本画界の主流に転じる。ローマ日本美術展以降の大観は、昭和6年の帝室技芸員就任、昭和11年の帝展松田改組への全面的協力、昭和12年の文化勲章受賞、帝国芸術院会員、昭和18年の日本美術報国会会長就任、昭和21年の文部省主催第一回日本美術展覧会第一部審査員など一転して官を代表する日本美術界の巨匠へ。このように在野の雄から華々しく官の中心的画家へと転じた。2か月の間にこの2点の作品を鑑賞したので、つい比較してしまうのですが《屈原》の方が感動的でした。

    岩城宏之氏がベートベンの交響曲を第一番から第九番まで連続を年末に指揮したときのドキュメンタリーをNHK教育テレビで先日放送していました。の中でいっていました。そのときに、岩城宏之氏がいっていました。正確には覚えていませんが、ベートベン自身が「第八番は傑作だが、一般人にはわからないだろう」といっていたと。そしてその通り、全然演奏されず、ちょっと大衆に迎合した第九番はいまでも皆に愛されていると。芸術家は、いつも時代の先端をいっています。

    (6日)
    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    花鳥-愛でる心、彩る技 <若冲を中心に>(第2期)

    2006-05-06 | 美術
    「花鳥-愛でる心、彩る技 <若冲を中心に>」(第2期)
    2006年4月29日~5月28日
    宮内庁三の丸尚蔵館

    --第1期はこちら --

    伊藤若冲「動植綵絵」。30点のうちの第2期目、今回は下記の6点。
    3 雪中鴛鴦図 宝暦9年(1759) 宝暦正卯仲春若冲居士製
    8 梅花皓月図
    15 梅花群鶴図
    16 棕櫚雄鶏図
    18 桃花小禽図
    29 菊花流水図

    若冲らしくない2点が気に入った。
  • 「雪中鴛鴦図」。右端の緻密な描写のおしどり。水に潜るもう一匹のおしどり。動きを表現したかったのだろうが、そこはとまったようで変。でもボロックを思わさせる雪の表現が凄い。斜めに横切る枝の構図も見事。
  • 「桃花小禽図」正面中央に樹の幹がドンと構え力強い画面。一面桃の花が咲く。青い二羽の小禽が春を訪れを謳う。この青の二羽がアクセントになって画面を引き締める。

    菊の花を裏返して流水に浮かべた「菊花流水図」、三羽の鶴を大きく描いた「梅花群鶴図」。棕櫚はちょっとルソーのようで気持ち悪い。若冲らしい作品なのでしょうが、私には、ちょっとです。5期まで見れば、イメージ変るでしょうか。

    このほかの展示品では、
  • 群鶴図屏風  六曲一双 17世紀
    金地に黒い鶴が群れる様子。先日も、根津美術館で「烏図」の屏風を拝見したときと同じで、コンクリートの建物で、現代的な感覚では見てもぴんとこない。あまりにも強すぎる。でも、お城では、映えるかもしれない。殿様がこの金地に黒の意匠の屏風を背後に家臣の拝謁を受ければ、力強く自分を見せることができそうだ。それとも控えの間において威嚇するとか。

    鶴の構図は、なかなかいい。右の屏風の鶴は数羽が列を作って群れる。左の屏風の鶴たちは、思い思いに虫を啄んでいる。近寄ってみれば、鶴の羽や足を細かく描写している。

  • 蓮池白鷺・藻魚・墨竹・墨梅図(「流書」) 狩野探幽 1巻 (17世紀)
    藻魚がよかった。太い筆描いた魚の地と細い筆のタッチの流麗さ。
  • コメント (1)
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    奈良、京博「大絵巻展」は混雑で散々

    2006-05-05 | 日記
    元興寺、杉岡華邨書道美術館、御霊神社(牡丹が咲き乱れていました)、十輪院と周り奈良を後に。大和文華館を経て、京都へ。

    京都国立博物館によって「大絵巻展」に入場するが、混雑がひどくほとんど何もみれず、「鳥獣戯画」はまったく見ることできずに退散。「鳥獣戯画」は一時間待ちというのは、本当に一時間待たないと、展示の前に列が塒(とぐろ)を巻いているので、全く見れません。前売り券をもって一通りみたい普通の美術ファンを無視したミーハー重視の京都国立博物館です。なぜ当日券をバンバン売ってしまうのでしょうか。儲け主義です。この件は、また書きます。

    というわけで、終わり悪ければすべて失敗ということで散々でした。奈良国立博物館に行けばよかった。
    コメント (1)
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    奈良

    2006-05-04 | 日記
    吉野の山を朝降りて、奈良へ。法華寺、平城宮跡(遺溝展示館、平城宮跡資料館、東院庭園など。大極殿は工事中で2010年完成。朱雀門は回れず)を見て回りました。奈良泊。
    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    吉野の奥千本にて

    2006-05-03 | 戯れ歌
    西行庵:奥千本に隠れる佇む庵。放浪の歌人西行が三年間幽居したという、山桜と紅葉の名所。近くに芭蕉句碑の立つ苔清水がある。


    散る花を 踏み分け登る 苔清水 一句浮かばぬ もう一杯

    見上げれば 花と望月 夢に見る 青葉繁れる 西行庵

    願わずも 身も凍えて すぐ死ぬる 花咲く深山で 月明かり待てば


    本歌「願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月の頃」(西行法師 山歌集(上、春歌)):
    この歌は、比叡山の雙林寺のホームページによれば、雙林寺にも西行堂があり、「晩年雙林寺で庵をむすび修行に明け暮れたことになっており、その庵前の桜のもとで詠まれたのではないかとも言われています。」また、雙林寺といえば、ご本尊の薬師如来天台宗開宗1200年記念 最澄と天台の国宝にて拝見しました。

    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    吉野

    2006-05-03 | 日記
    吉野の桜は散っていると思いましたが、吉野へ出かけました。朝、東京を出発し、新幹線、近鉄、ロープウェイを乗り継いで吉野到着。竹林院庭園群芳院、西行庵、苔清水、金峰神社、源義経隠塔、高城山展望台、吉野水分(みくまり)神社、(歌舞伎「義経千本桜」で有名な)花矢倉、吉水神社(ここでは後醍醐天皇の座所、源義経潜居の間、義経の鎧、静御前の着物などの宝物を鑑賞)、金峯山寺の蔵王堂と仁王門(共に国宝)、銅の鳥居などを見て回りました。桜はちらほらと咲いてはいましたが、山を桜で染めたのは四月中旬のことのようでした。吉野泊。
    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    プラド美術館展

    2006-05-01 | 美術
    プラド美術館展
    2006年3月25日から6月30日
    東京都美術館

    「あのティツィアーノからゴヤまで、プラド美術館屈指の81点の名画が一堂に並びます。中でも代表作《アモールと音楽にくつろぐヴィーナス(ヴィーナスとオルガン奏者)》を含むティツィアーノの4点、光と色彩の魔術師ベラスケスの5点、バロックの巨星ルーベンスの3点、そして美の革命家ゴヤの7点は本展のハイライトです。」という謳い文句。納得です。大満足。

    ティツィアーノの三点。
  • 《皇帝カール5世と猟犬》(1533):豪奢な衣装の描写に見とれてしまいます。
  • 《アモールと音楽にくつろぐヴィーナス(ヴィーナスとオルガン奏者)》(1555):今年はじめから期待していた作品。ベルリン絵画館でも同構図の作品を先月鑑賞。ベルリン絵画館の作品(1550-52)では、赤と茶をベースにした作品だが、プラドのこの作品は緑と赤の対比をベースとしていて。オルガン奏者の服も黒となっている。その結果、色彩がヴィヴィッドとなり、一瞬で見るものをひきつける。細部の刺繍などの色彩表現も煌びやかな雰囲気だ。図録によれば、プラド美術館所属の《音楽にくつろぐヴィーナス》(1547)を基に描かれた作品。
  • 《サロメ》(1555)
    図録によれば、洗礼者の首を果物に変えて描いた作品《果物皿をもつ若い女(ボモーナ)》(1553-54)がベルリン絵画館にあったようだ。記憶にない。残念。

    ヴェロネーゼ 《美徳と悪徳のあいだの若者》(1580-82):豊穣で明るい色彩と古典的な構図は、ルーブルのカナの婚礼を思い出します。

    ルーベンスの三点。
    《ニンフとサテュロス》(1635頃)   
    《ヒッポダメイア(デイダメイア)の略奪》 (1637頃)
    《フォルトゥーナ(運命)》(1636-38)
    いずれの作品もルーベンスらしい躍動感あふれる作品。1628年にルーベンスはマドリッドに派遣され、スペイン王室のティツィアーノの作品に触れる機会を得る。(1630年には再婚。)その成果が《ニンフとサテュロス》には見られるという。



    スペインの画家については知識が全くなかったので、たまたま藝大美術館の売店で見つけたエウヘーニオ・ドルース「プラド美術館の三時間」という案内記(チチェローネ)を読んでから本展を鑑賞しました。この「プラド美術館の三時間」はあまりに難解で教養を必要とする絵画論ですが、お薦め。

    ベラスケス
    古典主義とロマン主義の中間に位置するリアリズム。幾何学と叙情主義の中間に位置する客観性。とドルースはベラスケスを位置づけている。なるほどと納得。
    《道化ディエゴ・デ・アセド、“エル・プリモ”》(1635-44頃)    
    《ヴィラ・メディチの庭園、ローマ》(1630-34頃)

    リベーラ、スルバラン、ムリーリョは、今回初めて意識して鑑賞した画家たち。今後の別の美術館で鑑賞するときに楽しみ。

    リベーラ:バレンシア近郊で生まれるが、(当時スペインの支配下であった)ナポリで活躍した作家。ドルースによれば、リベラは、ドイツ的な「内的な生の発見」とアドリア海的な「色彩の乱舞」とに同時に接近している。
    《聖アンドレ》(1630/31)
    《盲目の彫刻家(触覚の寓意)》(1632)
    皺の表現のリアルさ、苦難に満ちた表情が印象的であった。
    《アッシジの聖フランチェスコの幻視》(1636/38)
    カラバッジョ的な雰囲気を感じる。

    スルバラン
    《神の愛の寓意》(1655頃?)最近スルバランの作品と認められプラドに購入された作品。緑の上着をまとい赤い優雅なドレスの少女が燃える心臓を持つ姿。

    ムリーリョ:ドルースの好みのムリーリョは、ピカレスクな情景を描いた作品で、パリやドレスデンに所蔵されているとのこと。ドルースにとっての最低のムリーリョは、明快たらんとしながら物悲しい作品、美を探求しながら可愛らしさの段階にとどまっている作品、神秘主義を表現しようとして庶民の感覚を裏切っている作品、聖母に賛歌をささげようとしながら単なる甘い言葉を投げているに過ぎない作品とのこと。
    《貝殻の子供たち 》(1670-75頃):ロココ風に甘美に味付けされた三角形の構図の宗教画。ちょっと浮いたような幼児姿のヨハネの様子が画面に動きを与えています。   
    《エル・エスコリアルの無原罪の御宿り》(1660-65頃):ムリーリョの無原罪の御宿りは20点以上もあるという。マリアの可愛らしさは、モデルの個性が残っているからか。
    《聖パウロの改宗》(1675-82頃)

    ゴヤ
    《果実を採る子供たち 》(1777-78)   
    《ビリャフランカ侯爵夫人 マリア・トマサ・デ・パラフォクス 》(1804)   《魔女の飛翔》(1797-98)
    など7点も出展されていたが、1808年5月2日、3日という時代を生きたゴヤを、マハは勿論まだまだ作品を鑑賞しないと一寸やそっとでは理解できそうもないことだけが分かった

    このほか目に留まった作品は。
  • カレーニョ・デ・ミランダ、ファン《ロシア大使ピョートル・イワノヴィッチ・ポチョムキン》:豪奢な赤い衣装をまとい威風堂々とした大使の姿がすばらしい出来栄え。彼の作品の中でもスペイン絵画史上に残る名作。
  • メレンデス、ルイス《ボデゴン:風景の中の西瓜と林檎》:斜めの構図と西瓜の力強さとみずみずしさに吃驚。

    P.S. 5月1日、9時の開館の直後に先着500名というポストカードをもらって入場。でも、こんな難しい絵画ばかりの展覧会によくまあこんなにたくさんの人が訪れますね。一年前の勉強不足の私でしたら全く楽しめなかったでしょう。

  • コメント (5)
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする