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ホーチミン年越し旅~その22 御名残惜しいけど

2024年05月04日 08時35分43秒 | 泊りがけの旅行

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前回からの続き~

ホーチミンへの旅、いよいよ最終盤。

観光バスから降りて、高島屋へお土産を買いに行った。
初日にあたりをつけておいた個別包装になっているクッキーを購入。
上品で美味しく洗練されていた。逆によすぎてベトナム感が薄くなってしまった、かも。

同じく初日にのぞいた雑貨屋さん「キト」も訪れた。→ご参考
お目当てのアンティークな器を購入。
購入してすぐ頑丈に梱包していただいたので、開封したのは後。
これは帰国してから抹茶を点てた際の写真。お菓子の器もホーチミンで購入した。
アンティークって、どれくらい古いの? → 1961年とのこと。
店主さん自ら買い付けに窯元に出向くのだとか。
1961年ねぇ、昭和36年かぁ。。。と思っていたら、店主さんが「同い年くらいじゃないの?」
いや、私はそこまで歳とってない!と反論しそうになって、引っ込める。
確かに、身をやつしてないし、化粧もろくにしていないから実年齢より年寄りに見えるのかなぁ。
でも、ベトナムでその年齢(62歳)に見えるってショックだなぁ。
ま、四捨五入したらアラカン(around60)だから、当たらずとも遠からずって感じかぁ。
と、一瞬の間に思いが駆け巡る。
そして、「あれ?」。
1961年って、ベトナム戦争の真っ最中じゃないか。
戦時中なのに、こんな豊かな器が焼けたの?
と、驚いた。
それも、すぐに考えを巡らす。
戦争ったって、1955年~1975年の20年にも及ぶ長い期間。
その間、ずっと激戦を繰り広げていたわけではない。
それにこれはソンベ焼き。
村そのものが焼き払われ、村民が虐殺されたのはもっと後(『ベトナムのダーちゃん』の話は1969年あたりだったかな)で
ベトナムの中部あたりだった。
だから、こういうやさしい文様の器が焼かれたことも、それが戦災に遭うこともなく遺ったことも不思議ではない。
日本の太平洋戦争時も同じではないか。厳しい戦時態勢になったのは昭和20年に入ってからのことだったし。
などなど、戦争に対する思いも駆け巡った数分間だった。
買い物も済ませて、サイゴン川沿いを歩く。
友人が「銀行に寄っていきます」
この日は正月2日だけど、改めて「ベトナムは平日なのねぇ」と実感。
平日といえば、学校もフツーに登校する日。
インターナショナルスクール(小学校)の前を通りがかったら、
ちょうど下校時刻でお迎えのママさんと子供たちが帰宅するのを見た。
なんか、かっこいいなぁ。
 友人宅方面へ向かう際にいつも通る飲食店。
「京都勝牛」の支店かと思いきや、全然違った。
それにしてもバイクが多いなぁ。
この光景も慣れた。
逆に日本に戻ってきて、改めて「スクーターって、減ったなぁ」と思う。
友人宅近くまで戻ってきて、スパへ案内される。
  実は初スパ。
アロマオイルを塗ってもらって1時間のマッサージを受けた。
その間、スマホはロッカーに入れておいたのだけど、、、
マッサージが終わった後、スマホを取りだしたら、またもやニュース速報が。
「羽田空港が炎上」
は? 炎上って? 私はこれから羽田空港へフライトするんだけど~。
まさしく「目が点」になった。
現地時間で午後5時すぎのこと。
日本との時差2時間ありから、東京は午後7時すぎ。
事故発生が17:50ごろなので、速報をキャッチしたようだ。
海外ではNHKプラスやTVerが視聴できない。
朝日新聞デジタルの速報記事を読むしかできなかったんだけど、
この時点では海保機の存在も取材側で把握できていなかったようで
ただ「日航の旅客機から発火、炎上した」としか報じられておらず、
何が何やら~ワケわからんない。
国内線か国際線かもわからないし、滑走路もどの?
呆然としながら夕飯を食べに食堂へ。
 ごはん!の周りに好きなおかずを盛りつけてもらうスタイル。
この形式は過去の海外旅行先(ネパール、ブータン)と一緒なのでウレシイ。
やっぱり、同じ大陸、同じアジアの国!
夕食後はマンションに戻り、少しまったりし、荷物の最終確認をし、いよいよ帰国へ。
現地時間の20:20ごろ、自分のスマホでgrabを立ち上げてタクシーを呼ぶ。
思ったより到着が早く、慌て気味で外へ。
マンション前で友人に見送られて出発した。
余談だが、この時じゃなくて食事からマンションに戻った時にエレベーターホールで
不思議な言語を(スマホで)話す白人の若者に遭遇。
ドイツ語? いや、似てるけど違う。
後で友人に「ドイツ人みたいだけど、違うよね?」と尋ねたら、「オランダ人だと思う」。
あ、あれがオランダ語なんだー。
オランダって、江戸時代から長崎の出島を通じて貿易の関係があったし、←出島観光もしたことあるし!(参考
オランダ由来の日本語も多い。
勝手に身近に感じていたけど、よく考えればオランダ人に接したことも生のオランダ語を聴く経験もしたことなかった。
もっと言えば、外国人が多く住むという東京、横浜、神戸(そして筑波)に暮らした経験が人生の大半を占めているにもかかわらず
実際に生活する外国人の日常に遭遇したことすらない。
多国籍の人たちと一緒に生活環境を共有しているって、自らも外国人として日本でない国に暮らすって
すごいことだなぁと改めて友人を尊敬した。
すごい大切で貴重な経験をしてるね。
帰国の話に戻る。
来た時と同じで帰りのタクシーもカード払い設定をしていたので、運転手さんとしても楽勝な客だったようで
空港も国際線ターミナル前まで入ってくれて荷物も下ろしてくれた。
そして、さっさと行ってしまった。
ところで、料金というのが実際、いくら払ったのか。この時はわからない。
友人によれば「だいたい1,000円くらい。それに深夜料金が加算されるくらいですかね」
表示されたドンの料金にレート計算したら、往復で1,938円。
行き(空港→友人宅)が182ドン、帰りが141ドン。行きは深夜だったから割り増し。
実際に引き落とされた料金は1,926円だった。(決済日のレートが微妙に違っていたのだろう)
なるほど、友人の助言&ガイドブック通りだ。
移動時間は約30分だったから、日本に比べると安い。
(ま、日本は公共交通機関が充実しているけど、ベトナムはそうじゃないからそういう需要の違いもあるのだろうけど)
結局、経済面で理解できたのは空港までのタクシー料金だけだったなぁ。
かくて、外国の空港に一人放り出された格好になった私。
わからないなりに人の流れに沿って建物に入り、ANAのロゴを探して航空券を発券してもらう。
さっさと出国手続きへ向かった。
やはり、ちょっと混んでるかな?
 入国ほどじゃなかったけど。
検査場も順調に通過。
と、いきなり免税店前へ。
きらびやかさと立ち込める香水の匂いにフラッとくる。
まだ時間あるし、のぞいてみようかと思ったが、ハタと気づく。
「私、無一文じゃん!」
正確に言えば日本円は持っているし、クレカもある。
でも、そもそも買い物の仕方がわかっていない。(全部、友人にやってもらったから)
なまじ見て、欲しいものに出遭ってしまったらコワいので、背を向けて待合ロビーへ。
 
ここでお手洗いをすませ、30分くらいボーっと座っていた。
背中合わせに座っていた女性2人組の会話が聞こえてきた。
「今日も2万歩超えちゃったわぁ」
あ、いっぱい歩いている外国人観光客は私たちだけなかったんだぁ!
と嬉しくなった。
というのは、日中に街歩きをしていて「なんか、歩いているの私だけ?」と思うことがしばしばあったからだ。
けっして人通りが少ないわけじゃない。
歩けば棒に当たるぐらいの頻度で飲食店やカフェがあり、そこで座っている人は多く
道はひっきりなしに車やバイクが行き交っている。
だけど、歩いている人がほとんどいなかったのだ。
中心部の繁華街はもちろん人込みにあふれていたけれど、
ちょっと外れると歩行者の姿を見かけない。

友人も「歩かせちゃってスミマセン」。
いえいえ、日本国内を一緒に旅行する時はとにかくよく歩いたから
こっちの方がしっくりきて、むしろ有難い。
慣れない外国でお腹も壊さず、食欲旺盛でいられたのも
しっかり歩いて運動したからだし。
ちなみにホーチミンで歩いた歩数は以下の通り。
12/30  10,899歩
12/31  34,405歩
1/1   26,038歩
1/2   24,539歩
友人も普段なら通勤はタクシー利用だし、そんなに歩けないとのこと。
オバサンと2人連れだし、安心して好きなだけ歩けたということでこの休暇はよかったかもね。
そんなことを考えていたら、搭乗案内の時刻になった。
 帰りも同じ飛行機かぁ。(来るときに乗った機体がまた日本に戻るんだね)
現地時間21:50に着陸した機体が給油と整備・清掃を経て23:05に再びテイクオフかぁ。
国内線と同じ仕組みだな。飛行機も忙しいこった。
羽田空港で炎上事故の詳報が気になったが、機内アナウンスによれば「当機の着陸に影響はございません」。
なんだ、無事に羽田に降りれるのかぁ。
羽田空港が封鎖され、別の空港に降ろされでもしたら面倒なことだと危惧していたけど、その心配は杞憂となった。
現地時間の23時台。日本だと深夜1時台。
とっくに就寝している時間なんだけど、目がさえている。
というのも隣の若い女子がおもしろくて。
20代前半なんだけど、たぶん初めて日本へ行く(旅行?)らしくもう楽しみで仕方ないという感じ。
日本大好き!というオーラが全身からあふれ出ていた。
(だからって、何もユニクロの袋で搭乗しなくても~。)
帰りも視たい映画がなかったので、時々フライト画面を表示させながら、ぼーっとしていた。
2時間ちょっと経過したところで、お食事タイム。
ちょうど台湾の東海上あたり。だいたい半分きたところか。
 「朝食」になっているけど、実質「夜食」だよねぇ。
出されたものは食べる!(夕食から9時間経っていたからお腹もそこそこ空いてたし)
面白かったのは隣の女子。
最初は自分流の食べ方だったけど、チラチラと私の食べ方を観察してきて(食べ方を)真似し始めた。
(別に私のお作法が日本の!ってワケじゃないんだけど~)
そのうちにモニターも私と同じフライト情報画面に。
彼女なりに日本を一生懸命理解しようとしているのだろうな、と。
日本を好きでいてくださることは有難いんだけど、
現在の日本は能登地震でごたごたしているだろうから、それがウキウキ気分に水をささなきゃいいけど~と思った。
 いよいよ日本の領海に入ってきたぞ~
九州、宮崎県の海外線は見えた。帰って来たなぁとしみじみ。
たしか定刻より10分ほど遅れたように思うけど、無事に着陸。
どのあたりで炎上事故があったかは全くわからず。
(その時間帯、国内線はストップしていた)
飛行機降りてからは順調で荷物もまだ出てこず。
その間に機械で入国手続きすべしと貼り紙があちこちにあったので、
荷物が出てくるベルトコンベア近くにあった機械で試みるも上手くいかず。
四苦八苦していたら見かねた係員が介助してくれて手続き完了。
ホッとしたところでベルトコンベアが動き出した。
なかなか私のゴールドキャリーケースが出てこなくてイラッとしかけたところで、発見。
事前に手続きしたおかげで関門はすんなり通過できた。
 空港出たら、本当に正月休みかと思うくらいにガラ~ンとしていた。
奇しくも1月3日の早朝。
2年前の同じ日、始発のフライトでUターンラッシュでごった返す中、神戸空港を飛び立って羽田へ降りて人込みをかき分けて京急の駅に辿り着き、職場へ直行したなぁ。
その記憶がまだ鮮明だったので、京急もひとつ前の始発駅から国内線を下りてきた人々で混雑しているだろうと。
乗り込めるかなぁ。大きな荷物を持っているのに嫌だなぁと思っていた。
しかし、来た電車の中はガラ空き~。
行きと違って、途中で2回乗り換える羽目になったが、それも常にガラ空きだったので苦にならず。
羽田空港線は事故の影響があるからわかるが、本線は川崎大師への初もうで客で混雑しているのでは?と思ったが、それも全くなし。
これは地震の影響か?
というわけで、混雑とは無縁のまま帰宅した。
まだ8時すぎ。
そうだわ、箱根駅伝の復路を観戦しなくちゃ。
そして荷物を開封しながら走る若人たちをボーっと眺めていた。
(なんども、睡魔にガクッとしながら) 
 ホーチミンのスリッパ。
というわけで、ホーチミン年越し旅の話はおしまい。

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