特別展『掃部山銅像建立110年 井伊直弼と横浜』 神奈川県立歴史博物館 ※3月22日(日)まで
くだんの豪華大型クルーズ船が停泊中の横浜へ行くのは少し躊躇があったけど、
「場所は違うし」と割り切って、出かけた。
桜木町方面から歩いていて、「おっ」。
新しい横浜市庁舎。(6月末から業務開始か?)
特別展の入口は桜木町側の建物からなんだけど、わざわざ旧い側の入口へ。
レトロな入口の方が好き。
引いて撮影しなかったので、以前の撮影したもの→
もとは横浜正金銀行だった建物だけあり、重厚感がいい。
横浜市内の掃部山に井伊直弼像があるのは知っている。
てか、掃部山公園を訪れたことは何度かある。
近くに能楽堂があり、以前はちょくちょく観に行っていたから。
確かに、日米和親条約と日米通商条約を結び、横浜開港を決めたのは直弼だけど
なんで、ここに銅像があるのかなぁ? 「掃部山」だから? とギモンには思っていた。
安政の大獄を断行し、桜田門外で暗殺された井伊直弼は明治の始めには悪者扱いになっていた。
その名誉を復活しようと旧彦根藩士らが中心となって、却下にもメゲげずに運動を続けて、用地も買って認可にこぎつけた。
そうして、横浜の地に銅像を建てたのが明治42年。
横浜開港ということに加え、旧彦根藩士で横浜正金銀行も務めた人物が深く関与したという。
ちなみに、旧横浜正金銀行本店本館(現神奈川県立歴史博物館)の設計した人が銅像の台座も手がけたという。
展覧会はまず銅像建立に至る経緯、銅像を造った作家さん、横浜正金銀行の本店のパネル写真などが紹介され、
次に直弼の人となりや生涯を紹介。
次に銅像がどう受け継がれていったかを紹介した内容。
意外というか、いや期待していてそれが当たったというか、直弼に迫る第2章では
直弼ゆかりの茶の湯資料やお道具がけっこー出ていた。
これらは2015年秋に彦根城博物館で茶人・直弼の展覧会を観たものがけっこう出張していた。→参考
彦根では茶道関係のものだったけど、こちらでは豪徳寺所蔵の初代・直弼像の小さいのとか
教科書にも載っている直弼の肖像画も拝見できたので、よかった。
なんで洋画(油絵)なのかなぁ? 以前から思っていたけれど、描いたのが直弼の三男で
明治に入ってからヨーロッパに留学して油絵を学んだという。
なるほど。
後半、掃部山がもともとは戸部権現山という名前だったのを
井伊直弼像が建立されたことで役職名をとって「掃部」山に名称変更されたことも知って、「へぇ~」。
横浜港、三渓園とともに直弼像も横浜のランドマークだったらしい。
直弼像のシルエットがデザインされたパンフレットや駅弁の掛紙を見て、新鮮な感動が。
直弼自身は一度も横浜を訪れてはいないだろうに、横浜から愛されてるなぁ。
続いて、常設展も観て、喫茶室で期間限定のベトナム珈琲が(200円)でほっこり。
帰るかぁと思ったら、館内アナウンスでボランティアによる展示解説があると案内があったので、
展示室に引き返して、聴いた。
(人は少なく、説明する側もされる側もマスクで。「いつもより人が少ない」とのこと。やはり新型肺炎の影響か?)
説明で補足があった昭和7年の神奈川県の鳥観図の原本を確認しに、また常設展エリアに戻ったり。
結局、2時間ちょっと滞在したかなぁ。
帰り路はちょっと寄り道。
川沿いの飲み屋さん長屋。
昼間なので、もちろん営業時間外だけど、夜はいい雰囲気なんだろうなぁ。
★神奈川県立歴史博物館バックナンバー
2011年11月 『竹と民具 竹とともに暮らす』→こちら
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