約半月前の3月21日(土)の話。
前日から名古屋入りして、岐阜城ほかを見物した後に名古屋に戻って一泊。
この日は名古屋市の「ドニチエコきっぷ」を利用。
620円を書いてあるけど、630円だった。
まず「いりなか」へ移動し、名古屋モーニング。
「ランチア」さんのサラダモーニング。
(何年か前、昭和美術館へ行く前にフォルムカードを買うために寄った郵便局のトナリだった。懐かしい~)
で、10時から昭和美術館へ。
余裕があったとはいえ、入場制限がある中で「楽しむ茶道具」を鑑賞した。
鑑賞後、地下鉄で大須観音へ移動。
前回(半年前)、大須商店街を散策したけど、観音様にはお参りしていなかったので。(^^;
門前でできたての手作り煎餅を購入。
「朝日軒」。NHKプレミアム「新日本風土記」の「大須」の回で出てきてたから。
素朴でめちゃ美味しいおせんべい。次に行った時も買いたい。
昼食も新日本風土記で紹介されていた洋食の老舗へ。
御幸亭。
オーダーはハヤシライス。
週末は混んでると聞いていたけど、やはりコロナで人少なく、余裕で入店できた。
こちらも美味しかった~
食後は人通りがない通りをしばし歩き、東別院へ。
「どこのお寺の別院なんですかぁ。」「さぁ」
正面に回って、京都の東本願寺の名古屋別院。京都より東にあるから東別院だと知る。
大きな境内。こちらも参拝した。
でも、お目当ては境内の片隅にある石碑。
織田信長の父、織田信秀が一時居城にしていた古渡城跡の石碑。
そして、地下鉄の東別院から地下鉄に乗って、2度乗り換えて高岳へ。
名古屋の地下鉄に乗っていでビックリしたこと。
名古屋の人は目的の駅に着いて扉が開くまで立たない。
名古屋の人はエスカレーターを歩かない。
人が少ないことで、行動が顕著にわかり感心した。
名古屋のレトロ建築が遺る地区へ。
川上貞奴が住んでいたという二葉館。コロナで閉館中で外観だけ見物。
パトロンの福澤桃介が中部の電力王だったのにちなむのか、窓のステンドグラスが黒部峡谷?
内部も興味あるが、次回の楽しみにとっておこう。
江戸時代は武家屋敷が建っていたみたいで、その名残りもあった。
武家といっても、上流武士の屋敷があったのだろう。
だから区画が広く、明治になって、お金持ちになった方々が土地を購入して
お屋敷街になったみたい。
撞木館も休館中。
豊田佐吉邸とか、ちょこちょことお屋敷があって、眺めるだけでも面白かった。
教会の建物がユニーク。
地図を見直すと名古屋城から真東に進むと徳川園がある。
江戸時代からそういう位置関係。
名古屋城も天守閣は戦災で焼失したけど、一部の櫓は現存しているし、
こちらのお屋敷街も一部だけど燃えなかったし、徳川園にも被害を免れた所はある。
そして、この教会も。
もしかして、この教会があったために、このラインは爆撃を意図的に避けたのかも。
そして、戦火を免れたのは名古屋市庁舎と愛知県庁舎も同じ。
新型コロナの対応で大変なんだろうなぁ。
ちなみに、この日は春分の日に絡む三連休は大阪府が兵庫県との出入り自粛を呼び掛けていた。
東京は桜が満開になって、コロナ疲れの人々が街を闊歩していた。
そして、一週間後の小池知事らの外出自粛要請が出される事となった。
あの三連休、都内で遊んだ人がコロナに感染してその発病がここ数日の数字に上がっているという。
東京都の3月21日時点の感染者数は123人。4月6日0時点で1,033人。
愛知県の3月21日時点の感染者数は157人。4月6日0時点で266人。
愛知県の発症者の増加カーブが緩やかになったのは三連休の人出が少なかった効果?
そんな中をふらふらと散策して申し訳なかったと思いつつ、
人出が少なかったので、助かったという有難さもある。
(少なくとも、都内に行かなくてヨカッタ)
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