『本能寺の変 431年目の真実』の第1章「誰の手で定説は作られたか」の「定説を固めた高柳光寿神話」(47~54頁)及びエピローグ(321~324頁)に書いたことを補完するような記載が三鬼清一郎氏の本に書かれていましたので抜粋してご紹介します。
『豊臣政権の法と朝鮮出兵』三鬼清一郎著、2012年11月
「補章 近代史学史における信長・秀吉像」より抜粋
このような(秀吉の朝鮮出兵が「国威の . . . 本文を読む
秀吉がねつ造し、軍記物に汚染された戦国史を今一度洗濯いたし申候
【2010年5月2日初稿、2014年6月3日追記】
現代に伝わる本能寺の変の通説の元ネタを作ったのは、あの羽柴(豊臣)秀吉であることは拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』に書いた通りですが、本ブログでもあらためて書きました。愛宕百韻の光秀発句も秀吉が改竄したものであり、信長が苛烈・冷酷な性格というのも秀吉が演出したものです。
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