本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

歴史研究に絶大な貢献をするサイト紹介

2012年05月04日 | 謎はこうして解けた!
 私の歴史捜査に絶大な貢献をしてくださったWebサイトをご紹介します。
 Household Industries 歴史館」というサイトです。

 このサイトには歴史年表が各種掲載されているのですが、その内容が素晴らしい!
 何が素晴らしいかというと、年月日順にその日に起きた出来事の記述とそれを記載した出典が書かれているのです。ただ淡々、延々と膨大な量が書かれているだけなのですが、これほど研究者にとってありがたいものはありません。
 なぜならば、本能寺の変の研究をしようとした場合、光秀だけでなく、信長、秀吉、家康など関係者についても時間軸にそって動向が見てとれ、さらに詳しく調べるための原典を知ることができるからです。

 この手のもので研究者が頼りにしているのが東京大学史料編纂所が出版している大日本史料です。これが年月日順に史料の記事を編纂したものとして権威ある唯一のものといえます。ところが、これには大きな落とし穴があります。
 それは編纂者の意図です。

 本能寺の変の起きた前後の記事を調べようとして驚いたことが2つあります。
 一つ目は天正10年(1582年)6月2日以前の記事がない!
 つまり、どういうわけか本能寺の変の当日とそれ以前の記事がなく、変の翌日の6月3日からの記事で始まっているのです。
 二つ目は軍記物の記事がふんだんに掲載されている
 どうみても信憑性ある一次史料を抽出しようという意識はなく、信憑性評価を抜きにしてただ羅列した(あるいは意図的に軍記物を中心に編纂した)としか思えません。
 このため、大日本史料を読んでいくと「通説」が浮かび上がってきます。

 結論として、大日本史料の編纂者は通説を裏付ける意図をもって編纂した、というのが私の見方です。したがって、大日本史料を頼りとして研究する人は皆、軍記物を容認した通説擁護論に固まっていくことになります。

 これに対して、「Household Industries 歴史館」に掲載されている歴史年表はひたすら時間軸にそって信憑性ある一次史料の記事を抽出して書いています。本能寺の変について調べようと思ったら、「天下統一期年譜」というページに1534年から1598年までの記事が抽出されています。
 
 この労作をどのような方が作成されたのか興味のあるところです。

 作成者の個人名が書かれているのですが、「人文学情報処理研究センター(人情研)提供」とも書かれています。Wikidediaで「人文学情報処理研究センター」を検索しても該当するものが見つかりませんでしたが、「人情研」で検索すると「京都大学人文科学研究所東アジア人文情報学研究センター」がひっかかりました。

 そうか、京都大学か!
 なんとなく、納得したのですが、センターのホームページを見ても提供されている元データは見つかりませんでした。
 
 「Household Industries 歴史館」の歴史年表の作成元は確認できませんでしたが、とにかく素晴らしいものです。編纂された方の労力は想像を絶するものがありますし、研究界へ与えている価値はさらに想像を越えるものがあると思います。
 「Household Industries 歴史館」歴史年表に謝辞と賛辞を惜しみません。 

 ★ Household Industries 歴史館
   日本史編として「源平争乱年譜」、「天下統一期年譜」、「日本占領期年譜」があります。

 ★ 京都大学人文科学研究所東アジア人文情報学研究センター

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 『本能寺の変 四二七年目の真実』のあらすじはこちらをご覧ください。
 また、読者の書評はこちらです
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本能寺の変 四二七年目の真実
明智 憲三郎
プレジデント社

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