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本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

本能寺の変:久しぶりに国会図書館へ

2010年07月31日 | 謎はこうして解けた!
 本日、久しぶりに国会図書館へ行ってきました。目的は高柳光壽氏の著書『明智光秀』で参考文献にあげている『浅野家文書』の山崎の合戦についての記事のコピーをとることと、美濃源氏フォーラムでの講演準備として『永禄六年諸役人附』のコピーをとることでした。
 国会図書館のご利用案内を兼ねて、本日の私の行動をご紹介いたします。

 国会図書館へ行くのは実に2005年以来の5年ぶりのことです。当時本能寺の変の謎解きに取り組んで研究本をいろいろ読み漁った結果、「やはり原典を読まなければダメ!」と気付いて「原典を読めるところは国会図書館」と短絡的にそれしか思い付かずに藁にすがりつくような思いで行くことにしたのがきっかけでした。
 何しろ当時の私には国会図書館などそれまで全くご縁がなく、てっきり国会議員が利用する図書館で一般人には敷居が高いのだろうなどと思っていた次第です。土曜日も開館しているので会社勤めの私にも無理なく利用でき、何週間か通って原典のコピーをとりました。利用してみてわかったのは「国民のための図書館なんだ!」ということでした。館員の方々の対応はとても親切です(いわゆるお役所仕事ではありません)し、誰でも利用できるように諸手続きはコンピュータ化されていて簡単です。
 ところが残念なことに、私のように大量の図書を借り出したい人間には効率が悪かったのです。図書の館外への借り出しはできないので、図書館内で借り出して、必要箇所のコピーをとって返却しなければなりません。1回の申込で3冊までしか借り出せないこと、借り出しに20~30分待つこと、コピーは著作権の関係でページ数が制限されること、1枚24円(A4)すること、コピーができるまでに10~20分待つこと、など。
 仕方なく、私はインターネット古書店で原典を購入する道に進み、国会図書館通いをやめることになりました。それから5年。やはり国会図書館に適したことがあったのです。

 以前、国会図書館に通ったときに地下鉄の駅からずいぶん歩いた記憶がありました。この猛暑の中で最短距離を歩きたかったので国会図書館のホームページとジョルダン駅案内を見て、南北線永田町駅3番出口(徒歩5分)を選びました。そこそこの感じでしたが3番出口からかなり歩いた気がしたので、帰りは徒歩3分の2番出口に行くことにしたのですが、これが失敗でした。地下鉄の永田町駅というのがいろいろな路線が乗り入れていて、しかも同一駅名でプラットフォームが別!蟻の巣穴のような地下迷路を歩き回るはめになりました。

 図書館に着くとまずIDカードの発行申請をコンピュータ端末から行います。このタッチパネルの感度が合わなくて苦労しました。触っても反応しなかったり、逆にワンタッチで同じ文字が2つも入力されてしまってと。かなり失敗を重ねてイライラした結果、なるべく指先を尖らせて、鋭利なタッチでやればよいことがわかりました。
 IDカードの発行を得てから、ロッカールームに行ってカバン等をロッカーに入れ、筆記用具と財布など館内で必要なものだけを備え付けの透明なビニール袋に入れて入館です。ロッカー代に100円玉が必要です。この100円は帰りに戻ってきます。
 入館したらすぐに端末に座って必要な史料のタイトルを入力し、借り出しの操作をします。これはとても簡単ですぐに終わります。一度に三冊まで借り出しの入力ができます。本日は『大日本史料』はうまく借り出せたのですが、『永禄六年諸役人附』は「作業中」とのことで借り出しできず、『浅野家文書』『天正日記』はいずれもマイクロフィッシュでの借り出しで紙の本では借り出してもらえませんでした。
 さて、ここから時間がかかりました。30分ほど待ってようやく借り出せました。ここで問題発生です。午後6時まで入館できるのですが、当日のコピー受付は午後4時までとのアナウンス。借り出したのが3時45分でしたので、『大日本史料』の天正十年六月十三日、すなわち山崎の合戦の日の記録のコピーを15枚とるだけで終わってしまいました。わずか在館50分程度のあわただし作業でした。とてもマイクロフィッシュを見る時間はなく、そのまま返却することになりました。
 『浅野家文書』は見れなかったのですが、高柳氏が『明智光秀』で参照している記事は『大日本史料』のコピーで入手することができました。この『大日本史料』こそ高柳氏が研究対象とした史料の抜粋版なので『明智光秀』に書かれた参考図書の記事は『大日本史料』で読むことができるような仕組みになっています。
 実は、これが極めて重大な影響を歴史研究の世界に与えています。それは何かというと高柳氏が価値ありと認めた史料が抜粋されているのです。高柳氏は史料編纂官としてこの『大日本史料』の編纂にたずさわった人なのです。つまり、これを読むと高柳氏が史実と認めたストーリーが自然と読み取れるようになっているのです。しかも、高柳氏は信憑性の高い当時の人々の書いた日記も後世に書かれた物語に過ぎない軍記物も全く等価に抜粋して並べているのです。「単純多数決」。これによって軍記物が書きたてたお話が史実のように読み取れてしまう仕組みになっています。
 古文書・古記録の活字化の活動は江戸時代の後期からえいえいと続けてこられました。大変価値ある活動だったと思います。明治政府になってから、その活動は大きく二つの流れになりました。ひとつは国家事業として国史編纂を目指した東京帝国大学史料編纂所の『大日本史料』などの編纂です。もうひとつは民間事業としての『続群書類従』編纂の活動です。残念ながら、歴史ある『続群書類従』編纂活動は昨年店じまいしてしまいました。ビジネスとして採算が合わなかったのです。そして、今残る編纂事業は東京大学史料編纂所だけになりました。
 ★ 東京大学史料編纂所ホームページ

 日本の歴史研究は重大な危機にあることは間違いありません。そのような私の抱いている危機感をご理解いただける方は恐らく少ないでしょう。東大史料編纂所によって歴史の定説が固められていくのではないでしょうか。既に作られた定説を覆すことがますます難しくなっていくのではないでしょうか。活字化されて一般人が見ることの出来る史料でも通説に合わない話はふるいにかけられて捨てられてしまっています。ましてや、活字にされていない史料がどれだけ研究者のふるいにかけられて捨てられているのか?
 意図的に選別された情報が歴史の史実とされていく恐ろしさを是非ご理解いただきたいと思います。


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