【2010年11月13日追記】
福知山での講演会を聴講してくださった方が講演会の模様をブログに書いてくださっています。講演会の雰囲気をよく伝えてくださっていると思いますので、ご紹介します。
エノカマの旅の途中「福知山史談会講演~明智光秀『本能寺の変 四二七年目の真実』」
講演後の質疑の際に「長宗我部氏との関係は?」とご質問された方のようです。
この回答は拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』の中で詳しく書いているように、謀反の動機として「大有りだが、これだけではない」ということです。「大有り」の理由は従来言われているように「光秀が長宗我部氏との取次ぎの役をはずされたので、出世競争に敗れたと焦った」といった現代のサラリーマン物語のような浅いものでは全くありません。
長宗我部元親の正室が「土岐氏」であったことがキーです。これも従来の本能寺の変研究者が「土岐氏」という存在の意味を理解していなかったので、真実にはたどり着けなかったわけです。
★ 土岐氏を知らずして本能寺の変は!
★ 長宗我部氏を知らずして本能寺の変は!
歴史の謎は論理的に詰めていけば、いずれ解ける!
これが本能寺の変研究を研究者任せにせずに自分で研究して解いた結果、確信を持って今いえることです。
【2010年11月8日追記】
昨日、無事講演を終えました。
講演前後にいろいろな方がご挨拶にみえられ、関心の高さが感じられました。ご来場は170人ぐらいで少し空席がありましたが、福知山史談会の講演会では初めて百人を越えたとのことです。
史談会の方々に御霊神社、福知山城、天寧寺など光秀ゆかりの場所をご案内いただきました。地元ならではの戦国時代のお話をいろいろお聴きし、大変貴重な情報を得ることができました。光秀の丹波支配は占領地であったがゆえに一筋縄にはいかなかっただろうという印象が強く残りました。
何枚か写真をご紹介します。
【光秀が祀られる御霊神社】
【御霊神社の光秀御神体木像のミニチュア】
【福知山城(よいアングルが見つかりませんでした)】
【福知山城天守閣】
【福知山城の門】
【福知山城天守閣から見る明智籔(光秀が堤防を作った)】
【丹波名物の靄に霞む福知山城(猪の崎城跡から見る)】
我が家系に伝わっていた光秀自筆の和歌は「山あいの 霧はさながら 海にして 波かと聞けば 松風の音」というものでした。丹波の山々の雲海を詠んだものだったのでしょう。
【禅宗の名刹・天寧寺】
【2010年11月6日追記】
福知山での講演会がいよいよ明日に迫りました。福知山史談会からのご連絡では地元紙の両丹日日新聞をはじめ、読売・朝日・毎日新聞各紙の地元面にも講演会の記事が掲載されたとのことで、地元の方々の期待の大きさを感じます。
会場は350人収容と聞きますが、果たしてどれだけお集まりいただけるか。今年の猛暑の中の高輪区民ホールでの講演会にはちょうど満席の250人の方にご来場いただきました。今回も満席に、と期待しております。是非より多くの方にお聴きいただければと思います。
★ 高輪区民ホールでの講演会
【2010年11月1日記事】
11月7日(日)午後6時から福知山市民会館で講演会を行います。
演題は「子孫が語る本能寺の変 驚きの真実」です。
主催は福知山史談会という地元の歴史研究団体で、その史談会創立60周年記念「歴史文化講演会」という大変名誉ある設定をしていただきました。何といっても福知山は先祖・明智光秀が治めたゆかりの地であり、光秀を祀る御霊神社(写真)のある地ですので、これほど光栄なことはありません。初めて行きますのでとても楽しみです。(息子の悠が数年前にお伺いして写真を撮ってきました)
★ 福知山史談会ホームページ
拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』に書いたお話だけでなく、何故、光秀が福知山の御霊神社に祀られることになったのかという新事実もご披露するつもりです。京都周辺にお住まいの方は是非ご来場ください。
通説がかくも根拠のないものだったのか、歴史がこれほど意図的に改竄されたものだったのか。おそらく驚かれ、目から鱗が落ちると思います。
信長は光秀を苛めていませんでした
光秀は信長を怨んでいませんでした
信長は秀吉を信頼していませんでした
秀吉は信長を敬愛していませんでした
光秀は明智城に居ませんでした
光秀は越前朝倉義景に仕えていませんでした
そのほか、ことごとくです。
福知山市文化祭
福知山史談会創立60周年
歴史文化講演
「子孫が語る本能寺の変 驚きの真実」
講師 歴史研究家 明智憲三郎氏
●光秀公の子、於?丸(おづるまる)の血筋を引くと伝えられる
●著書「本能寺の変 427年目の真実」
期日:11月7日(日) 開演:午後6時 受付;午後5時30分
会場:福知山市民会館 4F大ホール
入場料無料 申込不要
主管:福知山史談会
主催:福知山市 (社)福知山市文化協会
後援:福知山市観光協会 両丹日日新聞社
丹波福知山明智光秀公研究会
--------------------------
明智憲三郎著の第4作『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』文芸社
「秀吉がねつ造し、軍記物に汚染された戦国史を、今一度洗濯いたし申し候」。40万部突破の『本能寺の変 431年目の真実』の著者、明智憲三郎がさらなる歴史捜査を通じて、より解り易く「本能寺の変」の真実を解説した歴史ドキュメント! 「ハゲだから謀反って変だ! 」「歴史の流れ無視って変だ! 」「信長の油断って変だ! 」等々、まだある驚愕の真実に迫る!
本能寺の変研究の欠陥を暴き、「本当の歴史」を知る面白さを説く!
「若い方々や歴史に興味のない方々に歴史を好きになってもらいたいと思って書きました」 明智憲三郎
>>> サンテレビ「カツヤマサヒコSHOW」対談YouTube動画はこちら
【明智憲三郎著作一覧】
2016年5月発売予定
『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』文芸社
>>> 文芸社のページ
2015年7月発売
『織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!』幻冬舎
>>> 幻冬舎のページ
2013年12月発売
『本能寺の変 431年目の真実』文芸社文庫
>>> 文芸社のページ
2009年3月発売
『本能寺の変 四二七年目の真実』プレジデント社
福知山での講演会を聴講してくださった方が講演会の模様をブログに書いてくださっています。講演会の雰囲気をよく伝えてくださっていると思いますので、ご紹介します。
エノカマの旅の途中「福知山史談会講演~明智光秀『本能寺の変 四二七年目の真実』」
講演後の質疑の際に「長宗我部氏との関係は?」とご質問された方のようです。
この回答は拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』の中で詳しく書いているように、謀反の動機として「大有りだが、これだけではない」ということです。「大有り」の理由は従来言われているように「光秀が長宗我部氏との取次ぎの役をはずされたので、出世競争に敗れたと焦った」といった現代のサラリーマン物語のような浅いものでは全くありません。
長宗我部元親の正室が「土岐氏」であったことがキーです。これも従来の本能寺の変研究者が「土岐氏」という存在の意味を理解していなかったので、真実にはたどり着けなかったわけです。
★ 土岐氏を知らずして本能寺の変は!
★ 長宗我部氏を知らずして本能寺の変は!
歴史の謎は論理的に詰めていけば、いずれ解ける!
これが本能寺の変研究を研究者任せにせずに自分で研究して解いた結果、確信を持って今いえることです。
【2010年11月8日追記】
昨日、無事講演を終えました。
講演前後にいろいろな方がご挨拶にみえられ、関心の高さが感じられました。ご来場は170人ぐらいで少し空席がありましたが、福知山史談会の講演会では初めて百人を越えたとのことです。
史談会の方々に御霊神社、福知山城、天寧寺など光秀ゆかりの場所をご案内いただきました。地元ならではの戦国時代のお話をいろいろお聴きし、大変貴重な情報を得ることができました。光秀の丹波支配は占領地であったがゆえに一筋縄にはいかなかっただろうという印象が強く残りました。
何枚か写真をご紹介します。
【光秀が祀られる御霊神社】
【御霊神社の光秀御神体木像のミニチュア】
【福知山城(よいアングルが見つかりませんでした)】
【福知山城天守閣】
【福知山城の門】
【福知山城天守閣から見る明智籔(光秀が堤防を作った)】
【丹波名物の靄に霞む福知山城(猪の崎城跡から見る)】
我が家系に伝わっていた光秀自筆の和歌は「山あいの 霧はさながら 海にして 波かと聞けば 松風の音」というものでした。丹波の山々の雲海を詠んだものだったのでしょう。
【禅宗の名刹・天寧寺】
【2010年11月6日追記】
福知山での講演会がいよいよ明日に迫りました。福知山史談会からのご連絡では地元紙の両丹日日新聞をはじめ、読売・朝日・毎日新聞各紙の地元面にも講演会の記事が掲載されたとのことで、地元の方々の期待の大きさを感じます。
会場は350人収容と聞きますが、果たしてどれだけお集まりいただけるか。今年の猛暑の中の高輪区民ホールでの講演会にはちょうど満席の250人の方にご来場いただきました。今回も満席に、と期待しております。是非より多くの方にお聴きいただければと思います。
★ 高輪区民ホールでの講演会
【2010年11月1日記事】
11月7日(日)午後6時から福知山市民会館で講演会を行います。
演題は「子孫が語る本能寺の変 驚きの真実」です。
主催は福知山史談会という地元の歴史研究団体で、その史談会創立60周年記念「歴史文化講演会」という大変名誉ある設定をしていただきました。何といっても福知山は先祖・明智光秀が治めたゆかりの地であり、光秀を祀る御霊神社(写真)のある地ですので、これほど光栄なことはありません。初めて行きますのでとても楽しみです。(息子の悠が数年前にお伺いして写真を撮ってきました)
★ 福知山史談会ホームページ
拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』に書いたお話だけでなく、何故、光秀が福知山の御霊神社に祀られることになったのかという新事実もご披露するつもりです。京都周辺にお住まいの方は是非ご来場ください。
通説がかくも根拠のないものだったのか、歴史がこれほど意図的に改竄されたものだったのか。おそらく驚かれ、目から鱗が落ちると思います。
信長は光秀を苛めていませんでした
光秀は信長を怨んでいませんでした
信長は秀吉を信頼していませんでした
秀吉は信長を敬愛していませんでした
光秀は明智城に居ませんでした
光秀は越前朝倉義景に仕えていませんでした
そのほか、ことごとくです。
福知山市文化祭
福知山史談会創立60周年
歴史文化講演
「子孫が語る本能寺の変 驚きの真実」
講師 歴史研究家 明智憲三郎氏
●光秀公の子、於?丸(おづるまる)の血筋を引くと伝えられる
●著書「本能寺の変 427年目の真実」
期日:11月7日(日) 開演:午後6時 受付;午後5時30分
会場:福知山市民会館 4F大ホール
入場料無料 申込不要
主管:福知山史談会
主催:福知山市 (社)福知山市文化協会
後援:福知山市観光協会 両丹日日新聞社
丹波福知山明智光秀公研究会
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明智憲三郎著の第4作『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』文芸社
「秀吉がねつ造し、軍記物に汚染された戦国史を、今一度洗濯いたし申し候」。40万部突破の『本能寺の変 431年目の真実』の著者、明智憲三郎がさらなる歴史捜査を通じて、より解り易く「本能寺の変」の真実を解説した歴史ドキュメント! 「ハゲだから謀反って変だ! 」「歴史の流れ無視って変だ! 」「信長の油断って変だ! 」等々、まだある驚愕の真実に迫る!
本能寺の変研究の欠陥を暴き、「本当の歴史」を知る面白さを説く!
「若い方々や歴史に興味のない方々に歴史を好きになってもらいたいと思って書きました」 明智憲三郎
>>> サンテレビ「カツヤマサヒコSHOW」対談YouTube動画はこちら
「本能寺の変」は変だ!著者:明智憲三郎価格:1,080円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る |
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文芸社 |
【明智憲三郎著作一覧】
2016年5月発売予定
『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』文芸社
>>> 文芸社のページ
2015年7月発売
『織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!』幻冬舎
>>> 幻冬舎のページ
2013年12月発売
『本能寺の変 431年目の真実』文芸社文庫
>>> 文芸社のページ
2009年3月発売
『本能寺の変 四二七年目の真実』プレジデント社
エノカマ様には講演後にわざわざ控え室まで来ていただきミケ様のお話をお伝えいただきありがとうございます。
実はミケ様とはメル友ですが、まだお会いしたことがないのです。来年の亀岡光秀祭(多分5月3日)にはお伺いできるかもしれません。その折にお会いできればと思います。
いつも明智歴史探偵団皆様の推理、感心しながら読ませていただいています。
福知山の講演に、わたしの友人のエノカマさんが行かれたそうで、レポート楽しく拝見しました。
次の機会には、わたしもぜひ参加させていただけるのを楽しみにしています。
探偵団の皆様の実力の足元にも及びませんが、わたしも明智一族の真実を解明する為、ほんの少しでもお役に立てるよう精進したいと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。
わかりやすく聞かせていただきました。
またブログの拙文もご紹介いただき、恐縮しております(笑)
福知山でのこう言った講演は初めての参加だったのですが
(私は兵庫丹波の住人です)
地元の方の研究熱心さや、光秀に寄せる思いが実に感じられて
本当に有意義な時間を過ごせました!
また、本の方もじっくり読ませていただきます。。。
ありがとうございました!