前2回で土岐明智氏の系図としては「明智系図の歴史捜査1」で書いたA2寛永諸家系図伝・土岐系図とA1尊卑分脈・土岐系図の信憑性が格段に高いこと、そして両系図は途中の頼秀で接合できることを解明しました。
★ 明智系図の歴史捜査3:土岐明智氏の公式系図
★ 明智系図の歴史捜査4:別系統の土岐明智氏系図
この二つの系図を接合して書いたものが、この写真です。これが信憑性の高い「土岐明智氏系図」として、431年目にして復元された初公開資料です。このどこかに光秀とその子がつながっていたはずなのです。この写真の系図は今後の明智光秀研究の基本資料となるもので、とてつもない価値のあるものですが、果たしてそれに気付く研究者がいるでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/06/d9de3773f6e748f6e0eec4083f2071ca.jpg)
この系図の右側、つまり頼典の下あたりにつながっていたとすると、光秀は美濃にいたか、あるいは土岐一族が美濃動乱で逃れた越前や尾張にいた可能性が高くなります。
ただし、東美濃の明智城にいたという『明智軍記』の記述は嘘です。なぜならば、この土岐明智氏の系統が足利将軍から安堵された領地には明智荘が含まれていないことが『土岐文書』に収録されている安堵状で明らかだからです。
一方、系図の左側、つまり光兼の下あたりにつながっていたとすると、光秀は京都にいたか、あるいは足利将軍が京都動乱で避難した先の近江坂本や朽木谷にいた可能性が高くなります。
このような観点から原点に立ち戻って、当時の古文書類を掘り起こしていく研究が今後必要となります。なぜならば、従来、そのような観点での研究が全く行われていないからです。明智軍記汚染によって「光秀は東美濃の明智城にいた」ことにされ、研究者はそれを信じてきたのです。
★ 明智系図の歴史捜査1:ここにも明智軍記汚染
★ 明智系図の歴史捜査2:明智軍記汚染の実態
>>>つづく:玄琳作明智系図の謎へ
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『本能寺の変 四二七年目の真実』のあらすじはこちらをご覧ください。
また、読者の書評はこちらです。
>>>トップページ
>>>『本能寺の変 四二七年目の真実』出版の思い
【参考ページ】
残念ながら本能寺の変研究は未だに豊臣秀吉神話、高柳光寿神話の闇の中に彷徨っているようです。「軍記物依存症の三面記事史観」とでもいうべき状況です。下記のページもご覧ください。
★ 本能寺の変の定説は打破された!
★ 本能寺の変四国説を嗤う
★ SEが歴史を捜査したら本能寺の変が解けた
★ 土岐氏とは何だ!
★ 土岐氏を知らずして本能寺の変は語れない
★ 長宗我部氏を知らずして本能寺の変は語れない
★ 初公開!明智光秀家中法度
★ 明智系図の歴史捜査3:土岐明智氏の公式系図
★ 明智系図の歴史捜査4:別系統の土岐明智氏系図
この二つの系図を接合して書いたものが、この写真です。これが信憑性の高い「土岐明智氏系図」として、431年目にして復元された初公開資料です。このどこかに光秀とその子がつながっていたはずなのです。この写真の系図は今後の明智光秀研究の基本資料となるもので、とてつもない価値のあるものですが、果たしてそれに気付く研究者がいるでしょうか?
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この系図の右側、つまり頼典の下あたりにつながっていたとすると、光秀は美濃にいたか、あるいは土岐一族が美濃動乱で逃れた越前や尾張にいた可能性が高くなります。
ただし、東美濃の明智城にいたという『明智軍記』の記述は嘘です。なぜならば、この土岐明智氏の系統が足利将軍から安堵された領地には明智荘が含まれていないことが『土岐文書』に収録されている安堵状で明らかだからです。
一方、系図の左側、つまり光兼の下あたりにつながっていたとすると、光秀は京都にいたか、あるいは足利将軍が京都動乱で避難した先の近江坂本や朽木谷にいた可能性が高くなります。
このような観点から原点に立ち戻って、当時の古文書類を掘り起こしていく研究が今後必要となります。なぜならば、従来、そのような観点での研究が全く行われていないからです。明智軍記汚染によって「光秀は東美濃の明智城にいた」ことにされ、研究者はそれを信じてきたのです。
★ 明智系図の歴史捜査1:ここにも明智軍記汚染
★ 明智系図の歴史捜査2:明智軍記汚染の実態
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★ 本能寺の変の定説は打破された!
★ 本能寺の変四国説を嗤う
★ SEが歴史を捜査したら本能寺の変が解けた
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★ 長宗我部氏を知らずして本能寺の変は語れない
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