本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
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淀君・北政所「女の嫉妬」説を斬る!

2010年01月02日 | 通説・俗説・虚説を斬る!
(2010年2月6日改題)
 私たちが四百年前の戦国時代のことを考える際に陥っている大きな誤りがあります。
 それは「当時のことを現代人感覚で見てしまう」ことです。
当時の人の生活、文化、環境は現代人とは相当異なっており、必然、考え方には大きな違いがあったことを理解しておかねばなりません。
 先日、歴史ミステリーのテレビ番組で秀吉の正室・北政所(きたのまんどころ)と側室・淀君との確執を面白おかしく取り上げていました。秀吉をめぐる女の嫉妬劇に仕立てていました。
 しかし、側室は愛人ではありません。一族繁栄のための一夫多妻制における一人の妻です。一族繁栄のために子をもうけることは役割であり、産まれた子供は一族の将来の担い手として大事にされました。
 北政所も豊臣家の繁栄のために秀頼を大事にしたはずです。豊臣家を滅ぼして徳川の世にしたいなどとは思うわけもなく、ましてや淀君への嫉妬心から家康に加担したということは考えられません。
 北政所が結果として豊臣家を滅ぼすことに加担した形となったとしても、それは豊臣政権内での権力争いに起因したものだったはずです。
 豊臣政権内に深刻な権力争いがあったことは余り知られていないように思います。実は秀吉の朝鮮侵略は侵略された朝鮮に甚大な被害を与えただけでなく、日本国内にも大きな軋轢を引き起こしていました。
 こういった背景の中で、千利休切腹⇒第一次朝鮮出兵⇒関白秀次切腹⇒第二次朝鮮出兵⇒秀吉の死⇒朝鮮撤兵⇒関が原の戦いといった事件が起きていったことに注目する必要があります。
 本能寺の変もそうですが、歴史的事件が当事者の個人的感情や個人的問題から引き起こされたように解釈されてきました。通説とされるものはどれもそうですし、新たな説として唱えられるものも同様です。
 そうではなく、政治的な理由が必ずある!
 この視点で歴史を見直すべき!
 これが『本能寺の変 四二七年目の真実』で主張したことです。本能寺の変から427年目をスタートとして、この主張に賛同してくださる方々を増やしていくことに挑戦していきたいと思います。

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