本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

本能寺の変の真実解明に駆り立てたもの

2010年01月02日 | 謎はこうして解けた!
 「どうして一介のサラリーマンが本能寺の変の真実解明に挑戦する気になったのか?」 よく聞かれる質問です。
 多分、いろいろなことが複合していたと思います。

 『光秀子孫としての思い』 もちろん、これが一番でしょう。物心付いて以来、「主君を怨んで殺した謀反人」という言葉は私の心の重石(おもし)でした。いつかは真実を知りたい、という思いでずっといました。
 ★真実解明に駆り立てた「子孫の思い」 ← 補足説明です
 ★子孫のこだわり  ← 子孫のこだわりの一端をご紹介

 『世の中の本能寺の変研究への失望』 「真実を知りたい」という気持ちが「自分で解明せざるをえない」という切迫した気持ちに変わったのにはこれが決定的でした。現代の本能寺の変研究本を読めば読むほど、「この研究姿勢では真実にたどり着けるはずがない」という失望感が深まっていったのです。
 明智光秀の研究その1 ←軍記物依存の姿勢
 明智光秀の研究その2 ←私情動機論の姿勢
 明智光秀の研究その3 ←論理の飛躍の姿勢

 『友人の尻押し』 5年前、友人のテレビ脚本家が私を出版社へ連れて行き、本を書いて出版する話を強引にまとめてしまったことが直接のきっかけだったでしょう。(ただし、出版までには紆余曲折があり、この出版社からは出版しませんでした)

 『織田信長御子孫の本能寺での一言』 友人が私を出版社に連れて行くきっかけとなったのが2004年6月6日の本能寺での織田信長御子孫との「和睦」でした。そのときの「これから両家の新しい関係を作っていきたい」という一言。これがなければ「友人の尻押し」に乗ることもなかったでしょう。
 *織田信長ご子孫の本能寺での一言 ← 詳しい内容はこちら

 『ワクワクすることを求める気持ち』 実はこれが具体的な出発点だったように思います。次回、このお話を書いてみます。
  続く

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