先日の当ブログ記事で、威徳院源界法印にまつわる話が出ていましたので
年配者にその関係の話をしておりましたら、
直接関係はないのでありますが、その塾があったらしい場所の現当主である
宇都宮氏より、当家に伝わる話を直接聞いて保管している資料が出てきましたので
そのまま原文でご紹介します・・・・
「約220年ほど前、宇都宮家の第5代の次男則佳(のりよし)といふ者がいた。
12歳の時、秘かに出郷し高野山に登り、3年修行を積み、その時
北は成田山、南は九州を除き津々浦々と修業に専念した。
四国八十八ヶ所廻りも50回に及ぶと言う。しかも高野山入りは
弘法大師に連れられて入山した。
晩年には、極山で行をし、誰知ることもなくその極山で、64歳の生涯を
閉じた。
天明6年3月4日 60歳の時、
弘法大師より権大僧都安楽院金剛位を授けられた。
祈祷の折、石鎚大権現が現れ
「阿弥陀如来だ」と言われた、と、宇都宮氏は語る。昭和63年6月29日 記」
以上のような内容でありますが、極山とは狩浜で一番高い山のこと。
いろいろな興味深い人物や話がまだまだあると思われます・・・・
年配者にその関係の話をしておりましたら、
直接関係はないのでありますが、その塾があったらしい場所の現当主である
宇都宮氏より、当家に伝わる話を直接聞いて保管している資料が出てきましたので
そのまま原文でご紹介します・・・・
「約220年ほど前、宇都宮家の第5代の次男則佳(のりよし)といふ者がいた。
12歳の時、秘かに出郷し高野山に登り、3年修行を積み、その時
北は成田山、南は九州を除き津々浦々と修業に専念した。
四国八十八ヶ所廻りも50回に及ぶと言う。しかも高野山入りは
弘法大師に連れられて入山した。
晩年には、極山で行をし、誰知ることもなくその極山で、64歳の生涯を
閉じた。
天明6年3月4日 60歳の時、
弘法大師より権大僧都安楽院金剛位を授けられた。
祈祷の折、石鎚大権現が現れ
「阿弥陀如来だ」と言われた、と、宇都宮氏は語る。昭和63年6月29日 記」
以上のような内容でありますが、極山とは狩浜で一番高い山のこと。
いろいろな興味深い人物や話がまだまだあると思われます・・・・