網代(あみしろ)、広辞苑によると一般的に網主に配当される利益などと
表記されていますが、こちらでは門之脇地区のふどさきから東のあたりを
普通にあじろと呼んでいます。
まだ地引網が盛んだった頃、地引網ができる場所を網代(あじろ)と言っていました。特に①まえ(狩江湾内)②こえの浦③猩猩(しょうじょ)④長浦⑤だけ の
5つの網代が良場で、当時5つの網元が半年に1回、くじでこの網代を平等に
利用していました。(数字が漁場の優位性)
また、渡江側のうど地区は、渡江と狩浜が交代で利用していました。
当時狩浜では新結出(しんゆいで)、元網、大網、新網、えびす網、日の出
渡江では大網、西網の網元がありました。
写真はこえの浦(別名 恋の浦)あたりで、いまでも地引網ができる海岸が
広がっています。
表記されていますが、こちらでは門之脇地区のふどさきから東のあたりを
普通にあじろと呼んでいます。
まだ地引網が盛んだった頃、地引網ができる場所を網代(あじろ)と言っていました。特に①まえ(狩江湾内)②こえの浦③猩猩(しょうじょ)④長浦⑤だけ の
5つの網代が良場で、当時5つの網元が半年に1回、くじでこの網代を平等に
利用していました。(数字が漁場の優位性)
また、渡江側のうど地区は、渡江と狩浜が交代で利用していました。
当時狩浜では新結出(しんゆいで)、元網、大網、新網、えびす網、日の出
渡江では大網、西網の網元がありました。
写真はこえの浦(別名 恋の浦)あたりで、いまでも地引網ができる海岸が
広がっています。