前回は蛸が御神体を引き上げた話しでしたが、今度はある謎の冠のはなし。
これは地元のある網元に残るちょっとミステリーで興味をそそる実話。
戦後の昭和、まだ日本が混乱状態の時代、そこの網は普段どおり
今で言う”恋の浦”あたりで、いわし漁をしていて、網を曳いていました。
その頃はまさしく豊饒の宇和海と言われるように、群れになって沖から岸へと
魚の大群がやってきたそうです。それを追うようにまぐろなどの大型のウヲも
やってきていました。
その日、網の中になぜか見かけないものが混じっていて、引き上げると
なんと手のひらに収まるくらいの冠ではありませんか!
金属製であったために、それは緑青が付き、輝きは薄れていましたが
形は頭に載せるほどの、王族の女性が被るようなりっぱな冠でした。
日本史において、女性がそんな冠をつけたような姿はあまりありません。
一見して、これは大陸あたりの品物では?とみんな思ったようです。
精巧なかざりや細工も見受けられ、それは持ち帰られて、しばらくその
網元の家に保管されておりました。
その後、これはきっと何か大変貴重な史物ではないかということで
ある学校の先生に鑑定を兼ねてあずけられたそうです。
でも・・・・その後、その冠の所在がわからなくなってしまったそうです。
現在関係者の話によると、当時そのようなものにどれだけの価値があるかが
全く認知不足だったそうで、その後の所在を含めた追跡もしなかったそうです。
大変悔やんでおられました。今ではすぐ写真などに記録できますが、
話しをきいて残念でなりません・・・・・。
むかしむかし、この宇和海にそんな冠を積んだ舟が往来し、きっと嵐にあって
海の底深く沈んでいたのでしょう、いったいどんな人物がその冠を被っていたので
しょうか・・・・・、ロマンをそそります。
これは地元のある網元に残るちょっとミステリーで興味をそそる実話。
戦後の昭和、まだ日本が混乱状態の時代、そこの網は普段どおり
今で言う”恋の浦”あたりで、いわし漁をしていて、網を曳いていました。
その頃はまさしく豊饒の宇和海と言われるように、群れになって沖から岸へと
魚の大群がやってきたそうです。それを追うようにまぐろなどの大型のウヲも
やってきていました。
その日、網の中になぜか見かけないものが混じっていて、引き上げると
なんと手のひらに収まるくらいの冠ではありませんか!
金属製であったために、それは緑青が付き、輝きは薄れていましたが
形は頭に載せるほどの、王族の女性が被るようなりっぱな冠でした。
日本史において、女性がそんな冠をつけたような姿はあまりありません。
一見して、これは大陸あたりの品物では?とみんな思ったようです。
精巧なかざりや細工も見受けられ、それは持ち帰られて、しばらくその
網元の家に保管されておりました。
その後、これはきっと何か大変貴重な史物ではないかということで
ある学校の先生に鑑定を兼ねてあずけられたそうです。
でも・・・・その後、その冠の所在がわからなくなってしまったそうです。
現在関係者の話によると、当時そのようなものにどれだけの価値があるかが
全く認知不足だったそうで、その後の所在を含めた追跡もしなかったそうです。
大変悔やんでおられました。今ではすぐ写真などに記録できますが、
話しをきいて残念でなりません・・・・・。
むかしむかし、この宇和海にそんな冠を積んだ舟が往来し、きっと嵐にあって
海の底深く沈んでいたのでしょう、いったいどんな人物がその冠を被っていたので
しょうか・・・・・、ロマンをそそります。