狩江のお祭りと文化論

~愛媛県西予市明浜町狩江地区のお祭りや、四季折々の風景、暮らしを独自の観点からお伝えいたします~

御船練り 徹底研究② ”お船のルーツは御座船にあり”

2010-09-09 21:31:39 | お祭り
さて御船練り徹底研究、今回はその御船の原型を解明してみました。

門之脇の初代御船は、故宇都宮房太郎氏が明治27年に建造し寄贈されたものです。
江戸時代が終わって約20年ちかく経っています。この狩浜地区は江戸の時代
吉田藩の配下にありました。吉田町では、殿様のお膝元であった為、比較的はやくから
御船が存在していました。それが狩浜にも伝わってきたのは明治となった頃で
これは殿様の許可が必要であった為の差と考えられます。ただし、御船の練りは
袴などの製作時期からみて、すでに江戸末期にはあったようです。

その御船の形ですが、吉田町のそれとほとんど変わりません。
そしてその姿、かたちは、伊達博物館に展示されている参勤交代の絵巻物に
でてくる「御座船」(ござぶね)とそっくりです。
「御座船」とは、藩主が移動したりする時に使う専用の船のことです。
その為、外観内装とも豪華絢爛、約31mの長さがありました。
船は矢倉で囲まれ、朱と黒の華やかな大型船でした。
当時の参勤交代には、御座船以下約250隻の船団でもって、なおかつ漕ぎ手だけで
3458人!の大船団がこの宇和海を渡ってゆきました。(宇和島藩の例)
そんな藩の象徴のような豪華華麗なる御座船を、当時の人たちが祭りの練りにしたのも
なんとなく分かるような気がします。
そのように御座船をルーツとして、やがて明治となり、時代が変わって周辺の地域にも
御船が広まったと思われます。