山本あけみ「緑ゆたかな環境を子どもたちへ」

建築士や生活者として、都市計画・公共施設マネジメント・地球温暖化対策・SDGsなど、独自の視点で日々発信

石巻、陸前高田に行ってきました。

2011-05-24 | 活動日誌

先週末、東関東大震災の被災地である石巻市と陸前高田市に行ってきました。

子連れだったため、大きめのレンタカーを借りて車中1泊の予定で出かけました。

 

自発的なもので、いわゆる議員の視察ではないため、

行政の担当者やボランティアの方々とお話をする機会はありませんでしたが、

果たしてどんなことが日本に起こっているのか、現地に行って自分の目で確かめたい気持ちからでした。

(行政視察は先方の負担が大きいと聞き、出来る範囲での個人的なものになりました。)

 

東北自動車道を北上し、福島県内に入ると道路には段差があちこちありましたが、

ほとんど修復が終わっていて、トラブルも無く被災地に行くことが出来ました。

(7時間弱かかりました。)

 

いったん高速道路を降りると、各地で道路が寸断されていて、

陸前高田から気仙沼へは通常は海沿いに行けるのですが山間部を迂回しなければならず、

やむなく気仙沼へは回れなかったのが残念でした。

 

石巻市は津波の被害を受けた地域を除き、経済活動は復活をしていて、

たとえば被災地から車で20分くらいで行けるイオンモールには食料がふんだんにあり、

想像していたよりも通常の生活に近いのだと安心しました。

 

ただ、翌日は、陸前高田に向かいましたが、高速道路を降りて峠の道を行き、

海辺の近くの街に着いたとたん、そこには壊滅状態の景色が広がっていました。

ほのぼのとした入り江の地形が災いし、津波の勢いがより増して、

川を遡上した様子が見て取れました。

想像も出来ないくらいの勢いで海からかなり離れたところまで波がやってきたのです。

 

身長160センチの私が、街の中心地に立つと、端から端まで陸前高田を見渡すことが出来るのです。

家という家、建物のほとんどははなぎ倒され、木造住宅の基礎の部分が残っていれば良いほうでした。

 

津波が起きた直後は土砂と瓦礫に埋まっていた街が、今は道路が復旧し、

近々電柱が立てられる準備が進められていたことには唯一ホッとさせられました。

 

海沿いにある5階建てのマンションの4階部分まで津波が来たようで、

その猛威を改めて実感しました。

最上階にはカーテンや子供用の椅子がある様子が見て取れ、

それぞれの家庭の生活が営まれていたのだと感じました。

 

避難所に行くことには最後までためらわれ、結局は行くことが出来ませんでした。

 

自分がこれから復興に対してどれくらいのことが出来るかはまだわかりませんが、

今回、現地に行って見てきた事を心のばねにして、

出来る限りの活動をしていきたいと考えています。