私は人と出会うのが好きで、この久我山に引越しをしてきた7年前には
「この街の人たち全てとお知り合いになりたい!!」と思ったことを思い出します。
なぜあのようなことを考えたのか、今となっては不思議です。
昨日は我が家のすぐ近くにお住まいの方とお話をする機会がありました。
私のボランティアの方がポスターを貼って貰っていたので、そのお礼に伺ったのです。
その方は近所でも評判の一過言あるタイプで、
いつもは通りに面したご自宅の窓に「憲法9条を守ろう!」
というポスターを貼っていらっしゃいます。
80歳になるというこの男性とお話をしたのは初めてでしたが、
地方から苦学生として東京に来てご苦労をされながらも学んでこられたこと、
満州鉄道に勤めていたために終戦時に生死に関わる体験をされたこと
などを話してくださいました。
平和と思われる今日であってもなお、
あの恐ろしい戦争へと日本が進んでいくことを恐れ、
この久我山の地で勉強会を重ねて活動をしていることを教えていただきました。
私の父と母は茨城県の出身で父は9人、母は4人兄弟の大家族でした。
おじの中には特攻隊で訓練をしながらも生きながら終戦日を迎えたことを
悔しいと話をしてくれた人もいます。
父は9歳で終戦を向かえたものの、
それまでは大人になったら戦争に行くのだと教えられ続けたといいます。
今私は45歳という年齢になり、当然のことながら戦後生まれです。
けれども、血のつながった身近に戦争の体験をしてきた親戚がいて、
その話を人事ではないと思える体験をしてこれたことには感謝をしています。
問題は、私たちより後の世代、身近な戦争体験を聞くことが出来ない世代へ
どうやってその悲惨さを伝えていくのかということだと思います。
山本あけみオフィシャルサイト
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