山本あけみ「緑ゆたかな環境を子どもたちへ」

建築士や生活者として、都市計画・公共施設マネジメント・地球温暖化対策・SDGsなど、独自の視点で日々発信

コロナ禍の終戦記念日に思うこと

2020-08-14 | 「あれこれ」のこと
我が家の子供は、お正月に実家に行くと、いつもテレビに映っている箱根駅伝で家族がエキサイトしている姿が不思議だったらしい。
 
何故いつも、実家に行くと駅伝なのか。
 
 
私も小さいころ、夏休みに母のお墓もある、茨城の父の生家に行くと終戦記念日、高校野球が12時になると黙とうに代わり、それまでワイワイと話をしていた親戚が黙ってしまうのが不思議だった。
 
 
黙とうの後は、決まって戦争の話。
 
農家の3男で、大学から東京生活をしていた父。
終戦を13歳で迎えた。
 
 
長兄は戦地で負傷し、鉄砲玉を腹に抱えたまま帰国。
次兄は特攻隊に志願したものの、思いを遂げることなく帰郷。
戦争が終わり家に帰って来た時の様子を、誰かが話し出すと止まらない。
 
その頃、3男は防空壕を掘り、理系ゆえの精密さを誰それに褒められたとか、
農家ゆえ休憩所として軍隊が来た時には炊き出しが大変だったとか、そんな話。
 
戦中戦後を生き抜いてきた力強さと、やるせなさを抱えながら、それぞれの話やしぐさは雄弁に語っていた。
 
私は敗戦から20年後に生まれた。
 
 
 
小学校の頃は腕と足を負傷した傷痍軍人が、まるで戦時中の様な格好で道端で物乞いをしていた。文化住宅(団地)に住んでいた私は、前を通るのが憚られたのを強く覚えている。こちらを見ていた視線を覚えている。
 
戦争は確かに私の身近に今もある。
 
55歳となり、20年間という時間の長さ、そして短さを朧気ながら捉えられるようにもなった。これは、年を重ねていく事で得られる、一番のご褒美。
 
 
今年は、コロナ禍で明日の終戦記念日に、先祖や母のお墓参りに行けずに自宅でのんびり。
 
終戦記念日とお盆が重なっているのは、何故なのだろうとネットで検索しながら、理由はどうであれお盆の墓参りに家族や親せきと終戦記念日を迎える事の重要さを、今年は殊更に感じている人が多くいるのだろうと考えている。
 
私もその一人。
 

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