「大往生したけりゃ医療とかかわるな」自然死のすすめ 中村 仁一著 幻冬社新書 2012年1月
「自然死」の年寄りはごくわずか P-49
死に際は、何らの医療措置も行わなければ、夢うつつの気持ちのいい、
穏やかな状態になるということです。
これが、自然のしくみです。
自然はそんなに過酷ではないのです。
私たちのご先祖は、みんなこうして無事に死んでいったのです。
ところが、ここ30~40年、死にかけるとすぐに病院に行くようになるなど、様相が一変しました。
病院は、できるだけのことをして延命を図るのが使命です。
しかし「死」を、止めたり、治したりすることはできません。
しかるに、治せない「死」に対して、治すためのパターン化した医療措置を行います。
例えば、食べられなくなれば鼻から管を入れたり、
胃ろう(お腹に穴を開けて、そこからチューブを通じて水分、栄養を補給する手技)によって栄養を与えたり、
脱水なら点滴注射で水分補給を、貧血があれば輸血を、小便が出なければ利尿剤を、
血圧が下がれば昇圧剤というようなことです。
これらは、せっかく自然が用意してくれている、ぼんやりとして不安も恐ろしさも寂しさも感じない
幸せムードの中で死んでいける過程を、ぶち壊しているのです。
「自然死」の年寄りはごくわずか P-49
死に際は、何らの医療措置も行わなければ、夢うつつの気持ちのいい、
穏やかな状態になるということです。
これが、自然のしくみです。
自然はそんなに過酷ではないのです。
私たちのご先祖は、みんなこうして無事に死んでいったのです。
ところが、ここ30~40年、死にかけるとすぐに病院に行くようになるなど、様相が一変しました。
病院は、できるだけのことをして延命を図るのが使命です。
しかし「死」を、止めたり、治したりすることはできません。
しかるに、治せない「死」に対して、治すためのパターン化した医療措置を行います。
例えば、食べられなくなれば鼻から管を入れたり、
胃ろう(お腹に穴を開けて、そこからチューブを通じて水分、栄養を補給する手技)によって栄養を与えたり、
脱水なら点滴注射で水分補給を、貧血があれば輸血を、小便が出なければ利尿剤を、
血圧が下がれば昇圧剤というようなことです。
これらは、せっかく自然が用意してくれている、ぼんやりとして不安も恐ろしさも寂しさも感じない
幸せムードの中で死んでいける過程を、ぶち壊しているのです。