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「大往生したけりゃ医療とかかわるな」 中村 仁一 その3

2013年10月24日 00時26分56秒 | 健康・老いについて
 「大往生したけりゃ医療とかかわるな」自然死のすすめ  中村 仁一著  幻冬社新書 2012年1月

 介護の拷問を受けないと、死なせてもらえない P-53

 死に際の苦しみには医療による虐待ばかりではありません。
介護による拷問もあるのです。
それも、いい看取りを行っていると自負のある介護施設で起こりがちなのです。

 それは、医療者ができることはすべてやるのが使命と考えていることと、根は一つであるような気がします。
冒頭で「医療の鉄則」として、
「一、死にゆく自然の過程を邪魔しない」
「一、死にゆく人間に無用の苦痛を与えてはならない」と書きましたが、
これは「介護」に関しても同様だと思うのです。

 中略

 死に際には、飲み込む力も弱ってきます。
しかし、心優しい介護職員は一口でも人匙でも使命感に燃えて涙ぐましい努力をします。
その結果、のど元にものが溜まってゴロゴロと音がして苦しみます。
そうすると、鼻から管を入れて、それを吸い取る「吸引」という荒技を施さなくてはいけません。
これは、死にゆく人間を二重に苦しめることになっているのですが、
介護職員にはあまりその感覚はないようです。

 無理やり飲ませたり食べさせたりせず、穏やかな自然死コースにのせてやるのが本当に思いやりのある、
いい看取りのはずです。
時には介護においても、できることであっても控える方がよいこともあると考えなくてはいけません。

 中略

 本人が自力で食べられるように、調理は工夫して目の前に置くが、
手を出さなければそのまま下げてしまうという北欧式や、
「栄養をとらずに横たわる人を、水だけ与えて静かに看取る」という三宅島の先人の知恵を、
もう一度、噛みしめてみる必要があると思います。