民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「語りの力と教育」 その2 高橋郁子

2014年07月13日 00時38分12秒 | 民話(語り)について
 語りの力と教育 その2 高橋郁子


 「高齢者の語りの魅力」

 ここで取り上げる高齢者の語りとは、「昔話の語り」から、日常会話までを含む。

 高齢者の語りとその他の者の語りの違いはここでは明確に述べることはできないが、
高齢者の語りのイメージは、昼下がりの縁側で、
柔らかな日差しを浴びながらのんびりとお茶を飲んでいる、
そんなゆったりとした暖かさがある。
 そしてその暖かさとともに、格調の高さも感じられる。
 
 高齢者の語りの中に見られる暖かさと厳しさは、長い年月をかけて培われたものであり、
どんなに真似をしようと思っても、若年のものがすぐに身につけられるものではない。

 しかし、その貴重な語りの力を、高齢者なら誰もが身につけているものであるというのに、
残念ながら一般的には重要視されていない。

 それどころか、高齢者は輝ける若い時代が終わった、無用の存在として疎まれることすらある。
高齢者自身が若い人に遠慮して行動や発言を控えることも有る。

 これは何故であろうか。
高齢者が他世代と交わらないことは、すべての世代にとって良いことなのであろうか。
足腰が弱り、歩行が不自由になっても、人が身につけた語りの力というのは衰えることがない。

 昭和の始めまでは、高齢者が孫など若い者たちに昔語りをし、その力を発揮していた。
現在は、昔語りの主流は家庭内よりもステージでの語りに完全に移行している。

 これは、日本家屋の変化に原因があるのだろうか。
それとも核家族が増えたことに原因があるのだろうか。

 高齢者の語りでも、すべてが人を暖かい気持ちにしてくれる訳ではなく、
若い者を不快にする言葉もある。

 長い人生経験を積み、相手の心も承知しているはずの高齢者がなぜ、
そのような言葉を発してしまうのか。

 高齢者の語りの魅力を現在に活かすためにはどのような手段があるのだろうか。