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「どくとるマンボウ青春記」 その3 北 杜夫

2016年06月14日 18時04分25秒 | 雑学知識
 「どくとるマンボウ青春記」 その3 P-25 北 杜夫  新潮文庫 (平成12年)

 昭和20年8月1日、新入生たちはヒマラヤ杉に囲まれた古風な校舎のある松本高等学校の門をくぐった。そして一場の訓示のあと、校舎とは縁を切られ、そのまま大町のアルミ工場へと送られた。
 この動員生活は、仕事そのものからいえば中学のそれと変わりがなかったものの、やはりどこか異なっていた。自分らは子供の中学生ではなく、白線帽をかぶった高校生であるという、気負った自覚のようなものがあったからであろう。
 新入生を指導してくれる上級生はいなかったものの、しかし何人かの落第生がいた。このドッペリ生は、旧制高校の伝統をせい一杯に私らに伝えてくれた。大体ほかの学校では落第生は小さくなっているはずだのに、高校では彼らは大きな顔をし、堂々たる指導者なのであった。彼らは寮歌を教え、集会(コンパ)を開くことを教えてくれた。その多くは観念的な形骸で、今の世にもってきたら噴飯物であることも確かだが、それでもやっぱし何ものかが含まれていたと言ってよい。
 部屋の消灯は9時であった。しかし、廊下の電気はつけられていた。すると学生たちのかなり多くが、防空煙幕のはられたこの廊下に本を持って出ていって、固い板敷の廊下に座り、ほの暗い電球の下で読書をした。あの古びた光景を憶い出すと、私は現在、自分があまりにグウタラしているような気もするのである。