民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「どくとるマンボウ青春記」 その4 北 杜夫

2016年06月16日 00時38分11秒 | 雑学知識
 「どくとるマンボウ青春記」 その4 P-36 北 杜夫  新潮文庫 (平成12年)

 よき時代の旧制高校生には、まず内面への沈潜(これが得意の言葉であった)があり、ついで外界があったのだが、私の場合、どうしてもコーリャンの飯だのナスのヘタの煙草のほうが先にくるようだ。
 といって、まるきり精神面での胎動がなかったわけではない。それはまず上級生という形をとって私の前に現れた。どんなにか彼らは偉く見えたろう。私が名前しか知らぬ、カントとかヘーゲルとかキエルケゴールとかいう人物にも彼らは直接習ったことがありそうだったし、シェイクスピアやゲーテやドストエフスキイなどとも友達づきあいをしているかのようだった。共同社会(ゲマインシャット)とか止揚(アウフヘーベン)とか理性(ロゴス)だとか情熱(パトス)だとかいう面妖な言葉を発した。むろん彼らをバカにしているのではない。彼らはあきらかに理想をもち、情熱をもち、見るも汚ならしい現実社会に背をむけ、ひたすらに何ものかを求めようとしていた。たとえそれが精神の思春期の錯覚であろうとも。
 私たちは彼らに感服し、自分らも彼らのようになりたいと思った。いいにせよわるいにせよ、これが旧制高校の伝統とかいうものであろう。