「風俗時評」 花森 安治 中公文庫 2015年
本書「風俗時評」におさめられた文章は1952年から翌年にかけて、同名のラジオ番組で、花森が語ったものである。
大学生の記章 (その1) P-74
昔、帝国大学という大学がありました。これは、いまは東京は東京大学、京都は京都大学というふうに変っております。帝国という名前が合わないので、変ったのだろうと思いますが、それにもかかわらず、昔の帝国大学、略して帝大、それといまの東京大学、京都大学、九州大学といった新らしい官立大学、この大学との間に、依然として変らないものがある。それは何かといいますと、これは不思議ですが、学生が着ている服であります。つまり大学生の制服、帝大生の制服というものは、昔と現在とでは少しも変りはない。依然として角帽と金ボタンの付いた黒い服なのです。
それと帝大の帽子、つまり角帽についている記章、「大学」と書いてありますが、実は、東京の或る有名な私立大学の記章が、アレと非常によく似ているのです。どちらが先にきめたのか、多分私立大学が帝大を真似たのかもしれませんが、そんなことはどうでもいいとして、とに角非常によく似ている。帝大のほうは「大学」とだけしかありませんが、私立大学のほうは、その「大学」の「学」という字の両側にその学校の名前が入っている。ところが、これはもうボクが学生時代の古い話で、今では意味はないと思いますが、あの制帽には、あご紐と申しますか、正しい名前は何というのだか知りませんが、とに角、前のほうに紐がついております。あの紐が、丁度記章の下に三分の一ぐらいかかるわけなのですが、そうしますと、その私立大学のほうは、丁度学校の名前が隠れてしまって、一見したところ帝大とちょっと区別がつかない。そういうようなわけで、まあ電車なんかに乗って、前に坐っただけでは、これは帝大の学生であるか、その私立大学の学生であるか、ちょっと見当がつかなかったというわけなのです。それはそれで、何もかまわないのですけれども、ところが、帝大の学生のほうでは、何かそういう私立大学の学生と混同されるということが非常にシャクにさわる、シャクにさわるというのも変ですけれども、自分は天下のて帝大生であるというのを、何とかして見せたいというのでしょう、いつの間にやら、そのあご紐ですか、そのバンドの上へ記章を出す、つまり記章の下へバンドを押し込んで、いかなるときでも、我はまぎれもない天下の帝大生であるということを見せびらかすといった風習が、我々の学生の頃、ずっと広まっておったのです。
本書「風俗時評」におさめられた文章は1952年から翌年にかけて、同名のラジオ番組で、花森が語ったものである。
大学生の記章 (その1) P-74
昔、帝国大学という大学がありました。これは、いまは東京は東京大学、京都は京都大学というふうに変っております。帝国という名前が合わないので、変ったのだろうと思いますが、それにもかかわらず、昔の帝国大学、略して帝大、それといまの東京大学、京都大学、九州大学といった新らしい官立大学、この大学との間に、依然として変らないものがある。それは何かといいますと、これは不思議ですが、学生が着ている服であります。つまり大学生の制服、帝大生の制服というものは、昔と現在とでは少しも変りはない。依然として角帽と金ボタンの付いた黒い服なのです。
それと帝大の帽子、つまり角帽についている記章、「大学」と書いてありますが、実は、東京の或る有名な私立大学の記章が、アレと非常によく似ているのです。どちらが先にきめたのか、多分私立大学が帝大を真似たのかもしれませんが、そんなことはどうでもいいとして、とに角非常によく似ている。帝大のほうは「大学」とだけしかありませんが、私立大学のほうは、その「大学」の「学」という字の両側にその学校の名前が入っている。ところが、これはもうボクが学生時代の古い話で、今では意味はないと思いますが、あの制帽には、あご紐と申しますか、正しい名前は何というのだか知りませんが、とに角、前のほうに紐がついております。あの紐が、丁度記章の下に三分の一ぐらいかかるわけなのですが、そうしますと、その私立大学のほうは、丁度学校の名前が隠れてしまって、一見したところ帝大とちょっと区別がつかない。そういうようなわけで、まあ電車なんかに乗って、前に坐っただけでは、これは帝大の学生であるか、その私立大学の学生であるか、ちょっと見当がつかなかったというわけなのです。それはそれで、何もかまわないのですけれども、ところが、帝大の学生のほうでは、何かそういう私立大学の学生と混同されるということが非常にシャクにさわる、シャクにさわるというのも変ですけれども、自分は天下のて帝大生であるというのを、何とかして見せたいというのでしょう、いつの間にやら、そのあご紐ですか、そのバンドの上へ記章を出す、つまり記章の下へバンドを押し込んで、いかなるときでも、我はまぎれもない天下の帝大生であるということを見せびらかすといった風習が、我々の学生の頃、ずっと広まっておったのです。