民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

琵琶と朗読で屋外ステージに立つ

2019年10月20日 22時53分26秒 | 身辺雑記
ひとつ気になっていた行事が終わって、ほっと一息ついたところ。
今日(10月20日)は宇都宮城址公園で「宇都宮城址まつり」と「伝統文化と歴史の祭典」の同時開催があった。
オレはステージの演目として薩摩琵琶と朗読で「宇都宮釣り天井と本多正純の物語」をやった。
琵琶は前から知っていたMさん、オレが朗読をやった。
出番は午後1時15分から出入りを含めて20分の持ち時間。
10時30分ごろ現場についてMさんと打ち合わせの確認。
結果は一応合格点は取れたと思う。
細かいミスはしょうがない、
トラウマになるような失敗はしなかったという意味での合格点だ。
今日の経験はこれからの大きなステップになる。
このような機会を与えてくれたMさんに感謝したい。

人前でなにかやるのはなんだかんだ言ってもプレッシャーがかかる。
ギター演奏、朗読、講座の司会など、
非日常のことをやるわけだから、どうしたって緊張してしまう。
この日だって琵琶と一緒に朗読をするなんて初めてのこと。
しかも屋外でだ。
今までにない緊張を経験するだろうと思っていた。

ところが、自分で不思議がるほど、少しも緊張しなかった。
いつも本番を前にすると、心臓がどきどきして、普段意識しない心臓の存在を知らされる。
そのときは深呼吸を繰り返して落ち着かせることは今までの経験で学んでいる。
ギターで場数を踏んだことが生かされていることは勿論だが、
それだけではないように思った。
たぶん、開き直りなんじゃないかな。
じたばたしたって実力以上のことはできないという開き直り。
アクシデントを楽しむ心の余裕が持てるようになったということか。

物語の構成は朗読と琵琶の弾き語りを交互にやり、
最後を信長の愛した敦盛の謡で締めるようになっている。
「人間50年 下天のうちを比ぶれば、夢 幻の如くなり。
ひとたび 生を受け 滅せぬもののあるべきか」

最初、この部分は琵琶語りでやるようになっていた。
この謡は信長が本能寺で討たれるときにたいがいやる。
オレも一度この謡をやってみたいと思っていた。
いい機会だから、オレにやらせてくれと横取りしたいきさつがある。
YouTubeを探して参考にしたい動画を見つけたが、付け焼刃でできるものではない。

どう読んだらいいか思いめぐらせていたとき、次のようなことを思いついた。
このような朗読は初めてだし、自分にできる技術があるとは思えない。
だけど、技術なんてクソくらえだ、オレには70年生きてきた人生の重みがある。
それを素直にさらけだせばいいんだ。
自分の人生に嘘はつけない。
自分の思いを一生懸命表現しようとすればきっと聞き手に伝わるはずだ。
信長の心境を思い描きながら、謡うことを心掛けた。
どれだけ聞き手につたわっただろうか。