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「白洲次郎の生き方」 その3 馬場 啓一

2016年07月09日 00時02分24秒 | 生活信条
 「白洲次郎の生き方」 男の品格を学ぶ 馬場 啓一  講談社 1999年  装画 佐々木 悟郎 

 まえがき その3

 それでは白洲が解釈しようとしたものは、いったい何だったのか。
 白洲が解釈しようとしたのは、西欧にはプリンシプルが存在するというこの一点であった。これこそ西欧の真髄であると。
 若くして西欧人の生活に溶け込み、彼らと寝食をともにする中で、西欧の思想の根幹にあるものをプリンスプルと、白洲は看破した。

 プリンスプルは基本的な規則や原則、といったものだが、正しく解釈することは日本人にはじつは至難の業(わざ)だ。日本が融通とか例外がはびこる国だからである。一度決めたことは頑として変えない。これがプリンスプルだ。頑固とか石頭と表現してしまうと、本当の姿は見えない。人間の生きる基本原理を確かなものとして定めること。これがプリンスプルである。言葉では簡単だが、日本人はいとも簡単にこれをネジ曲げ、正しく伝わらない。

 ここで重要なのは白洲が英国に渡ったのが、まだ10代半ばを越えたばかりの年齢だったということである。無垢の状態であったからこそ、白洲はプリンスプルの存在を見出したのだ。日本人が世界に伍して行くために、プリンスプルこそ必要だと説き、自分の生き方にそれを反映させたのである。本書を「白洲次郎の生き方」と題したのはこのためだ。

 白洲の生涯はストレートで、無人の荒野を高性能車で駆け抜けるようなものであった。思うところを信じ、ひたすら走り抜けた。しかし、他人には見えなくとも、これによって白洲がいかに傷ついていたかを、想像すべきだ。彼の生涯に漂う一種の品格は犠牲の上に得られたものである。

 今日、白洲次郎の名が輝いた存在として語られるのも、じつは彼の真っ直ぐな生き方と、流されたおびただしい心血のためであることを、知っておくべきだろう。
「男の品格」と副題を付けた理由も、じつはここにある。

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