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「白洲次郎の生き方」 その2 馬場 啓一

2016年07月07日 00時10分13秒 | 生活信条
 「白洲次郎の生き方」 男の品格を学ぶ 馬場 啓一  講談社 1999年  装画 佐々木 悟郎 

 まえがき その2

 四方を海に囲まれた日本は、太古から海外の文物を積極的に取り入れて成長してきた歴史を持つ。古くは朝鮮半島を通じて中国大陸の影響を受け、その後わずかな期間であったがスペイン、ポルトガル、そして徳川時代には、かすかに開かれたオランダへ通じる窓によって西欧の姿を垣間見た。

 明治になって初めて西欧の事情を知ることになった日本は、慌てふためいて西欧化を図る。それから約80年後、西欧化を修得したつもりだった日本は戦争に負け、こんどはアメリカの強い影響化に入り、今も続いている。これがわが国の海外文物輸入の歴史である。

 文物(ぶんぶつ)を輸入するためには、必ずそこに解釈を行う人間が必要となる。解釈をして初めて、海外のものが日本人に理解されるからである。その意味で、日本の知識人は海外文物の解釈者と、ほぼ同義語であった。

 白洲も、この解釈者の一人として、ここでは規定している。ただ、その姿が解釈者として見えにくいのは、われわれが海外の思想や規律(と言ったもの)を、ややもすると軽んじる傾向があるからだ。白洲が解釈しようとしたものがじつはそういう内容だったため、今日、彼を解釈者として位置づけできない結果となっている。


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