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「語りの力と教育」 その5 高橋郁子

2014年07月19日 00時23分38秒 | 民話(語り)について
 「語りの力と教育」 その5 高橋郁子

「消えた昔話」

 昭和44年に村田潤三郎氏が行ったインタビュー内で、テレビが普及した影響で、
瞽女宿に近所の人たちが誰も集まらなくなったと瞽女が嘆いている場面がある。

 住宅事情の変化や、テレビなどの娯楽が増すといった、生活環境の変化により、
昔話の古い形での語りは消えていった。

「現在は、もう昔話伝承の糸がきれかかっている。
村や家や小学校の生活のなかで、昔話の語りの場を失ってしまったかに見える。
昔話は口で語り、耳で聞くというところが昔話の生命で、そこに人間的なふれあいもある。
(略)そういう耳の昔話が、今は目の昔話に変わっていくときでもある。

 つまり、言葉の昔話が文字の昔話におきかえられていく。
しかし、その独自な語りの形式や語り口は消えていく。(新潟14P」

 昔話の衰退は、高齢者の役割が減ることにもなる。
語るべきものを語れなくなった高齢者は、家庭内での地位もそれによって
低下していたのではないだろうか。
そして、語りの場を失うことにより、地域社会の文化の伝承も途切れ始める。

「昔ばなしの母胎である地域社会の生活文化というものは、(略)きわめて日常的なものである。
それはまた、ひとつの世代からつぎの世代へと、
村人全体によって構成される共同体が集団的にゆずり渡してゆくものである(桜井P21」

 昔話を語る場、それは生活文化を伝承する場でもあった。
その場を失うことにより、地域社会という共同体にも陰りが見え始めた。

 しかし、「昔話」は新たな文化の「素材」となって、意外な場所に姿を現すことになる。

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