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「ゆとり」が大人をダメにする 伊集院 静

2014年12月04日 00時19分27秒 | エッセイ(模範)
 「大人の流儀」 エッセイ集  伊集院 静  講談社 2011年

 「ゆとり」が大人をダメにする P-52

 明治の文学者、正岡子規は晩年の数年間で日本の俳句大系独りでまとめ、俳句が文学であることを世に知らしめた。彼がいなければ俳句はいまだもってご隠居さんの遊び事に過ぎなかったかもしれない。

 今、子規の小説を執筆している関係で数年前から子規を見つめはじめた時、いくつかのわからない点があった。そのひとつが三十歳そこそこの若者が明治以前に厖大にあった俳句の作品と俳人たちをどうやって整理し、分析、解析し、ひとつの文学大系にいたらしめたかである。しかもすでに子規は病床の身であった。

 子規がこしらえた年表、作者ごとの解説の冊子、原稿は枕元に積めば天井に届くほどである。その年表、山と積まれた草稿も写真で見た。人間業とは思えない。
 子規は文章、作品を正確に読み解くことも、執筆するのも驚くほど速く、しかも丁寧だった。
―――なぜ独力でこの量をなし得たか?
 答えの一端を書くと、子規にその能力を与えた教育があった。

 子規六歳の折(明治五年)父が酒の飲み過ぎで他界し、一家は若い妻と子規に三歳の妹が残され、路頭に迷う。この時、若い母、八重子は息子の将来のためにしっかりした教育を受けさせることを決意する。幸い八重の父は旧松山藩で一、ニと言われた儒学者だった。大原観山という。この父の下に息子を通わせる。子規は勿論、右も左もわからぬ。文章ひとつ読んだことのない少年である。

 母は朝四時半に息子を起こす。少年は訳がわからない。眠い。その少年の鼻先に母は好物の饅頭や餅をかかげ、手を伸ばした子を少しずつ起こし、顔を洗わせ、薄暗い道を手習いのための机板をかかえさせ、家を出す。やがて塾が見えると、そこに門弟を数多(あまた)かかえた観山みずからが夜明けの門前に立って孫を迎えた。

 授業は素読である。漢籍、すなわち漢詩を祖父が読み、孫は文字を目で追い、耳に聞こえたとおり音読をする。内容は勿論、理解できるはずがない。これをくり返すと子規はほどなく孟子の詩を読めるようになった。天才か?違う。誰だって子供の時、素読をくり返したら読めるようになるし、諳(そらん)んじる子供も出る。子供の能力とはそういうものだ。観山が体調を崩した後も彼はしかるべき門弟をつけて素読を続けさせる。

 実はこの時にできた素養こそが少年が成長した後、挑(いど)むべき仕事を見つけ出した時の最大の力となったのである。

「ゆとり教育」では子規は生まれなかった。

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