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「酔狂態」 マイ・エッセイ 1

2013年07月19日 00時17分00秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
   酔狂態

 桜桃忌が六月十九日、三鷹市の禅林寺で行なわれるのを知って、もう四十年になる。私はそれ以来、桜桃忌を忘れたことはない。
 作家太宰治が愛人とともに玉川上水に入水自殺し、遺体が上がった日を命日として、晩年の名作「桜桃」にちなんでつけられた法要で、不思議にその日はたいがい雨が降る。
 その桜桃忌へ、学生時代に行ったことがある。近所の酒屋で二合瓶を買って、太宰の墓にかけてやった。
 本堂では法要が行われていた。もしかして知っている作家に会えるかと思って、墓地で法要が終わるのを待っていた。
 すると、まだ読経が聞こえるなか、着流しの人がふらふらと歩いてきて、墓地の中にある鐘楼に登ると、鐘を突き始めた。
 (山岸外史さんだ)おれは直感した。
「人間・太宰治」という、太宰との交友を書いた本を読んでいて、名前は知っていた。
 太宰のことを書いた本の中で、おれが一番気に入っていた本だ。
 鐘を突き終わると、かなり酒に酔っているらしく、足をふらつかせながら歩いてきた。初めて見る山岸さんの姿は、おれが描いていた「文士」のイメージ、そのままだった。
 その時の思いを手紙に書いて、山岸さんに出した。
「あれは『酔狂態』というものです」という返事の葉書がきた。「酔狂態」、初めて聞く言葉だった。

 それから、しばらくして、山岸さんの家を訪ねた。奥さんらしい人に来意を告げると、奥の部屋に行った。
「あそこに山岸さんがいるんだな」胸をときめかせた。
 ほどなく戻ってくると、「いま、とても時間を大切にしている。会っている時間はない」と言われた。
 おれは返す言葉もなく、むなしく帰った。
 あれから、もう四十数年、「時間を大切にする」という意味がよくわかる。
私もあの時の山岸さんと同じくらいの年になった。

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