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「インドア派の遠吠え」 マイ・エッセイ 34

2019年05月07日 22時55分28秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
 インドア派の遠吠え

 五月の連休を目前に控えたある日の夜、江戸時代の庶民の暮らしにスポットを当てたテレビ番組をやっていた。
 火事が頻発した江戸時代、庶民は明日はどうなるかわからない、今日を楽しく生きられればいいと考えた。自分の身の丈をわきまえて、貧乏さえ楽しんでしまうたくましさとユーモア精神を持っていた。それは「宵越しの金は持たない」という江戸っ子気質を育てた。
 歴史学者がそれを「脳内リゾート」という言葉を使って説明していた。「脳内」、つまり頭の中に「リゾート」を築くことができれば、お金がなくても、遠くへ行くことができなくても、楽しむことができる。江戸時代の庶民はそれが上手で、今の人はそれが下手じゃないかと指摘していた。 
 これでは連休の人出を当て込んでいる観光地からクレームが来るのではないかと心配したが、「脳内リゾート」という言葉の意味を知ったときには、やっとオイラの「出不精」を正当化してくれる言葉に出会ったと、モヤモヤしていた何かがくっきりとフォーカスされた。
 知り合いの女性に会ったとき、さっそく仕入れた知識をひけらかそうと「脳内リゾットって知ってる?」と偉そうに聞いた。「何? それ、どんな食べ物?」と突っ込まれて、顔面蒼白。そういえば、西洋風のおじやのことをシャレた言い方でリゾットって言ってたなと瞬間的に思い出し、「究極の節約術」とか、「俳句はその最高峰」とか、焦って説明すればするほど、「それって『リゾット』じゃなくて『リゾート』なんじゃないの?」と言われて、ウロ覚えがバレてしまった。
 悔しさもあって、家へ帰って調べてみると、赤瀬川原平という芥川賞作家が作った「脳内リゾート開発事業團」というグループ名から来ていることがわかった。すっかり忘れていたが、彼の作品「老人力」と「新解さん」は読んだことがあった。なんだ、「脳内リゾート」はあの作家の造語なのか、女性と会話したときの恥かきもあって、オイラの頭の中に完全にインプットされた。
 ライフスタイルをアウトドア派とインドア派に分けると、オイラは間違いなくインドア派だ。外へ出かけるよりも、部屋にこもって本を読んでいるほうがよっぽど性に合っている。これは若いときからの筋金入りだが、今まではインドア派は引きこもりのイメージがあって、なんとなく分が悪い気がしていた。だけど、この言葉を知って勇気凛々。これでマイナスイメージを払拭させる反撃体制が整った。
 オイラは五月の連休に旅行に出かけたことが一度もない。そのことにいくばくかのやっかみ、後ろめたさを感じていた。しかし、今年の連休は違った。明確な意思、確固たる信念を持って、たった一歩も敷地の外に出なかった。メディアでみんなが外へ出かけてはしゃいでいる姿を目にしても、妬ましさを微塵も感じなかった。逆にアウトドア派の人たちに挑戦状を叩きつけたいくらいだ。
「アウトドア派の諸君、動けるうちはいいよ。だけど、動けなくなったときのことを考えたことがあるかい?」

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