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「死ぬ気まんまん」 佐野 洋子

2013年12月16日 00時35分49秒 | エッセイ(模範)
 「死ぬ気まんまん」 佐野 洋子 著  初出 小説宝石 2008年5~8月号、2009年4、5月号
1938年生まれ、2010年11月5日死去、享年72。絵本作家・エッセイスト 代表作「100万回生きたねこ」

 私はガンになっても驚かなかった。
 二人に一人はガンである。
 ガンだけ威張るな。もっと大変な病気はたくさんある。
リューマチとか、進行性筋萎縮症とか、人工透析をずっとずっとやらなければならぬ病気とか。
 ガンは治る場合も大変多い。治らなければ死ねるのである。
 皆に優しくされながら。
 私はウツ病と自律神経失調症の方がずっと苦しくつらかった。
 ウツ病は朝から死にたいが、死んではいけない病気である。自殺は周りに迷惑をかける。
私は息子がいなかったら、ウツ病で死んでいたと思う。親が自殺した子供にしたくなかった。
あの時は子供に命を助けてもらった。(P-16)

 先日、先生が何か注射してくれたら、頭が一日で、ツルッパゲになってしまった。
 お寺の坊主よりツルッパゲで、お寺の坊主は毛根があるから青かったりするが、私は毛根もないのである。
 帽子を買ったり、もらったりしたが、私は帽子が似合わない。
 ので、家の中にいる時はツルッパゲのまんまにした。ツルッパゲになってわかったが、
私は頭の形がいいのである。
 そして、ツルッパゲになった私を見ると、私は初めて「私」そのものになった気がした。
 一生嘘をつかなかった人はこんな形の心を持っているのだろうか。
 そして気が付いた、私は顔だけブスなのだ。若い時、私は自分の手と足にほれぼれしていた。
全体から見ると顔の面積などいくらでもないのだが、女は顔が命なのは七十年間じっくり味わった。
 私は利口ではないが、すごく馬鹿というわけでもないと思っていた。
しかし、私は今度生まれたら「バカな美人」になりたい。
この間、鏡で顔を見て、「あんた、その顔でずっと生きてきたんだね、健気だったね、偉かったね」
と言ったら涙が出て来た。自分の健気さに。(P-50)

 「立派に死のう」と思うようになった。
 立派って何だかわからない。
 『戦国武将の死生観』という本を読んだら、実に名を惜しむのである。
思いっきりがよく、恥をおそれて腹を切る。だれも「命は地球より重い」なんて言わない。
私も侍のように死にたいと思った。
 それって、この民主主義の世の中でどのように死ぬことなのだろう。
 「関ヶ原」に、麻酔を持った医者が同行していたとは思えない。
 戦場のうめき声はすごかっただろうと思う。(P-53)

 私は今が生涯で一番幸せだと思う。
 七十歳は、死ぬにはちょうど良い年齢である。
 思い残すことは何もない。これだけはやらなければなどという仕事は嫌いだから当然ない。
幼い子供がいるわけでもない。
 死ぬ時、苦しくないようにホスピスも予約してある。
 家の中がとっちらかっているが、好きにしてくれい。
 あの世などあると思わないが、もしあって親父がいたら、私は親父より二十も年上なので、
対応に困ると思う。
 すっげえ貧乏をした。私が学んだことは、全て貧乏からだった。
 金持ちは金を自慢するが、貧乏人は貧乏を自慢する。
 みんな自慢しなければ生きていけないんだな。(P-57)
 


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