民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「打ち消したい過去」 マイ・エッセイ 21

2016年07月21日 00時06分12秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
   打ち消したい過去

 オイラは六十代も後半にさしかかった団塊の世代。最近とみに過去を振り返ることが多くなってきたが、どういうわけかいいことよりも悪いことのほうが多い。
 やり直したい過去がある。右に行こうか左に行こうか迷ったとき、あのときは右を選んだけれど、もし左を選んでいれば、違った人生になっていただろう、そんな思いが頭をよぎる。
 それとは別に、打ち消したい過去がある。いまなら絶対にそんなことはしない、と誓って言えるのに、どうしてあのときはあんなことをしてしまったのだろう、という自責の念にかられる。

 高校二年も終わりになって、いよいよ進路をどうしようかというとき、学校の先生になろうと決め、一番成績のいいのが英語だったという理由で、文学部英文学科に進み、東京で一人暮らしをはじめた。
 入学してみて女が四人に男は一人の割合で、圧倒的に女が多いことを知る。オイラは田舎弁丸出しだし、男子校だったので女に免疫がなかったから、場違いなところにきてしまった、と先行きに不安を覚えた。女たちは華やかでまぶしく、男たちはアイビールックとやらで格好よく決めているなか、オイラはガクラン(学生服)に高ゲタとバンカラ気取りでイキがっていた。
 今日は天気がいいから外で授業をやるか、と近くの植物園に行ったときは、さすが大学ってところは自由なんだ、と感心した。けれども、何百人も収容できるマンモス講堂で、学生が何をしていようがおかまいなしの授業や、代返であることを知っていながら試験もせず、出席日数さえクリアすれば単位を取得できる授業に、しだいに疑問を覚え、違和感を感じるようになっていった。それでも、一年のときはオイラはまだウブで向学心を失っていなかったから、まじめに学業にいそしんでいた。
 第二外国語に選んだドイツ語の試験のときだった。驚いたことに、みんなおおっぴらにカンニングをしている。講師は見て見ぬふりだ。オイラはそんなヤツらに挑戦状を叩きつけるように、答案を白紙で提出した。 
 大学生活にもだいぶ慣れてきた二年になるころ、ベトナム戦争反対を契機にした学生運動が激しくなって、オイラの大学も封鎖されてしまった。行き場を失ったオイラは駅の近くにあった将棋道場に行くようになり、やがて将棋の魅力にとりつかれ、入りびたるようになった。
 大学には六年在籍していたけれど、いつまでも遊んではいられない。田舎に帰って、大学を卒業できなかった落ちこぼれとしてアウトローの道を歩むことになる。
 負け犬の遠吠えでしかないが、オイラは大学を中退したことを誇りに思っている。、大学に愛想をつかし、答案を白紙で提出したように、中退という選択を相手に突きつけた。
 カンニングをして卒業していった人たちは、あのときが「打ち消したい過去」になっているのだろうか。

音で読む芭蕉 その2 鴨下 信一

2016年07月19日 00時34分27秒 | 日本語について
 「日本語の呼吸」 鴨下 信一 筑摩書房 2004年

 音で読む芭蕉 その2 P-159

 そうした音感覚にすぐれた人物を一人挙げよといったら、ぼくはすぐさま<芭蕉>の名を挙げるでしょう。この人こそは音の天才、音を聞く天才、それを自分の作品に生かす天才でした。
 どうしたことか。これだけたくさん芭蕉に関する本が出ているのに、芭蕉の音のことをとり上げた本は少ない。ましてその句の解釈を<音>の立場からしてみようという本は稀なのです。ところが、すこし音に即して芭蕉の句を鑑賞してみると、芭蕉はこんな新鮮な顔があったのかと驚くことになる。

 (一)蝉の声・芭蕉の音

 Shi――の音が響く「閑(しづか)さや」

 芭蕉の俳句で、いかに<音>が重要かを知るには、この句がいちばんいい。とにかく、まず声に出して読んで下さい。

 閑(しずか)かさや 岩(いは)にしみ入(いる) 蝉の声

 元禄2年(1689)の春、46歳の芭蕉は「行く春や 鳥啼魚の 目は泪」を旅立ちの句として、弟子の曽良を連れ奥の細道の旅に出ます。
 江戸時代の東北・奥州への旅の通例として、まず日光へ向かい「あらたうと 青葉若葉の 日の光」(東照宮)、福島白河の関を越えて、源義経の館があったと伝えられる高館では「夏草や 兵共が ゆめの跡」、中尊寺では「五月雨の 降(ふり)残してや 光堂」の句を残して、宮城県から山形県に入ります。この陸奥の国から出羽の国に抜ける山越えの旅の時、鳴子(今、こけしで有名)の近くで詠んだのが「蚤虱 馬の尿(しと)する 枕もと」だそうです。

 中略

 この「閑さや」の句は、奥の細道の旅での秀吟といわれていて、間違いなくそうでしょう。芭蕉の句のほとんどは何もむずかしい解釈がいらない。それでもこの蝉はどういった音で鳴いていたのか。これは興味をそそられます。学者の間でも、どんな蝉だったか論議がやかましいのです。

 後略(この後、興味深い話が続くが、手が痛くなってきたので省略)


音で読む芭蕉 その1 鴨下 信一

2016年07月17日 00時02分41秒 | 日本語について
 「日本語の呼吸」 鴨下 信一 筑摩書房 2004年

 音で読む芭蕉 その1 P-158

 昔は今とちがって、この世界は静かだった。
 ほんとうにそうでしょうか。
 向田邦子さんに「子供たちの夜」というエッセイがあります。

「戦前の夜は静かだった。
 家庭の娯楽といえば、ラジオくらいだったから、夜が更けるとどの家もシーンとしていた。
 布団に入ってからでも、母が仕舞い風呂を使う手桶の音や、父のいびきや祖母が仏壇の戸をきしませて開け、そっと経文を唱える気配が聞こえたのだった。裏山の風の音や、廊下を歩く音や、柱がひび割れるのか、家のどこかが鳴るようなきしみを、天井を走るねずみの足音と一緒に聞いた記憶もある。飛んでくる蚊も、音はハッキリ聞こえた」

 いやいや静かどころではない。「シーンとしていた」と言いながら、向田さんは実にたくさんの<音>を拾っている。実はこの世界は音で充満していたのです。この本では<(書かれた)言葉を音にする作業>をずっとやってきましたが、こうした作業の過程で、すこしは<音に対する敏感さ>を取り戻すことができたような気がします。
 この感覚がもどってくると、それまで読んでいた文学作品が、まったくちがう姿を現します。これが素晴らしいのです。特に古典、半世紀ちょっと前の向田さんの子供の頃ですらこうなのですから、昔の人はもっともっと耳が鋭かった。いろいろな音を聞き分け、楽しみ、そしてそれらの音を文学作品の中に取り込んでいったのです。

「あくせく自適で行くんだ、オレは!」 加藤 芳郎

2016年07月15日 00時41分10秒 | 健康・老いについて
 「あくせく自適で行くんだ、オレは!」 加藤 芳郎 講談社 1995年

 まえがき

「悠々自適」は、遠くにありて思うもの。
 あんなものを手に入れた日には5年でボケるよ。
 ボケるだけならいいが、7~8年もしたらあの世逝きだ。現にぼくの知るかぎりの「悠々自適」組はたいがいそうなっちゃった。
「これからは悠々自適で行くよ」
「おかわいそうに」
 そういう感じだね。
 元気で人生80年時代をまっとうしようと思ったら、「悠々自適」なんか求めないことだよ。
 人生というのはいくつになっても荷物を持っていないとダメなんだ。若い時はたくさんの荷物を持って、で、そこそこ歳を取ったら大荷物は片づけて。でも、全部片づけてはいけない。
 小荷物を少しだけもって、それであくせくやっていくこと。
 仕事でも同窓会の幹事でも、町内の手伝いでもボランティアでもなんでもいい。なにか一つ二つ持って、それでときどき時間に追われたりして。そのあくせく感を楽しむこと。
 オッ、このあくせく感はオツだねぇ。これはいいボケ封じだ、と思うこと。それが「あくせく自適」ということなんだ。
 ぼくは元気で長生きしたかったら「あくせく自適」にやることだと常々思っている。「あくせく自適」以上の名医はないとすら思っている。「あくせく自適」は医者いらずなんだ。

 (中略)

 憎まれ口をきくには体力がいるからね、それに気力も必要だ。「悠々自適」やっていたらそんな体力も気力もしぼんじゃう。
 これはもう「あくせく自適」に生きるしかない。 
 あくせくだけでは疲れるから、自適というスパイスで整えて、そのうえで憎まれ口を叩くんだ。それは大人の義務だと思う。生きているかぎり、憎まれ口を叩く義務がある。なんたってこの国のことが好きなんだから。これ以上ヘナチョコな国にしてしまうなんてマッピラだからネ。
「あくせく自適」は気合なんだ。その気合が、体力充実、気持ちの高揚、長寿の秘密、元気な晩年の元になると思えば、ぼくはとことん「あくせく自適」で行ってやる、生きているかぎりはね。
 もう一回いうが、「あくせく自適」は医者いらず、ボケたくなかったら、これしかない。

 加藤 芳郎 1925年、東京生まれ。漫画家。

「カジュアルに骨董を楽しむ暮らし」 平松 洋子

2016年07月13日 00時17分45秒 | 生活信条
 「カジュアルに骨董を楽しむ暮らし」 平松 洋子 主婦の友 2003年

 「朝を重ねて」 P-6

 東の空が明るく冴えると、透明な光の束が窓からたっぷりと差し込んでくる。今日といういちにちを輝かせる、朝の光である。
 毎朝おなじ営みの繰り返しに見えながら、そのじつ朝の空気は微妙に違う。若葉萌ゆる朝。黒土に雨滴る朝。蝉の声鳴り響く朝。初霜の降りる朝。ぼたん雪の朝。――どれもこれも、今日このたったいちにちだけの、初めての朝。

 しかし、私はふと立ち止まる。この暮らしのなかの古いものたちは、もしかしたらいつかどこかで、今朝とおなじような空気に親しく包まれたことがあるのかもしれない、と。
 古いものには、時間の流れが宿っている。
 歳月をくぐり抜けてきたものには、おだやかに混ざり合い、積み重ねられた時間がたゆとうているものだ。手で触れれば、その流れは肌を通してこちらのからだのなかへふうわりと溶け込み、不思議なあたたかさを伝える。

 けれども。新しいもの、古いもの。このふたつを、私はちっとも分けない。だって、新しいものにだって、いいもの、つまらないものがあるように、古いものにだって素敵なもの、おもしろくないものはいくらでもある。だから、無条件に「古いもの=価値がある」とも思わない。
 新しくても、古くても、それが魅力的でさえあれば、肩を抱くようにして身近に引き寄せ、むしょうに大事にしたくなる。
 私の暮らしにはそんな大切な古いものがたくさんあって、たった今このときの「現在」と混ざり合っている。(中略)

 今さらながらに気づく。古いものたちは、こうしてずうっと、ずうっと生き続けてきたのだな。ひとつひとつの朝を重ねてきたのだな。
 古いものがあちこちにあれば、不思議なことにあたりの空気が和らぐ。ぽん、と静かにそこにあるだけなのに、いつのまにか暮らしにふくらみをもたらしている。
 それは、古くて美しいものたちが与えてくれた贈りものかしらん。