今日、昼食の後、こたつで寝転んでいたら、午睡をしてしまった。目が覚めるとNHKテレビで、「あの日あの時あの番組」というアーカイブ番組で「「シリーズ平成 躍動!日本人大リーガー」と題して流れていた。2003年に放送されたものを流し振り返る番組だった。眠気覚ましにみていたら、引き込まれてしまい最後まで見てしまった。
内容は、松井秀喜選手としてが大リーガーのヤンキースに入団した年の1年を作家・伊集院静さんの視線で追い続けたものだ。平成30年間に起きた出来事を振り返るシリーズの3回目。平成の時代、日本のプロ野球選手が、次々に海を渡って活躍し、大リーグへの関心が高まった。その立役者のひとりである松井秀喜選手の苦悩と活躍の1年を追っている。伊集院さんの文章と映像で表現されていた。当時の画面比率は4:3であった。左右の幅が狭い映像が、時代を感じさせ懐かしかった。
松井さんもレポーターの伊集院さんも16年前の姿だったはずだが、私にとっての松井秀喜選手は、当時のままだ。失礼かもしれないが伊集院さんの現在はそれなりの年月を経た姿だった。
アメリカファンも期待した。しかし、5月に無安打が続く不振状態となった。球団は、高額のお金を払ったのに活躍できない松井選手を非難した。松井選手は耐え続け、ひたすら打席に立つ。守備ではファインプレーを見せるなど、次第に松井選手の努力を評価するようになってきた。
伊集院さんが、松井選手が好きだというアメリカでのちびっこファンに、共通する傾向があることを見出した。松井選手のちびっこファンは、どこかシャイな子供たちが多い。それは、松井選手の“やさしさ”がちびっこの心に響いたからだろうという。
さらに、メディアでも松井選手を評して、
“Modesty”(慎み深い)人だと称賛するようになった。今まで大リーグにはいなかった選手だと。打順が7番に下がってもひたすら試合に出る。松井選手の努力と謙虚さが評価されたのだと伊集院さんはいう。
このアーカイブの映像が終了してから、現在の伊集院さんと司会の森田アナウンサーが、このアーカイブ映像を振り返り、2年目以降の映像も流しながら、新たなエピソードを交えコメントしていた。
松井さんは公表していないが、難病の治療のために密かに寄付をしたことなど、思いやるところもあったようだ。
そして、巨人に入団したときの記者会見を伊集院さんは評価した。「ほとんどの選手は、成績目標をあげるなどを豊富として述べるのだが、松井選手は、“子供たちが野球を楽しんでもらえるように頑張りたい”というようなコメントをした」。
松井選手がヤンキースに入団した時、ワールドチャンピョンは逃したが、ワールドシリーズへの挑戦する試合で、ヤンキースが5対3で負けていた。チームメイトのヒットで松井選手が、滑り込んで同点のホームを踏んだ。松井選手は起き上がるや否やひざを曲げ宙に飛びあがった。伊集院さんは、このような表現をしたのは見たこともない。このとき限りだろう。
大きく口を開け(何かを叫んだ様だ)ひざを曲げ宙に浮く松井選手の静止画は、私の脳裏にも残っている。2003年に放映されたときのタイトルだが、「松井秀喜 ベースボールの神様に抱かれて」を現している姿だ。伊集院さんも「神様が吊り上げているようだ」と評していた。
小学校中学年の時テレビを見た。野球中継はいつも見ていた。私はスポーツ音痴で、稲狩りが終わった後の田んぼで、平手で打つゴムまりの三角ベース野球をやるのが唯一の楽しみだった。だが、父由来の巨人フアンであることには違いない。今は、野球中継は殆ど見なくなったが、弱くても巨人を応援している。
いつか、松井秀喜さんが巨人を率いて、日本一を奪還して欲しいと願う。そして、単に強いだけでなく、Modestyな監督として!
内容は、松井秀喜選手としてが大リーガーのヤンキースに入団した年の1年を作家・伊集院静さんの視線で追い続けたものだ。平成30年間に起きた出来事を振り返るシリーズの3回目。平成の時代、日本のプロ野球選手が、次々に海を渡って活躍し、大リーグへの関心が高まった。その立役者のひとりである松井秀喜選手の苦悩と活躍の1年を追っている。伊集院さんの文章と映像で表現されていた。当時の画面比率は4:3であった。左右の幅が狭い映像が、時代を感じさせ懐かしかった。
松井さんもレポーターの伊集院さんも16年前の姿だったはずだが、私にとっての松井秀喜選手は、当時のままだ。失礼かもしれないが伊集院さんの現在はそれなりの年月を経た姿だった。
アメリカファンも期待した。しかし、5月に無安打が続く不振状態となった。球団は、高額のお金を払ったのに活躍できない松井選手を非難した。松井選手は耐え続け、ひたすら打席に立つ。守備ではファインプレーを見せるなど、次第に松井選手の努力を評価するようになってきた。
伊集院さんが、松井選手が好きだというアメリカでのちびっこファンに、共通する傾向があることを見出した。松井選手のちびっこファンは、どこかシャイな子供たちが多い。それは、松井選手の“やさしさ”がちびっこの心に響いたからだろうという。
さらに、メディアでも松井選手を評して、
“Modesty”(慎み深い)人だと称賛するようになった。今まで大リーグにはいなかった選手だと。打順が7番に下がってもひたすら試合に出る。松井選手の努力と謙虚さが評価されたのだと伊集院さんはいう。
このアーカイブの映像が終了してから、現在の伊集院さんと司会の森田アナウンサーが、このアーカイブ映像を振り返り、2年目以降の映像も流しながら、新たなエピソードを交えコメントしていた。
松井さんは公表していないが、難病の治療のために密かに寄付をしたことなど、思いやるところもあったようだ。
そして、巨人に入団したときの記者会見を伊集院さんは評価した。「ほとんどの選手は、成績目標をあげるなどを豊富として述べるのだが、松井選手は、“子供たちが野球を楽しんでもらえるように頑張りたい”というようなコメントをした」。
松井選手がヤンキースに入団した時、ワールドチャンピョンは逃したが、ワールドシリーズへの挑戦する試合で、ヤンキースが5対3で負けていた。チームメイトのヒットで松井選手が、滑り込んで同点のホームを踏んだ。松井選手は起き上がるや否やひざを曲げ宙に飛びあがった。伊集院さんは、このような表現をしたのは見たこともない。このとき限りだろう。
大きく口を開け(何かを叫んだ様だ)ひざを曲げ宙に浮く松井選手の静止画は、私の脳裏にも残っている。2003年に放映されたときのタイトルだが、「松井秀喜 ベースボールの神様に抱かれて」を現している姿だ。伊集院さんも「神様が吊り上げているようだ」と評していた。
小学校中学年の時テレビを見た。野球中継はいつも見ていた。私はスポーツ音痴で、稲狩りが終わった後の田んぼで、平手で打つゴムまりの三角ベース野球をやるのが唯一の楽しみだった。だが、父由来の巨人フアンであることには違いない。今は、野球中継は殆ど見なくなったが、弱くても巨人を応援している。
いつか、松井秀喜さんが巨人を率いて、日本一を奪還して欲しいと願う。そして、単に強いだけでなく、Modestyな監督として!