日のスノーボールクッキーは美味しかった。妻が数日前から、クッキー作りに挑戦していた。最初はスノーボールではないが、平べったいクッキーだったが、電子レンジでの加熱時間が長かったためか、焦げてしまった。数日後次は白くて丸いものを作った。表面が粉ぽっく、生かなと思うほどだ。さらに指でつまむと崩れそうだった。妻に聞くと、これでも焼いてあるとのこと。
何ていう菓子なのか聞いたが、何だったかしらと生返事。しかし、味は美味かった。
タッパーに入れてあったが、つい摘まんでしまい。あっという間になくなった。
さて、今日、外作業から戻ってくると丸い白いクッキーが出来上がっていた。摘まむと、今回は、見た目は硬さがありそうだったが、口の中で軽くカリッと砕け、味も良かった。何というクッキーなのか?と聞いたところ。何だったかなと言いながら、妻はスマホで検索し見つけた。この時、このクッキーが“スノーボールクッキー”というのだと知った。
妻からの一日遅れのバレンタインプレゼントだった。チョコも粉砂糖もなかったので、トッピングはないが、ほんのりした甘さ、香ばしさがあった。
ところで、バレンタインというと思い出すエピソードがある。
3月末で定年を迎える年の2月14日、私は当時の社内の廊下を歩いていた。すると前方から、ある女性(Aさん)が私の名前を呼びながら近寄ってきた。会うや否やチョコレートを手渡された。その人は5年前まで、私が所属していた組織のスタッフだった。
私は4月からAさんの所属するチーム、つまり私にとっての古巣に非常勤で勤めることになっていた。「戻ってきてくれるそうですね。とてもうれしい」と語った。私も何んと返答してよいやら。戸惑いながら「ありがとうございます」というのが精いっぱいだった。
古巣時代のリーダーは、豪快かつ己の道を行くパワーのある人だった。Aさんは、リーダーの補佐役として、時にはリーダーの猛進を抑え、ある時はリーダーを陰ながら支えていた。その後、別なリーダーになっていが、この女性は5年前の当時のリーダーが残した功績をフィードバックしたかったのかもしれない。
しかし、Aさんと言葉を交わしたのは、この時が最後だった。この時のAさんのチョコの真意は私の想像に過ぎない。
3月のホワイトデイの返礼を何にしようかと思いながら、3月初めに古巣のチームを訪問した。しかし、Aさんは病気で休んでいるという。復帰したら渡そうと思った。
だが、4月になっても復帰されなかった。しばらくして、Aさんは亡くなってしまった。ガンの再発だったとのこと。
Aさんとの再会は、ご遺族となったご主人とお子さんの参列する葬儀の時の遺影だった。
翌年から、私のバレンタインの思いでは、Aさんのチョコとあの時のメッセージだ。今の私は非常勤職員を退職しているが、勤めていた間、果たしてAさんの期待に沿えたのだろうか? 毎年自問する。そして、永遠にAさんへのホワイトデイはやってこないと。
何ていう菓子なのか聞いたが、何だったかしらと生返事。しかし、味は美味かった。
タッパーに入れてあったが、つい摘まんでしまい。あっという間になくなった。
さて、今日、外作業から戻ってくると丸い白いクッキーが出来上がっていた。摘まむと、今回は、見た目は硬さがありそうだったが、口の中で軽くカリッと砕け、味も良かった。何というクッキーなのか?と聞いたところ。何だったかなと言いながら、妻はスマホで検索し見つけた。この時、このクッキーが“スノーボールクッキー”というのだと知った。
妻からの一日遅れのバレンタインプレゼントだった。チョコも粉砂糖もなかったので、トッピングはないが、ほんのりした甘さ、香ばしさがあった。
ところで、バレンタインというと思い出すエピソードがある。
3月末で定年を迎える年の2月14日、私は当時の社内の廊下を歩いていた。すると前方から、ある女性(Aさん)が私の名前を呼びながら近寄ってきた。会うや否やチョコレートを手渡された。その人は5年前まで、私が所属していた組織のスタッフだった。
私は4月からAさんの所属するチーム、つまり私にとっての古巣に非常勤で勤めることになっていた。「戻ってきてくれるそうですね。とてもうれしい」と語った。私も何んと返答してよいやら。戸惑いながら「ありがとうございます」というのが精いっぱいだった。
古巣時代のリーダーは、豪快かつ己の道を行くパワーのある人だった。Aさんは、リーダーの補佐役として、時にはリーダーの猛進を抑え、ある時はリーダーを陰ながら支えていた。その後、別なリーダーになっていが、この女性は5年前の当時のリーダーが残した功績をフィードバックしたかったのかもしれない。
しかし、Aさんと言葉を交わしたのは、この時が最後だった。この時のAさんのチョコの真意は私の想像に過ぎない。
3月のホワイトデイの返礼を何にしようかと思いながら、3月初めに古巣のチームを訪問した。しかし、Aさんは病気で休んでいるという。復帰したら渡そうと思った。
だが、4月になっても復帰されなかった。しばらくして、Aさんは亡くなってしまった。ガンの再発だったとのこと。
Aさんとの再会は、ご遺族となったご主人とお子さんの参列する葬儀の時の遺影だった。
翌年から、私のバレンタインの思いでは、Aさんのチョコとあの時のメッセージだ。今の私は非常勤職員を退職しているが、勤めていた間、果たしてAさんの期待に沿えたのだろうか? 毎年自問する。そして、永遠にAさんへのホワイトデイはやってこないと。