昨年の森友・加計学園問題は、国会での官僚発言の「記憶にございません」により、うやむやになったままだ。そして、今年も“統計不正”が国会で論議され、行政に対して、官邸が指示したのではないかという疑惑が出てきている。そして、官僚の答弁はまたしても、「記憶にございません」だ。
人は、記憶の積み重ねで人生を歩んでいるといっても過言でない。悲しいにつけ喜ばしことにつけ、記憶があるから、悲しさや喜びを感じる。中には、心理的ショックや事故等により記憶を失う人もいる。また、取捨選択して忘れ去られる記憶もある。
しかし、そもそも、国会で答弁する官僚は、優秀なはずだ。キャリア官僚は、国家公務員上級試験を受け合格したのだ。少なくとも記憶力は良いのではないか。でなければ上級試験は合格しない。なのにこんなにも「記憶にございません」が多発するとは? 今回の統計不正に関しても、官邸と官僚が関わったという“メール”が存在するにもかかわらず、肝心なところでは記憶にないという。
官僚や政治家の方々に、望みたい。記憶を辿って、良否にかかわらず真実を明らかにして、正すべき点は正し論議して欲しい。
今日天皇在位30年式典が行われ、天皇陛下がお言葉を述べられた。陛下は常に、過去の記憶を大切にされ、象徴とは何かを希求しておられた。
今日のお言葉の中にも数々の過去の記憶があった。次に幾つか引用させていただく。
「日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちました」
「気候変動の周期に入り、我が国も多くの自然災害に襲われ、また高齢化、少子化による人口構造の変化から、過去に経験のない多くの社会現象にも直面しました」
「国の安寧と人々の幸せを祈り、象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました」
「象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く」
「被災地の哀しみを我が事とし、様々な形で寄り添い続けてきた全国の人々の姿は、私の在位中の忘れ難い記憶の1つです」
そして、今日のお言葉の最後は、「我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」であった。
天皇は、つねに「象徴としての天皇像を模索」され「(その)道は果てしなく遠く」と語る。憲法の遵守に勤められ、奢ることなく真摯に対応されている。
平成最後の国会で、官僚も政治家も、天皇陛下のように真摯であって欲しい。
人は、記憶の積み重ねで人生を歩んでいるといっても過言でない。悲しいにつけ喜ばしことにつけ、記憶があるから、悲しさや喜びを感じる。中には、心理的ショックや事故等により記憶を失う人もいる。また、取捨選択して忘れ去られる記憶もある。
しかし、そもそも、国会で答弁する官僚は、優秀なはずだ。キャリア官僚は、国家公務員上級試験を受け合格したのだ。少なくとも記憶力は良いのではないか。でなければ上級試験は合格しない。なのにこんなにも「記憶にございません」が多発するとは? 今回の統計不正に関しても、官邸と官僚が関わったという“メール”が存在するにもかかわらず、肝心なところでは記憶にないという。
官僚や政治家の方々に、望みたい。記憶を辿って、良否にかかわらず真実を明らかにして、正すべき点は正し論議して欲しい。
今日天皇在位30年式典が行われ、天皇陛下がお言葉を述べられた。陛下は常に、過去の記憶を大切にされ、象徴とは何かを希求しておられた。
今日のお言葉の中にも数々の過去の記憶があった。次に幾つか引用させていただく。
「日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちました」
「気候変動の周期に入り、我が国も多くの自然災害に襲われ、また高齢化、少子化による人口構造の変化から、過去に経験のない多くの社会現象にも直面しました」
「国の安寧と人々の幸せを祈り、象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました」
「象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く」
「被災地の哀しみを我が事とし、様々な形で寄り添い続けてきた全国の人々の姿は、私の在位中の忘れ難い記憶の1つです」
そして、今日のお言葉の最後は、「我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」であった。
天皇は、つねに「象徴としての天皇像を模索」され「(その)道は果てしなく遠く」と語る。憲法の遵守に勤められ、奢ることなく真摯に対応されている。
平成最後の国会で、官僚も政治家も、天皇陛下のように真摯であって欲しい。