標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

またもや官僚への押し付けか? 嘘の答弁をせざるを得なかった元秘書官?

2018-05-11 20:01:26 | 日記
昨日、国会で元首相秘書官に対する参考人招致が行われた。
野党は証人喚問を要求し、与党は参考人招致を主張し国会の空転を経て、やっと行われた。その過程で、予め与党は元秘書官に加計学園関係者と面会したことを認める方向でで調整していると報道された。その段階から、幕引きを意図し、関係者との面会を認めるためのシナリオ作りを行っていたようだ。



そして、国会終了後の、与党としてはおそらくシナリオ通りになり、これで一件落着という方向が見受けられた。元秘書官は、加計学園関係者と会ったことは認めた。そして、あったことは総理に報告しなかったという。野党は、そんなことはあり得ないと語気を強め追及したが、元秘書官の答弁は、淡々と否定するのみであった。野党もそれ以上追及できなかった。

しかし、今日、愛媛県知事が、愛媛県職員が元秘書官と面会した際の記録とその際の元秘書官の名刺が公開された。知事は柳瀬氏の発言は嘘の部分があり、愛媛県の信頼を損なうと主張した。
元秘書官の答弁では面会相手は10人近くで、主に話したのはメインテーブルの元東大教授(現・岡山理科大獣医学部長)や学園の事務局の職員らで、愛媛県の職員がいたかどうかは、分からないと発言した。

だが、愛媛県知事によると、面会したのは加計学園の関係者、県職員、今治市職員の計6人で、全員がメインテーブルに座ったとし、県職員が積極的に発言した。また、「職員に聞いたところ、この日は元東大教授はいなかった」という。

愛媛県職員の記録通りだとすると、昨日の参考人招致での答弁は虚偽となる。証人喚問でないので偽証罪には問われない。しかし、答弁が罪になるかどうかというより、官僚が嘘を言わざるを得ないところに、重大な問題が潜んでいるといえる。財務省の前理財局長と今回の元首相秘書官は、官僚である。報道によると両者とも本来は、優秀でしかっりした公務員であったとのこと。それが、嘘の答弁をせざるを得なくなった。これは、国民のために勤める官職としての良心的な行為とは思えない。

得体のしれない、否、多分政治家または時の政権の圧力があったと思わざるを得ない。圧力がなかったとしたら、いわゆる忖度である。政権は忖度として、すべて責任を官僚に押し付けようとしている。

国内外は目まぐるしい変化の時だが、官僚に責任を押し付けるような今の状態についても、中途半端な幕引きでなく、事実の洗い出し(または、首相の言う膿出し)を図るべきだと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「不作為の政治責任」。政治は不作為であってはならないが、私的には、時には「無目的」も必要。

2018-05-09 20:05:52 | 日記
昨日の報道番組でコメンテーターが、「(首相は)不作為の政治責任」を問われるとコメントしていた。これは現政権は女性活躍をうたい文句に発足したのに、首相はセクハラ問題についても何も語らないし、何も行っていない。黙秘しているだけだ。公約を推進するためにも、女性活躍以外にも加計・森友問題についても、積極的に取り組み、膿を出し切ってほしいというニュアンスであった。

「不作為」のという言葉を聞いて、私は次のような文言を綴った。「不作為の作為」だ。「何もしないことを遂行すること...」、つまり、何もしないことだ。黙して語らずという言葉があるが、個人の行為としては時には、動かないことは、評価できることもある。しかし、政治・行政は「何もしない」ということを、正当化してはならないのではないか。今日・明日の国民のために何かを為すのが行政だと思う。


話題は転ずるが、「不作為の作為」という言葉を浮かべると、これと意味は関係ないが、用法が似たフレーズを思いだす。
「無目的の目的」だ。私は、中学時代から、折に触れて思い浮かべるフレーズだ。記憶が定かでないが、何かの映画か、小説の中で語られたセリフという覚えがある。また、このフレーズを思い浮かべると「路傍の石」という小説が連想される。これは私の個人的な連想なのか、その作品の中に描かれていたのかは、まだ確かめたことはない。

いずれにせよ、「無目的の目的」は、私にとってはネガティブな響きでない。どちらかというとポジティブだ。平静な気持ちでとらえられる。

ある目的をもって行った行動が、思い通りにならなかった時に、「無目的の目的という言葉もあるではないか」と、後付けで「もともと無目的だったのだ」と言い訳がましく納得する。

ある時には、最初から無目的に街を歩く。歩いているうちに、新たな風景、店、建物、看板や花などを発見する。このようにいつも歩いているところを目的を持って歩く時より、発見できることが多いように思う。

小説や映画の「路傍の石」の内容はあまり覚えていないが、このタイトルを思うと、思い出す一場面がある。モノトーンのシーンだが、学生帽をかぶった少年が砂利道を行く後ろ姿で、カメラを路面に置いたアングルで撮ったものだ。左側には道端の小石が大きく映っている。これが私の連想する路傍の石だ。実際の映画の場面かどうかは定かでない。私の勝手な定義付けでは、少年は「無目的の目的」に向かってひたすら進んでいる。その傍らに少年を象徴する「路傍の石」が転がっている。

少年と石に、やや感傷的になった時の私を反映しているのかもしれない。
久しぶりの雨の一日。無為に過ごしたと思えば、そうかもしれないが、無為も時には必要なのだと思った一日だった。

(追記)明日は、会議があるのでブログは休みます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

激動の世界の動きに対応するためにも、我が国の膿を出し切ってほしい。

2018-05-08 19:29:58 | 日記
19日間、与党と一部野党とで審議していた国会がようやく正常化した。
しかし、「(政治や行政の不祥事が相次いでいるのは)首相の言動があるからだ」とか「総理は膿を出し切るというが、膿とは具体的に何なのか」などの質問に対して、総理は何も答えなかったとのこと。また、財務省の決裁文書改ざん問題について、国会を冒とくしているとの発言には、「国民からの厳しい目を真摯(しんし)に受けとめ、信頼回復に向けて総理大臣として責務を果たす」と実行が伴わないお決まりの答弁をしている。



一方、副総理・財務大臣はセクハラ問題について、「セクハラ罪という罪はないでしょう」と発言をしている。取材記者が、女性議員を増やすつもりはないのかという問いに、「今の女性の比率は何対何?」と逆質問を繰り返して、「知らないから聞いているんだよ」と即答できない記者をあざ笑うかのようにニヤニヤしていた。この大臣は、記者となると逆質問をして問題の核心を避ける。はぐらかすのが得意なようだ。

総理は、「膿を出し切り真摯に丁寧に」を繰り返す。それも、「うそ」も真摯に丁寧に説明しているのかな?と疑わざるを得ない。副総理は、事務次官の文書改ざんやセクハラ行為なども、私の問題ではない、自分は悪くないと言わんとしている。

また、副総理は、今日の会見で「(文書改ざんは)どの組織でもありうる。個人の資質だ」という主旨の発言もしたとのこと。
「セクハラ罪という罪はない」や「文書改ざんもどこでもある」という発言は、被害者や国会、公務に携わる一般職員ひいては国民を愚弄する発言だ。

明日は、日中韓の首脳会談が東京で行われる。北朝鮮の非核化問題が重要な議題となるようだが、明らかに中韓と日本とでは北朝鮮に対する対応が異なる。中韓は、制裁の緩和を図りながら対応する方針だが、日本は緩和せず、最強の制裁を続けるという態度だ。中韓は北朝鮮と首脳会談を行ったし、アメリカは日程・場所の調整までできているようだ。しかし、日本は今のところ会談を行うといった兆しはない。北朝鮮の課題については中韓米任せだ。

国内における総理・副総理のお粗末な対応は、所外国にも見透かされている。もう、ごまかしの上塗りではなく、真に膿を出し切って欲しいと願う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが家のシラン(紫蘭)と知り合いから頂いたシャクヤク(芍薬

2018-05-07 19:14:10 | 日記
一般にランは、発芽や育つために環境が重要で栽培が難しい。しかし、シランは発芽しやすく日向でも半日陰でも育つ。特に手入れをしなくとも増える。わが家でもスズランと同じように、枝垂桜の根本周辺の半日陰で元気よく育っている。


今日は、午後2時半ごろから雨が降り出し、時間が経つにつれ雨脚が強くなっている。画像は雨が降る前のシラン。夕方のシランは雨の中でも、きれいだった。紫紅色が雨に濡れ葉の緑と対比し映えていた。


シランの花の部分。

私が小中学校のころだが、友達と山に春蘭を探しに行ったことが何回かあった。当時、父が春蘭栽培に熱中していて、特に斑入りの葉の春蘭が価値があると言っていた。父と山に入り春蘭探しに行ったものだ。子供ながらに何となく雑草と春蘭の区別がつくようになっていた。


花は終わっていて葉だけの春蘭。

友人との山の探索は、それを確かめるためか、それとも単なる冒険心だったかもしれない。蘭はあったが、斑入りでなかったので採取しなかった覚えがある。小高い丘の尾根をいくつか超えて、山の中を歩いた。今、あらためて地図で昔の行程を探索すると、大井町から20kmほど歩いて、秦野まで行った。ほとんど道なき山野を進み、丘から見えた秦野の人家が見え、ホッとした風景が今でも残っている。早春の穏やかな日であった。


これは、妻の友人が持ってきて下さったシャクヤクだ。「立てばシャクヤク、座ればボタン...」とある。ことわざは、美しい女性やその立ち振る舞いを表現しているが、一説にはシャクヤクは立って、ボタンは座って観賞すると美しいという。私もやや上方から撮った写真だ。美しく見えるだろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

卯の花の匂う我が家の庭...、夏が来た。

2018-05-06 21:12:35 | 日記
桜はすっかり葉桜となり、オオデマリも花びらが散っている。両者とも多くの花を咲かせて綺麗だったが、今、まさに卯の花が咲きだした。卯の花とは、ウツギのことをいうそうだ。佐々木信綱作詞の「夏は来ぬ」の出だしの歌詞は「卯の花の匂う垣根に...」だ。よほど良い香りがするのかと思っていたが、それほどでもない。


上方の花は白色に見える。しかし、正面から見ると花の中央がピンクなので、花びらもピンクかなと思える。花の色も変化するそうだ。

これで納得した。ウツギの開花は、五月晴れのすがすがし日に観ると、淡い桜の花とは違って、爽やかさを感じられた。特に我が家のウツギは、斑入り大紅ウツギといって、花は桜より大きい。つぼみはピンクだが、花が咲くとは白に近い。ほんのりピンクも感じる。わが家では2m50cmほどの高さの低木だ。葉の周囲には白(やや黄色ぽいが)の斑が入っていて、アクセントとなっていて、花と葉それぞれの存在がはっきりしている。漢字では「空木」と書き、茎が中空だからという。いずれにしても、花も葉も楽しめる花木だ。

今日は、この地域の恒例の一斉清掃日だった。ご近所の人と道路清掃をした。新たな住人も加わったので、いつもより素早く丁寧にできた。家に帰ると、地区斑長さんが、配ったのだろう、玄関先にペットボトルのお茶、軍手、ゴミ袋が置かれていた。

水分補給をし、汗を拭きながら、ウツギをみてホットして、疲れが取れた
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする