日常にバカンスを!

お台場に住むakkiitaner(アッキーターナー)のまったりな日常とぼやきっぷり、っぷり。

友人と銀座でランチ

2011年02月25日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
NYに住んでいる友人と以前NYに住んでいて
5年前に日本に戻ってきた友人と今日は銀座で待ち合わせだ。

松屋銀座、う?銀座松屋(いつもどっちが正しいかわからなくなる)
のルイ・ヴィトンの前に行かなければならない。

二人ともNY生活が15年以上もある人々なので、
どっか気が楽だ。
何故かというと、やっぱり日本人て狭い。
島国に住んでいるんだよ。
自覚もなしに、ただただ自分の価値観がすべてと思い込んでいる。
自覚もなしに、というのはその価値観がもしや、違う?
と疑うこともなく、ただ流されてというと訳すこともできる。

(最近、このブログ愚痴やぼやきが多い。
いい傾向だだんだんブログに慣れて来た証拠だ。)

さて、NY暮らしが長い人々と会うのが気楽なのは、
なんか人間が素のままなんだよね。
日本人てどうしても素をだすのに時間がかかる。
なんか余分なこと思っちゃうんだろうね。
本音というのがそこはかとなくヴェールに隠されていく。
だからえらーく会話に骨が折れる。
「これ言ったら、誤解されるかなあ、
なんだか後で陰口たたかれそう」とか、
「ここはまず、あたりさわりなく対応しておこう」などと
つい考えながら会話をしてしまうことが多い。

というのは、えっらく陰口が好きなんである。
特に主婦のつきあいで学んだことなんだけどね。
”え、あんなに仲良く見えるのに、こんな風にかげで
言っちゃうんだ”とびっくりすることが多い。

だから、どうせ相手は仮面をかぶって
本音と違うんだろうから、こっちも警戒しなくちゃ、と
注意信号が点滅するんである。

その点、海外暮らしが長い連中は気楽だ。
本音をぽんぽん出してくる。
ある意味傷つけられるんだけど、
おおらかに笑って「いやだなあ、傷ついた」なんて
応酬できるんだよね。

やっぱり、素をだせる関係のがたとえ相手が
気のきかない、鈍感野郎でも長続きする。
なんといっても「憎めないなあ」なんて
相手のいい加減さを許せてしまうんだから。

正直今日会う、
NYで暮らしている友人はそんな人間の代表だ。
なんだろう、それでもきっと何かしらの魅力があって
会ってしまうんだよね。

このことをよーく分析して、論文を書きたいくらいだ。
なぜ、正しいちゃんとした人より、
いい加減だけど、いい人かどうかもそのいい加減さがキョーレツで
分かりかねるんだけども、憎めない友人に
心惹かれてしまうんだろうね?
コメント
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