日常にバカンスを!

お台場に住むakkiitaner(アッキーターナー)のまったりな日常とぼやきっぷり、っぷり。

8月21日、いざ、バーデン・バーデンの町を探索

2012年01月10日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
【2007年の記録です】

せっかく朝食付きなのに
しくじってしまった。
朝食タイムの10時半まであと、
15分、ぎりぎりにレストランへと向かう。

あれ、ビュッフェのお皿がない。
「お皿はどこ?」と
ウエイトレスさんに聞くと、
「もう朝食タイムは終わったわ」という。

え、私の時計ではまだ10分はあるのに。
もしや、と思ってホテルの時計を
見上げると既に10時50分だった。

昨日列車乗る前までは
しっかり正確だったのに、
バーデン・バーデンに着いたら、
時計のはりがキューンと勝手に進んだの!
信じられない。
30分一挙に進む時計なんて。

それからというもの、世の中の時計、
つまり、お店や駅や広場など、
の時計をこまめにみて
腕時計と照らし合わせるようにした。

しかし、私の時計が狂ったのは
その時だけだった。

さて、またまたお決まりのアイ(インファメーション)を目指す。
ちいさな川(オース川)が流れていて、
その水が澄んでいるのが嬉しかった。
バーゼルでもハイデルベルグでも
川の水が澄んでいるとは
言い難かったからだ。

歩いているとすぐ大きな建物が
目の前に現れた。
見事な垂れ幕には
「ハンブルグバレエ団」の公演の
告知がされていた。





(世界最大のオペラハウスのひとつとされ、約2500人収容できる。ガイドツアーが週末と不定期の水曜にある。バス・ルートは201, 216。 ℡07221/3013-300 )

素晴らしいバレエ・ダンサー。
きっと有名なダンサーに
違いないのだろうが、
誰だかわからなくて情けない。

どうみても劇場のようなその建物に
興味津々で入ってみた。

入り口すぐの右手に
すてきなカフェがある。
ここで食事をしてから、
観劇などを楽しむのだろうか。
さて、今、資料で調べたところ、
やはり劇場で「Festspielhaus」(英語でFestival Hall)
と呼ばれ、1998年に
オープンしたばかりのものだ。
特筆すべきことは、ネオ・ルネッサンスの建築様式のエントランスホールが
以前は実際に使われていた
駅舎であったということ。
1997年に閉鎖され、
劇場として翌年に再使用され始めたのだ。

ヨーロッパの文化は彼
ら自身の知恵によって守られ続け、
私たちのような極東から来た人間を
その大きさで圧倒する。




(エントランスで娘が垂れ幕に刺激されたのか、思わずとポーズ。Boys, Be ambitious in Christてか。)

川沿いの道を駅方面を背にして
ズンズン歩いていく。
フロントのお姉さんが
レンタバイクがタダになったり、
いろんなサービスが
割引になるカードをくれたが、
レンタルバイクやさんなど、
見つからなかった。残念。

でも、ホテルから歩いて
10分くらいすると、
明らかに町の中心に着いたと
実感できた。

アイ(インフォメーション)を目指して
歩いてきたのに、
ついつい脱線してしてしまう。
またもや、目立って美しい建物を発見。

「あそこへ行ってみよう」と母。
「うん、いってみよう」と娘。
2人とも地図をホテルでもらい、握りしめていた。
娘などはカラカラ浴場まで
どうやって歩くかをマーカーで
色をつけてあったのに・・・・。
結局、地図など見ずに、
ぶらぶら気ままに歩く母子なのであった。
地図は握りしめたら駄目だよね、
目の前で広げなきゃ!

ま、逆にいえば、
地図がいらないほど、
明らかでわかりやすい町ということだ。




ステキなステキな建物。
行かなきゃ!

アイにたどり着く前に日が暮れるかも・・・、
チラッとよからぬ思いがよぎったが。



麻立会は男ばかり

2012年01月01日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
麻立会、と効いてピンと来る人は
本当に政治通だ。
私も福田さんが首相になられて、
週刊誌とかでマリュウカイのことが載っていなければ、
夫に届いた招待状に注目することはなかっただろう。

だいたい今でも
マリュウカイと読むのかアリュウカイと読むのか
一瞬迷う。

しかし、昨晩、夫とその麻立会に出席してきたのだ。
てっきり、紳士が淑女を連れてくるもんだと思っていた。
つまり、奥さん同伴のパーティだと。
で、あるからしてかなり緊張した。
だって、淑女であるわけないところ、
無理するわけだしね。

思いっきり、思いっきり、予想はずれ。
男ばっかり!

夫の同級生が去年まで幹事さんというか会長だったというか
まとめ役だったせいで会に名を連ねているものの、
まったく政治とは無縁の夫と私だからして、
とにかく、ミーハー気分で参加した。

一番の驚きは
福田首相の奥様が夫のお母様にそっくりだったこと。
それはそれは、うりふたつ。
ただ、お母ちゃまは背の高い福田首相の奥様の丁度半分くらい。
身長がかなり違う。

それを夫の友人についもらしたら、
あろうことか、
「じゃ、今、福田さんにご紹介してあげよう」
という。え、なんで、じゃ、てことになるの、
じゃあ、てなんのつながりもないじゃん。
と思って引いていたら、
無理やり奥様のところへ夫と私は連れて行かれてしまった。

さて、間抜けにも、
「主人のお母様にそっくりなんです」と
のたもうてしまった、私ったら。
でも、そんなアホな私の腰に優しく手をまわし、
奥様は記念写真を一緒に撮って下さった。

なんだか、すごくどきどきしてしまった。
素敵な奥様!

さて、ちなみに平沼先生とも記念写真を撮ってしまった。
いきさつがまたお恥ずかしい。

平沼先生が他の人と並んで
記念撮影をしている時、夫と2人で後ろから、
バカみたいにピースマークを出していたのだ。
はずかしい、修学旅行にきた学生がやるかんじ?

でも、麻布学園卒の紳士は冗談が通じるらしい。
面白がって、じゃ、次はお宅たち、と
平沼先生と並ばされてパチリ!
いやいや、夫なんかはどさくさに紛れて
名刺まで渡していたもん。

そんな風に
家宝となりそうな写真が2枚、
昨晩は作成されました。

(どうせ読まれないことを前提に、
書いてしまうと)
麻布学園卒の政治家の皆様、
世界に通じる政治家目指して、
せめて奥様同伴でいらしてほしい。
社交というのはそういうものでしょ!

やっぱり、男子校だから男だけの方が
くつろげるのかなあ。
奥様は総勢で10名ちょっとしか、
というかんじで、
あれれれ・・・、でした。

そうだ、ひとこと💦😅
今麻布卒の政治家が全員で
12名なんだから、
キリストの12弟子のように、
人のため、世のために尽くして下さいね。


(^_-)やっぱりポール様に会いたくて→ヒルトンホテル

2012年01月01日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
【これは2007年8月のマルタでの記録。10歳の娘をECマルタのサマーキャンプに入れた時のもの。なぜか、2012年に割り込んでしまった。戻せない💦】


ブジッバのバスターミナルからまた、
86番に乗ってしまう。
ポール様に会えるラバトへのバスだ。

で、これがポール様が潜伏していた洞窟
と彼のお姿👆(写真参照)、
いや、後世になっての銅像だ。
おおーこんな真っ白な姿になってしまって・・・。
ベリーニ(ベリニーニだったかも)
に関係する人が作ったらしい。
(ガイドが英語しかなかったので、
この程度のことしか分からない)

ポール様(ポールはパウロの英語名)
のステキなお姿?を拝見して、
心が何故か満たされた。

コンピュータじゃなく、
自分自身のパワーを
チャージできたところで、
いざ、PCの使えるポイント捜しに
ラバトの町を去ることにした。

セント・ジュリアンの
ヒルトンホテルなら
多少料金が高くてもwifiが接続できる
カフェなりなんなりがあるかも?
と浅はかにも思いついて、
ヒルトンホテルを目指す。

セント・ジュリアン行きのバス
65番に乗り込んだ。
ラバトから去る時、
いつもちょっと後ろ髪を引かれる。

このラバト界隈、
イムディーナの街が
本当に好きなんだと思う。

いつか、イムディーナにある
ホテルに滞在して、
いにしえの香り漂う文化の中で、
ゆったりと過ごしてみたい。

コンピュータをリュックに
忍ばせて、、、
去り行くイムディーナの街並みを
眺めながら、そう思うのだった。




(^o^)ヒルトンホテルで日本人留学生に会う! 感謝!!

2012年01月01日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
【2007年、娘が10才の時の旅の記憶】


さて、マルタ島、
セント・ジュリアン地区にある
ヒルトンホテルに着くと、
そこはまるで別世界。

どことなくモナコのような感じ
である。
あのじゃじゃ馬っぽい
パリス・ヒルトンを生み出した
華麗なる一族が経営している?だけある。

が、ひがみ根性がむくむくと立ち上がり、
お金を落とすのが急にしゃくになった。
やっぱここでwifi借りて、
コンピュータするのやめとこ、、、!

で、帰ろうとすると、、、
5、6人の日本人らしき若者たちが
立ち話をしているのが目に入った。

話している言葉が
漏れ聞こえてきた。
日本語だ!
マルタの街中で日本人を見かけたのは
これが初めてのことだった。
こっちはすっかり
ヒルトンホテルに泊まっている
若い日本人旅行者と思ってしまい、

またまた
ひがみ雲が立ち込めつつあった。

ところが、その中のひとり、
上品で綺麗な女性が、
私に声をかけてきてくれた。
「日本人ですよね、
どうしましたか?」と。
側から見たら困ってる風に
見えたんだろうね。
ひがんでいた私を許してね、と
その瞬間に反省した。
そして、若い彼らは皆、
マルタへ英語を学びに
きている
留学生とのことだった。

海外で同胞に会うと
本当に嬉しい、 
ついつい馴れ馴れしくも、
いろいろお聞きしてしまった。

お勧めの日本レストランまで
教えてもらう。👇
(「Zen」(禅)といってヒルトンの隣にあるレストランが美味しいらしい

PCを使える場所の情報は
もちろん、1番聞きたいことだった。
すると、ECマルタに
ノート・パソコンを持ち込んで
wifiを接続できる部屋があるという。

さて、その英語学校ECマルタは、
たまたま我が娘が参加している
サマープログラムの
学校でもあった。
つまり、男女5人の大学生ぐらいの
日本人とうちの娘は
同じ学校で勉強していることになる。

「えー、10歳でマルタに留学? 羨ましーい」
と一同が申し合わせたように、
いっせいに声を上げた。

だよね、だよね、、、

我が娘は変人ママを持ったことに、
多少は感謝すべきなのだ。
とにかく、
出来るだけ日本人がいない場所で、
日本語を話す相手がいない状況下に
娘をおきたかった。

サバイバルする為には
英語を話せるようになるしかない、
という経験をさせたかった。
ましてや2週間他の国の子供達と
寄宿生活をするので、
友達を作りたかったら、
否が応でもコミュニケートを
英語でする他ないのである。

、、、てのが母の目論見だった。

娘は10歳、
言語脳最後の年にあたる。

話が脱線してしまった。


幸運にも、日本人留学生たちから
ECマルタの
パソコンルームの場所を
教えてもらうことができた。

実にヒルトン・ホテルから
歩いていける距離だった。
迷うことなく、
学校に辿り着けたのが奇跡のようで、
私には快挙だった。
ありがとう、日本人の留学生たち!

せっかく学校にきたのだから、
娘の勉強ぶりや様子がどんなかを
ついでに聞いてみることにした。

ジュニアセクションの事務室に行くと、
若いお兄さんが3人忙しげに
電話でのやりとりをしていた。

中でもハンサムで優しそうなお兄さんを
捕まえる。
娘のことを話すと、
親切にもその場で娘のプログラムの
コーディネータに電話をしてくれた。
そのコーディネータが更に親切にも
電話口から娘を大声で呼んでくれた。
ところが、娘は近くにいなくて
話すことは出来ずに終わる。
仕方なく、電話で対応してくれた
コーディネーターに、
「娘は元気かしら?」と聞いてみたら、
「She is good」と言われた。
更にいろいろ突っ込んで娘の様子
を聞いてみたかったが、
英語を考えるのが面倒で💦
「サンキュ」と答えて終わった。

何がグッドだったんだろう、、、
元気ということ、
それともよい子ということ?
英語は難しい。
ま、英語を話すときは、
いつも創造力を使って
会話しているといっても過言ではない。

結局、学校のコンピュータルームでは、
回線が全て塞がっていて、
マイパソコン使用は果たせなかった。

残念!

いろいろ聞いて調べてみた結果、
スリーマと
セントジュリアン界隈では
自分のパソコンを持ち込んで接続できる
インターネットサービスが
複数あるということが分かった。

社長が使うような机を使わせてくれる場所で、1時間2リラ(750円くらい)
平社員以下の机が用意されている場所で、1時間95セント(350円くらい)

私には平社員以下で充分!

1時間95セントでブログを書く為に、
回線を借りることにした!

ところで、トップの
写真は夜8時頃のブジッバの風景
海沿いの遊園地は、
子供達の楽しげな弾む声で
沸き立っていた。



マルタ島ー青の洞窟周辺の景色 ★8月5日?

2012年01月01日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強



どこまでも青い地中海の真ん中で
深呼吸する。
そんな体験がマルタ島の醍醐味だ。
それもいにしえの昔から現代に至るまで
の文化としてがその跡をそのままに刻んで残る。

何という奇跡だろう。
青の洞窟を眼下にして
私は大きく息を吸った。



かわいらしい礼拝堂が崖っぷちに
佇んでいた。
礼拝堂近くで和んでいたら、
中年の男の人が近づいてきた。
どうやら島を案内して
回ってくれるという。
バスだとなかなか行けない
ところを彼の車で案内してくれるという。
私は格安の料金を支払うことにして、
その申し出にのっかった。

えー、信じちゃうの、いいのー?と
どこかで危ぶむ声がしたが、
邪念として無視をした。
実際、そのおじさんは
すこぶるいい人だった。

だってマルタ島の素朴な
空気を全身にまとっているような
おっさんだったんだもん。

素直にガイドを頼むことに、
それほどの勇気も要らなかった。

その人のトラックで私は
「カートラッツ」へと向かった。

ちなみに「カートラッツ」へ行くには
車がないと無理なのだ。
そこまで連れて行ってくれる
公共の乗り物がないからね。

車中での会話も楽しかった。
どうやらおじさんには、
日本人の彼女がいたらしい、、、。

しかも、相手は既婚者だったという。
日本人女性も、なかなかだね。
マルタ島🇲🇹に来るたびに、
浮気してたなんて💦😅
(しかも、素朴なおっさんと、、)

★パリのX'mas開いていたビストロ

2012年01月01日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強




絶望的な気分でブランリー通りを歩いていた。
どこかに開いているレストランはないのか?
年中無休と書かれていたのに休みだったわけで、もはや
ガイドブックをあてにできない気分になっていた。
ましてや美術館も休みなんて・・・。
仕方ないエッフェル塔でも上ってみるか、とエッフェル塔に向かって歩き出した。
「ママ、エッフェル塔なんて上りたくない」
娘が不機嫌になってきた。
そりゃそうだ、朝ご飯を食べてないのだから、、、
、、、が、突如、光が刺す
なんと前方に、開いているレストランを
見つけたのだ。
もう、何だっていい、何か食べなきゃ、
という投げやりな態度でお店に入る。

グルメな街、パリの底力に救われた。
期待もせずに入ったお店の料理が、
結構美味しかったのだ。
ギャルソンの対応も、
親切で感じが良かったしね。

娘は肉ばかりに走って、また牛のステーキを頼んだ。
私は
「何がお勧めですか?」と聞くと
「チキン」とアドバイスされたので、
素直に「チキンのクリーム煮」(という料理名かどうかは分からないが)
を頼んだ。
とにかく、典型的なフレンチ料理だと勧められたのだ。

さて、娘はあっという間にステーキを半分までたいらげた
(上の写真)
マレのビストロで食べて美味しかったステーキとはソースが違う。
だからオナマにこう言った。
「うん、この肉美味しいよ。でもソースは
この前食べた方がおいしいかなあ」と!

あとになってステーキにしては薄すぎるよ、あの肉、とも言っていたが。

(子供と巡る旅の醍醐味は
彼女の若い感性のスパークリングを
感じられることにある。
親バカだが、娘の発言はいちいち
カワイイ❗️)

Brassarie de La Tour Eiffel
2 avenue de La Bourdonnais 75007
01 45 51 90 51

レシートによると
Steak 9.50
Formule 16.50(セット価格でワインが付いていた)
Orangina  4.50
Cafe 2.40
TOTAL 33.00

【娘の評価】
味:★★★★☆
サービス:★★★★☆


★パリ、モンマルトルのラパン・アジル(シャンソリエ)

2012年01月01日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強


パリ最初の司教サン・ドニ
奇跡を記す場所。
そこを訪れたくてモンマルトルにやってきた。

が、本当に偶然、
ぶどう園やそのぶどう園の前にあった
この有名なシャンソリエ
見つけたときは本当に嬉しかった。

食いしん坊の私たち親子は
「ラ・メゾン・ローズ」という
ビストロでランチをとったのだが、
そのお店が
rue de L'Abreuvoirと
rue des Saulesの
にあり、その一角をなす小道、
rue des Saulesに面して
このシャンソリエ
Au Lapin Agile」
あったというわけだ。

まあ、こんなかんじの展開だった。
ビストロのランチで満腹だった
わたし達親子が、


「あー美味しかったねえ」
「うん、ママ」
「あら、なんだか
ガイドブック持った人たちが、
歩いているから、
ついてってみる、何かあるのかな?」
「うん、うん、そうだね」

とただ、人任せに
観光客らしき人々の
後をついて行った。

そうしたら、
皆さん、この一軒家の前👆(写真参照)で記念写真に余念のない様子。
なにを撮ってるのやら?
と全く分からずじまいだったのだが、
建物に表示された看板をよーく見てみると・・・・。
「Lapin Agile」=ラパン・アジル!だったというわけ

かのロートレックやサティ
夜な夜なたむろしていたという
有名なお店なのであった。
ベル・エポックな時代から
現在まで続いてるシャンソリエだ。

まあ、キャバレーと表示してあるので、
フランス語でいうと、
キャバレーなのかな。
でも、私たちのイメージでは
上品なシャンソリエってかんじだ。



このお店、現在も営業中!
テアトル広場の喧噪とはうってかわって
高級住宅街にあるこのお店。
しっとりと和みつつ
音楽に耳を傾けるにはうってつけだ。
いつか、娘がお年頃になったら
一緒にきて音楽とワインとの
両方に酔ってみたいものだ!

今でも、エディット・ピアフや、
ブラッサンスたちの
シャンソンをマイクなしで
披露してくれる居酒屋とのことだ。

●オ・ラパン・アジル
Au Lapin Agile
22 rue des Saules-Butte Monmartre
01 46 06 85 87
1906年にこの一軒家が建てられた。
とくに1908年から1914年にかけては
そうそうたるメンバーの
集う場所だった。
ピカソ、ユトリロ、ブラック、モジリアニ、ロートレックなどの画家たちや、
アポリネールなどの詩人たち
・・・。え、そんな人たち知らない?て。うーん、とにかく
世界的に有名になっていった方々が
その前もその後もここに集って
音楽とお酒を楽しんでいたってことね。
日曜日をのぞいて、
毎晩夜の9時から
夜中の2時まで、お酒を
楽しみながら古い時代のシャンソンを
ホンワカとした雰囲気の
中で聴ける。
今や、女同士で行けそうな感じのいい店!

世界最古の百貨店ボン・マルシェは外せない。 2022/12/19

2012年01月01日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強



さて、迷ったあげく、
サン・ジェルマン界隈まで
行くことにした。
バスの83番に乗って
直接ラ・ボン・マルシェのある
Sevres-Babyloneへ
向かうこともできたが、
バス停のあるFriedland Haussmann
までだと10分は歩くので
すぐ近くのメトロの駅から
乗り換えでいくことに、、、。

まず、Ch. de Gaulle-Etoile駅から
1番線Chateau de Vincennes行きに乗って4つ先のConcordeまで行き、
12番線に乗り換える。
12番線も間違えずに、
Mairie D'issy方面行き
乗ることに気をつける。
(ああ、日頃ぼーとしているので
よい脳のトレーニングだ!)

乗り換えてから4コめの駅が
目指すデパート、
ボン・マルシェ
のあるSevres-Babylone
(セーブル・バビロン)だ。
さて、写真のように
rue Velpeauの出口(Sortie)
から出よう。
地上に出ると、
すぐ前にデパートがあるので
迷うことはない。



👆何ともシックなエントランス。

まず、3階まで一挙に上って
順におりていきながら、
世界で最古のデパートを
楽しむことにした。
最上階は手芸用品
充実した品ぞろい。

「ボタンでも買ってあげようか(安いので)」と
娘に言うと、そっけなく
「いい(いらないの意味)」と
返され、なーんだ、とがっかりする。
朝、チョコやマカロンを
食べただけの娘は、
お腹がすいていて機嫌が悪い。




ところで、私はてっきりパリでも
クリスマスが過ぎたら一斉に
バーゲンに入るものだと思っていた。
が、まったくもって甘かった。
どうやら年明けにならないと
バーゲンは始まらない感じだ。
ボン・マルシェのような
高級百貨店で、
プロパーのものを買うのは、

胃に悪い。

後で請求書が来たときに、
卒倒するかもしれない。

さて、ボン・マルシェ
閑古鳥にちかい様相だった。
ちらほらとしか客がいない。
左岸に住むパリジェンヌ御用達、
あくまでも地元民のための、
デパートだからか、、、。
観光客もここまで足を運ぶ人は
珍しいのだろう。
プランタンや
ラファイアットの方が旅行客向けの
サービスが充実しているからだろう。
日本語を話すスタッフもいるようだしね。

でも、私はブランタンや
ラファイアットには寄らなくても、
ここには必ず足を運ぶ。
どうしても、ボン・マルシェでしか
味わえないパリの
味わいたくて、、、!

プチ・ブルジョワな
パリらしさ、がここにはある。

それに、
お土産はボン・マルシェの食品館
(La Grande Epicerie)
で買う、と決めている。



吹き抜けの抜け感がどこか上品なボン・マルシェであった!
●ル・ボン・マルシェ(Le Bon Marche)
世界で初めて誕生したデパート。厳選された商品構成で
高級感にあふれている。地下のおもちゃ、文具、子供服
売り場は必ず立ち寄って何かしらを購入してきた。今回
は娘の洋服は日本で買う方がいい、という結論にいたっ
て購入しなかった。
24-38 rue de Sevre 7e
01 44 39 80 00
9:30-19:00(木曜10:00-21:00, 土曜~20:00)
日曜、一部祝日休み




★パリの老舗カフェ・ラ・パレット 2008年

2012年01月01日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

セーヌ川を背に歩いて左側に、
道沿いのテラス席が
いかにもパリっぽいカフェに遭遇。

そのカフェの看板をみて、
「あっ、あったあ」
と声を上げる。

何の変哲もない外観のカフェなので、
雑誌やガイドブックで読んでいなければ
無視をしていたかもしれない。
La Palette(ラ・パレット)は、
文壇人や美術生が
通う1903年創業の老舗のカフェだ。
一歩店内に入ると
タイムトリップしたようで、
そのレトロな空間に感動する。
鏡の前に無造作に飾られた
チューリップには心憎い、
美意識を感じずにはいられない。


ウエイトレスのおばさんが
メニューも見せず、
何を飲みたいか聞いてきた。
ここでは英語はあんまり有効ではないようだった。
でも、かろうじてカプチーノはない、
ということは
分かったので、それに似たカフェ・オ・レを頼んだ。
娘はミルク・ティーをほしがったが、
テ・オ・レが思い出せず、テ(紅茶)とだけ頼んで、
後から、ミルク(レ)を催促した。
まあ、何とかなるものだ。

娘は母親がうまく
オーダーできずにいると、
すぐ不満げな顔をする。
つかさず私はそんな時
「自分でオーダーできるくらいになってね」と
言うことにしている。(つまりフランス語もできるようになって、
ということだ)

●ラ・パレット(La Palette)
43 rue de Seine 6e
01 43 26 68 15
9h-翼2h
日祝休み

3月27日、イタリアの旅/タオルミーナのギリシャ劇場

2012年01月01日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
タオルミーナでもはずせないのがギリシャ劇場。
昨日行った市民公園のすぐ近くで、ホテルからも歩いて10分くらいだったかな。
午後からは昨日行った、イソラ・ベッラをもう一度訪れるつもりで・・・、
午前中から行動開始!(え、当たり前? 私たち親子はお昼頃から行動を
開始することも多いのであった)


シラクーサのギリシャ劇場よりこぶりな感じ!
ギリシャ人は景色も劇の一部として楽しんだのだろうか。
贅沢すぎるシチュエーション。

子供にもここは本当に気持ちよさそうだ。



雲の下にエトナさんの綿帽子のような雪が見える。
訪れる人に至福の時を与え続けてきた劇場の片隅で、
世界中の空気をすいこんでしまいそうなくらい大きな深呼吸をした。

イオニア海とエトナ山、そしてギリシャ時代からの美しい円柱。
かつてゲーテが惚れこんだ、とびっきりの景観がぐるりと劇場を囲んでます。

イタリア人の高校生グループが楽しそうに見学にやってきてとっても
賑やかでした。舞台の上でひょうきんな男の子が深々と礼をすると、
他の子たちが拍手や歓声を浴びせます。
どこの国でもおどけた感じの目立ちたがりがいるんだなあ、
と娘と2人顔を見合わせながら、笑ってしまいました。


緑に縁取られたイオニア海が空にとけ込んで、
エトナ山をより幻想的に浮き立たせている。
娘が風をおくるんだ、とエトナ山に向けて口をとがらせては息を吐いた。


夏には演劇やバレエ・コンサートなどが今でも開催されるそう。
ぽっかりと天から降りてきたような美しい場所で、
芸術に身を委ねるのはどんな気持ちだろう。

春の旅がうらめしい。夏にこそまた訪れてみたいなあ。



紀元前3世紀に建造されたシシリア島第2の規模(直径115m)の
古代劇場。ローマ時代の2世紀には円形闘技場として改築されたとか。

ギリシャからローマ、と権力が移っても受け継がれていった様式美に乾杯!
劇場の脇には格式あるホテルやおみやげ屋さんがありました。



エクサン・プロヴァンスのエルメスの可愛さ

2012年01月01日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
エルメスと言えば、
いわずもがな超高級ブランドだ。

なんだろう~な、庶民にはとっても手が届かない。
ひがんでしまうのは、娘の通う学校に行くと
エルメスのバーキンを持っているお母様を数人見かけることだ。

まさか、校門で今日の保護者会では
何人のお母様がエルメスのバーキンを持って来たか?
なんてカウントするわけにもいかず(一度やってみたいなあ、
東京の有名私立の校門に、カウンターもって学生に立たせたい)
たまたま見つけただけなんだけど~。
そのたまたま、でそんなにいるんだもん、
本当に数えたら結構な人数の人が
バーキンを持って保護者会に来ているのかもしれない。

で、エルメスを持っているということは
すなわちお金持ちの称号を持つようなものでしょ。
それと同じでエルメスの直営店がその町にあるかどうかは
その町のハイソレベルが分かるっちゅうもの。

で、もちろん、Ex-en Provenceにはエルメスのショップがあります。
でもね、なーんか気のせいか控えめな雰囲気なの。

高級感はもちろんあるけど、
セレブ感より、キュートな感じのが全面に出ている。

写真をご覧あれ。
かわい~1
2011年3月後半のヂィスプレーですよ~!

もちろん、今回の私たち親子の旅には絶対無縁なものだし、
もっと言っちゃうと、人生にも本来は無縁なはずだった・・・。

ただ・・・・。
むかし、幼稚舎にどうしてもお子を通わせなきゃいけないような
ご家庭の方々と一緒に、
お受験のお勉強を娘にさせた私は、
(でもそれはお姑さんの要望だった)
苦肉の策で、エルメスには見えないエルメスを持って通ってました。
当然、バーキンやケリーなんてメジャーなのは買わず、
ひたすらマイナーなのをゲットするのね。

でも、本当にエルメスを知っている人には
すぐエルメスだと分かる、そういうことですな。

見栄とか虚栄ではなく、(見栄はあったかな)
せめての仲間意識を持っていただけるよう、
私のいたいけな努力だったわけね。

だから、例えば腕一本で成功した林真理子さんのような女性が
エルメスのバーキンを持って(娘さんが娘と同じ学校)
校内を歩いているのを見かけたらちょっとがっかりする。

元々がハイソなお家柄の方々にぜひ、さりげなく持っていてほしい、、、
そんなブランドなのに~、て。

TPOということで言えば、
本来、保護者会にふさわしい究極のバックが
エルメスのバーキンではない気も・・・・。

上品にしたいのなら、
和光の上質なバックあたりが
妥当な気がするのは

私だけ?




ホテルのような部屋をめざして大掃除! 徹底的にインテリア!!

2012年01月01日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

エクス(エクサン・プロヴァンス)の

セザンヌホテル(写真👆)を

思い出しながら、

あーあのような美しい空間を目指して、ただいま

猛烈にお掃除してます。

単なるおそうじじゃなくて、

年末の大掃除以上に気合いが入っている。

といっても年末に気合いを入れて大掃除をしたためしがないんだけどね。

 

今、我が家の、感じワル、な娘が、

家庭教師が来たので、勉強するために

マンション一階にあるパブリックスペースにおりて行った。

また、娘の下降気流が吹き荒れている。

上がったり下がったりくるくると勉強に対するモチベーションが変わる。

生きて行くのに問題がない程度ならいいんだけど、

我が娘ときたら落ちだすと歯止めがきかない。

数学なんか18点あたりをひょいと取ってしまう。

そういう時は理科も、20点代をはいつくばう。

当たり前に「これでは高等部内部進学の推薦はできません」

と2年次の3学期の始めに警告されたばかりである。

 

お金をかけたら頭がよくなる、資本主義のど真ん中都市、

東京においては親の財力や気合いが子供の成績を左右する。

そんなことでいいのか!

日本の若者よ、親の財力で学力が決まるなんてことを許していいのか!

なんで自分で自らやる気になって向かっていけないのか!

 

とまじめに腹がたつけど、

大学までエスカレートに行ける付属の中等部に籍をおく娘においては

受験とは無縁。

受験がないというのは勉強へのモチベーションが上がらない、ということで。

結局、そんな学校に入れておいて、

イマサラ子供に勉強、勉強、といっても矛盾しているのかもね。

ただ、落第の危機を警告された我が娘の

その危機的状況をすぐ脱出できた、というその妙な自信がやけに気になる。

どうやらぜったい内部進学できると思い込んでいるらしい。

平均点すら届かない成績だけど、自信満々だ。

実をいうと、私も私で一度味わったどん底を思えば、でかしたでかした、と

どこかでほっとしている自分に気づいていないといったら嘘になる。

諦めと共に、こう思うのだ。

成績不振といっても、平均点以下といっても、

特別に悪くなきゃ、普通に悪いくらいなら、まっいっか、と。

ただ、ちょっといい気になるとすぐ下降する娘ゆえ、

目指すはトップ10%以内よ、なんて言い続けなければいけないかなあ、

なんて思い直して、期待しているようなフリをしつつ

勉強せよ、とお尻を叩いている。

どっかで諦めの心が忍び寄っているのを感じずにはいられない。

でも、そこは子供の能力を信じてあげなきゃ、と

なんとかもがいて・・・いるしだいである。

 

日本において最も授業料が高い部類の学校と思われる、

ちょっとブランドな私立に通わせているものの、

単に授業についていけないというだけで、

塾に行かせ、家庭教師もつけている。

端からみたらなんだかちょっと、世離れした話ではないか。

しっかも、私の老後の資金から持ち出して、塾代やら家庭教師代を

払っているんだぜ~!

すっごく精神的にきつい。

だからこうしてブログで発散させてもらってます。

 

さて、掃除は娘の友達が明日とあさって我が家にお泊まりに

くるので、焦って掃除掃除掃除、というわけ。

こんなにずっと掃除していたらやせるはずなのに、

ストレスでかえって太ってきたかも・・・・。

去年、足を折って家事できない歴6ヶ月だったゆえ、

家はその分半端なく汚くて、本当に参ってる。

 

娘も勉強どころではない様子で、

自分の部屋が豚小屋なのに、「片付ける時間がない」

と家庭教師が来たのを

うらめしげにほざいていた。

あー、本当に我が娘は下降気流に乗りつつあるぞ。

(がんばって、維持できるだろうか、普通のワルさを。

お願いだけら特別にワルくならないでね)

 

親というのは無駄に心配をするもの、だね。

 

 

 

 


旅と化粧品

2012年01月01日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
    【ドイツで買ってきたシュタイナーの理論を取り入れた化粧品】

旅の楽しみは観光や人との出会いでけではない。
女の子(?)だったら当然、ショッピングというカテゴリーははずせない。

それは貧乏旅行であろうと、豪華な旅行であろうと変わらない。

例えば、エルメスのバック。
円高の時に旅行すれば、日本での価格よりぐっと安くゲットできる。
一店舗である一定の額を購入(額は国によるかなあ)すると、
タックス分が戻ってくるよね。
高級品こそ、その恩恵は大きい。
(出国の際、空港での手続きを忘れずに! 購入した品をすぐ見せられるように
していないと、ダメよん)

さて、私は20代のとき、人気の女性誌で編集をしていた。
定例の「美容ページ」を担当をしていたので、
習性からか美容には結構目配りをしている方だとは思う。
新製品がひしめき、どんどん進化する化粧品であるが、私の美容観は
案外オーソードックスなところで落ち着いている。

石けん選びが一番大切。
石けんという言い方が妙に古い感じだが、まさしく石けんが大切なのだ。
私の肌が花粉症と更年期障害のダブルパンチで
ぼろぼろになったことがそう思うに至った
きっかけなんだけど・・・。石けんさまさま、と思っている。

肌が最悪になった時、慌てて駆け込んでいった先が
ドクターシーラボでおなじみの「シロノクリニック」だった。
そのドクターですら、私がはまっている石けんを私から購入した。
残念なことにフィリピン製のその石けんは今では購入不可能だ。
【と思っていたら、ネットで購入できることが。
「ブリーチングソープ」で検索してみて!】

その石けんの成分はフィリピンのレモン(日本のものよりビタミンC
の量が多いのだとか)といたってシンプル。
これが私の肌にはドンぴしゃでぼろぼろの肌がすっかり治った。

アトピーのお嬢さんを持つ私の知り合いは
たった100円くらいの温泉石けんでアトピーが急激によくなったのだが、
その石けんを使わないとすぐ再発してしまうのだ、と言っている。

生憎この石けんも今では手に入らないのだとか。

ここから導き出されることは、シンプルで添加物の少ない石けんがよいのでは、
ということだ。

さて、旅と化粧品に話を戻すと、
そんな経験があるせいか、私は海外に行っても薬局でしか
化粧品を買わないことにしている。
宣伝費にお金をかけたゴージャスな大手化粧品会社の製品は
私には危険なものになってから久しい。

悪玉は香料だったり、パラペンだったり、と特定するのは難しいけれど。

だから、私はドクターコスメにしか手を出さない。
もちろん、数年前に、
(多分ドクターズ・コスメの最高峰)
「ラ・メール」ニューヨークの
バードルフ・グッドマン
(ホテルプラザ近くのデパート)で購入してお試し済み。
おかまのお兄さんが実感をこめて絶賛してくるし、
まだ、「ラ・メール」は日本に入ってなかったので、
物珍しさもあって購入したのだ。

おかまのお兄さんは実は「ラ・メール」の販売員ではなくて、
「NARS」の販売員だったんだけどね。
彼はひとつすごくナイスなサジェスチョンをしてくれた。
クリームを顔に付けるとき、クリームを手のひらで暖めてから塗る
と効果が高まる、ということ! 佐伯さんも言ってるけど、
私にとってはそのおかまちゃんの方が先に教えてくれた。

で、その「ラ・メール」を大切に大切に少しずつ使うより、
安い石けんでいいから肌に合った石けんで
顔をしっかり洗うことの方がずっと大切だという結論にいたったのだ。

だから、旅をするたびに自分にあったシンプルな化粧品はないものかと、
必ず薬局に立ち寄る。
しかも、薬局だから店員さんも詳しくて、
必ず、相談にのってくれる。

で、今、ドイツの薬局で買ってきた、
ヴェレダを使っている。
ローズシリーズのね。
それが、思わぬ事件を引き起こしたのだ。

どうやら、ヴェレダの成分の何らかが私の夫の頭を直撃するらしい。
別に化粧品でなぐっている、とかそんなことじゃないよ。(!)
その臭いを嗅ぐだけで、私の夫は偏頭痛におそわれるのだ。
ヴェレダは自然の成分しか使ってないはずだが・・・。

で、私がるんるんとお風呂あがりに、
顔を化粧水やクリームで整えて、ベッドルームに入るや否や、
夫は部屋の窓を思いっきり開ける。
すんごく、感じ悪い。
おならをしたわけじゃ、あるまいし・・・・!

とにかく、「その化粧品をつけたらしばらく部屋に入ってこないでくれ」
と言われてしまい、
仕方なく、化粧品をつけてから深夜のテレビをみたりしてすごしている。
うっかりソファで寝てしまうこともあれば、
うっかり深夜のTVショッピングの術中にはまってしまうこともある。

ついでに書くと、
今晩は「ベアミネラル」というパウダーファンデーションにググ、ときている。
コンセプトがいい! ミネラル100%のファンデ! 
実はハワイのワイキキで買った、
ミネラルがタップリ入ったお粉を気に入っているので、
100%でファンデなら尚いいじゃん、と思ったりしているわけだ。

とまあ、夫が原因で、もといヴェレダが原因で
私の生活が複雑になってしまった。

でも、かなり肌の調子がいい。ヴェレダのおかげなのだ。
夫は私が銀座のバーニーズで購入した、エッセンシャルオイル
「やる気をだすためのもの、主に男性用」というのにも反応して
どうも頭痛がするらしい。(でも、これがないと、更年期の私は
やる気を出せない!・・・時が多い)
その製品も自然の成分しか使っていないので、
我が夫はとことん文明人らしい。

話を戻すと、フィリピンの石けんで救われた私の肌であるからして、
どこにどんな名品が潜んでいるかもしれないと、
薬局めぐりは当分続くことだろう。

もちろん「シロノクリニック」は超一流!
更年期の治療をしてもらっているわけで、
本当に感謝!

格好よくいえば、アンチエージングですわ。


さて、ちなみにフランクフルト空港の第2ターミナル(JALのある方)
には、ダメ押しに薬局があって嬉しかった。
そこで、ヴェレダをまとめ買いしてしまった(ゴメン、パパ)。
ということで、夫の偏頭痛は続くのであった。

じゃなかった、現実は私がこうして、
お化粧品を使ったあとで、夜更かしをする日々、が!続くってこと?

これって、
美容にめちゃ悪いじゃん。





オランダ、デルフトの新教会

2012年01月01日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

新教会!  何だか、不思議な塔よね。

  私は教会の側廊を歩くのが好き

このアーチと天井、教会建築は 人間の視線を自然と空に向かうように作られているかの

ようだ。私の魂と娘の魂をへと向かわせる。


★パリ市庁舎前でスケートを体験

2012年01月01日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

夜の7時頃についたが、この通り列が。
人気があるようだ。
スケート料はタダだが、靴代が5ユーロなり。
靴のサイズをフランス方式で言えるようにしておこう。
私は「23センチ」と、(調べるのが面倒で)英語のセンチで伝えた。
すると全然通じなくて、出てきたのがサイズ40のスケート靴。
で、大きすぎると文句を言ったら、今度はサイズ42が出てきた。
次々と起こる不幸だったが、そんなこと次に起こったことに比べれば、
大したことではなかったのだ。
だって、またもや大きすぎると文句を言うと、
「交換してほしければ、列に並べ」と横柄に対応してきた!
私もひるまず、「だって靴のサイズが違うのよ」と靴の係りの人に
言ったが、列に並べのいってんばり。
さて、その列はスケートをし終わった人が靴を返すためのラインだった。
私は氷がとけて濡れたフロアに(自分の靴はあずけてあって、
大きすぎるスケート靴は、はいても足が泳ぐので、
それで立つこともできず、手でもっていた)
靴下で並ぶこと30分、足が濡れて寒くて寒くて・・・。
可哀相に思った1人の美しいフランス人女性が、
「この人は靴のサイズが大きくて変えたいだけなのよ」と
交渉してくれたが、それでも「ダメ、並べ」と
意地悪そうな(そう見えた)黒人女性の靴係がぴしゃりと言ってきたのだ。
私の怒りは沸点に達し、娘(正しいサイズをもらえた)
に「もうスケートしないで帰りましょう」と言うと、
娘はとっても悲しそうな顔をした。
そうか、娘は何も悪くない、と思い直して30分、
濡れた足のまま屈辱とも言える状況に耐え抜いた。
自分の番がきて、靴のサイズを取り替えてもらうとき、
思いっきり、文句を言った。
「何で、サイズを代えるだけでこんなことになるの!
間違えたのはそっちでしょ」と。
特に黒人女性(意地悪そうに見えた)に
「あなたのせいで、足がべちょべちょよ」と文句を言ったら、
「私のせい?」と聞き返してきた。
ひるまず、「だって、そこの男が靴のサイズ間違えたのよ」
と言うと、「本当よね、腹がたつでしょ、
絞め殺したいわよね」と今度は私に同意してくる。
な、なんなのこの展開! と思ったが、
どうやらこの女性、仲間の白人男性たちが嫌いのようだった。
いいや、単に調子がいいだけかもしれないが・・・。
今、書いていて気が付いたが、この黒人女性は英語が分かる
人だったのね。私は英語で一気に文句を言ったんだもん。
この女性が最初から応対してくれていれば、
正しいサイズの靴をはじめから借りられたのだ! トホホ!

靴を借りるのがこんな大変なんて・・・。
娘の時はすんなり36(トホォントシイス)を思い出せ、
フランス語で伝えることができ、問題なかったのに・・・。
一瞬の英語の発言がこんな悲劇を生むとは想像もできなかった

他に気をつけるべきことは、
手袋を忘れないこと。手袋着用と注意書きが貼ってあった。
(フランス語だけど多分そう書いてあったと思う)
さらに、荷物を預ける場所がないので、
荷物は背負えるようなリュックがいい、ということだ。

ところで、

スケート靴を借りるとき、
履いていた靴を預けたのだが、
娘の無惨な靴を見ても、
フランス人は何の反応も示さなかった。
ヒール部分が取れてしまってボロボロ。
貧乏で靴を買い替えることができない
アジア人の母娘、
と思われても致し方ない。
リアクションがないのは、
優しさだったのか、
気づかないほど鈍感なだけのか・・・・、
ナゾだ!



子供用と初心者用のリンクが特設されていた。
勿論、そのリンクで
まずは氷になれることに。
娘は初めてのスケートだったが、
小さいときからローラースケートが得意だったので、
難なく滑れるようになった。
母の方はへっぴり腰状態。


娘はすっかりスケートに慣れ、
子供用から本格的な大人用のリンクに移る。
母は、以前として子供用のリンクでチョロチョロと滑っていた。

「ママ、スケートって楽しいね。ほとんどローラースケートと同じ。
でも、こっちのがそっちより楽しいかも」
とのこと。
まあ、娘が満足してくれたので、
苦労は報われた、ということだ。
ケガがなくて本当によかった。
「娘のスケート初体験はパリのど真ん中、市庁舎前の
パリ・プラージュ、で!」 とどうしてもあえて、ブログに書いておきたい。
で、実際こうして書いてしまった。

9時には市庁舎を後に、ホテルへと向かう。
タクシーを拾って、安全に帰りました。
革一枚になってしまった靴底に穴があいたら大変だしね。


ホテル近くのファーストフード(ハンバーガーやさん)
で小腹を満たす。

といっても私はカプチーノのみ。
娘はフライドポテト。
「クイック」というベルギーのチェーン店だった。ファストフードは
どこも同じと思っていたが、
案外美味しくて恐れ入った。

明日からいよいよ毎晩バレエ観賞が続く。
連続4夜だ。

美しく舞うエトワールへの期待を胸に
眠りについた。