日常にバカンスを!

お台場に住むakkiitaner(アッキーターナー)のまったりな日常とぼやきっぷり、っぷり。

地中海、子連れ旅行/一人っ子だからこそ・・・・!

2008年05月27日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

【イタリアン・リヴィエラでもフランスよりにあるディアノ・マリーナという町。
ガイドブックには町としてではなく、地域として花のリヴィエラとよばれている一帯だ、としか載っていない】

私には兄がいる。唐突だがその兄がいて私がいる。

何を言いたいかというと、小さいとき、同じ家庭で、環境で、育った
兄の存在はかけがいがない。兄弟はいた方がいい!
ところが娘にはそんな存在がいない。一人っ子なのだ。
このことで私はいつも娘にすまない、という気持ちを抱いてしまう。

既に生理がなくなって4年も経つので、欲しくても
生めないが・・・・。生めるときになんで作らなかったといえば、
夫が「2人も育てるのは経済的に無理だ」ときっぱり言ってきたことが大きい。
私が夫を押し倒せば・・・、変わったのかもしれないが、
それほどパワーもなかったのだ。(ちょっと下世話ですみません)

そこで私が常に気をつけてきたこと、
それは単純に人様から「あの子は一人っ子だから」と言わせない!
ということだった。ときどき、無神経に
「一人っ子はかわいそうよ、もう1人作りなさいよ」とか
「一人っ子だから楽でいいわね」などと
言ってくる方に出会うが、余計なお世話だ! まったくもって、
人の感情を逆撫でする。いや、人間ができていない私には
むかつく言葉である。
どれだけ一人っ子であることの弊害をなくそうと、努めているかを
とうとうと訴えたくなる。
こんな風に・・・。

「それで、幼稚園の時から英語で託児をしてくれるような
チャイルド・ケアに預けたり、同じ年頃のお友達と
一緒の部屋で共同生活をするような体験をどんどんさせてきたんじゃい」と。
(お金だってそれなりにかかるんじゃい)

娘の通っている小学校はミッション系の私立で
聖書のみことばがテーマとなったお泊まり行事が多く、
その部分ではクリスチャンホームの我が家と学校の方針は見事に
(と思っていたい)ピタっときているんだけどね。

更に、旅をするときも私はできるだけ子供が遊ぶ相手を確保できる
ように考慮してきた。たとえば、娘と同じ年頃の子供のいる
友人が住む町を選んだり、図々しくも泊まらせていただいたり、ね。
そういう理由で旅先を決めるので、行きたいところに行くというより、
行けるところに行く、といった感じだった。

でも、いよいよ私たち母子は行きたいところに旅をしようと
決意したのだ。(明日に続く)
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地中海子連れ旅/旅のもう一つの目的、不思議な夢を見て・・・。

2008年05月25日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
娘がお腹に入ってから不思議なことが続いた。
正確には生んでみて、なのかもしれない。
例えば、一人暮らしをしているおかあちゃま(夫の母=お姑さん)
の所で、お仏壇を見て、びっくり。
「あ、この人、妊婦の時に夢に出てきた人だ。
無言で私のことじっと見つめてきたから、よーく覚えている」
なんと、おかあちゃまのお父様(つまり旦那の母方のおじいちゃん)
の写真が夢に出てきた人そのものだったのだ。

でも、もっとびっくりしたのは娘が3歳の時、
家族でローマに旅行に行ったときのこと。


【コモ湖。町の中心から徒歩15分くらいの湖畔に、プールがあった。そのプールに訪れた人は湖へとドボーンと入っていく。違法なんだけど、みーんな見て見ぬふり・・・・・!最初は湖に入るのにドキドキしたが、段々慣れて、平気になった。違法行為も慣れるドキドキもしないのね。あーコワイ!】

私も夫も教会通いを始めて1年くらいで、何となく洗礼を受けてもいいかなあ、
と思い始めていたときのことだった。

パウロゆかりの教会の前で私は我が目を疑った。
パウロの銅像が教会の入り口を入ってすぐにあったのだが、
それを見て・・・、「あ、夢に出てきた人と同じだ」と思ったからだ。



【コモ湖から電車に乗って、スイスのルガーノへ。やっぱり湖のまわりにできたカワイイ町でした、ちょっとリッチな感じでね。そこからルガーノ湖をめぐる遊覧船に乗りました、この看板どおりに】

正直、顔とかはっきり覚えていないものの、
そのまとった衣服の感じやら印象やらが、夢に出てきた人そのものだった。

その夢はこんな風だった。、
私と夫がギリシャ風の円柱の前に立ち、
ローマで見たパウロの銅像そっくりな人が
私たちの洗礼なのか結婚の誓いなのか、をとりもってくれたのだ。

さて、その夢の中ではおかあちゃま(お姑さん)が
私の母で、結婚相手(つまり夫)にはちょっと不満があるような感じだった。


【急に空模様があやしくなって、ルガーノ湖の色があっというまにバスクリーンのグリーンに。劇的な変化に私たちも唖然とした】

私は建築の知識がないので、それがギリシャ神殿なのかローマ式なのか
区別はつかなかったが、小高い丘の上に建っていて、
眼下の景色はただただ蜂蜜色の土がどこまでもつづいている感じだった。

たかが夢のことなど、気にすることもないだろう!
銅像なんて本当に本人そっくりとは限らないし・・・・、と
心の中でつぶやいて、夢との関連性など気にしないことにした。
それなのに、その後、パウロが死の直前にくぐったとされる門の下に立った時、
突然に涙が私の瞳をおおい、いつのまにか泣いてしまったのだ。
自分でも訳が分からない、でも、それは押さえきれない何かだったし、
押さえる必要もない気がしていた。


【ジェノバを起点として、サンタ・マルゲリータ・リグレから船に乗って、
ポルトフィーノへと向かった。写真は港に入っていく船の上からとったもの。
入り江にずらっと並んだ建物の色彩が光にとけ込んで本当に可愛かった。お台場のデックとかアクアシティもこの可愛さを狙ったのだろうけど・・・、何かが違う。ポルトフィーノがセレブや大富豪に注目されだしたのは戦後なんだって。もともとは小さな漁村でした】

夢はもはや、無視できない大きさで私に何かを訴えかけていて。
おかあちゃまに対する私の感情がすこぶるよいのは
前世では私の母だったからなのだろうか、と思ったり・・。
私たち夫婦が誰に誘われるわけでもなく、
自然と教会に通い始めたのは、前世でパウロから洗礼を受けていたから・・・?
などと考えたりするのだった。

バカらしいと思われるだろうけど、実は霊感の強い方で直木賞作家だった
故景山民夫さんから「君たちは前世でも夫婦だったんだよ、
ニューヨークで落ちあう約束をしてあったんだね」と言われたことが
あったので、すぐそれとこれとを結びつけてしまったのだ。

景山さんにそう言われる前にも
全米で5本の指に入る有名なタロット占い師から、
「あなたと今の旦那さんは前世でも夫婦だったのよ、あなたは
信じられないだろうけどね、前世なんて・・・」と言われたこともあったので、
私としては、そうか前世で私と夫が夫婦だった、
というのは本当なのかもしれない、
と夢のこともあり、ローマではついにそう思い始めてしまっていた。


【ジェノバの町を探索。案外大きかった、都会ですねえ】

その後、夫と2人で同じ時に洗礼を受け、私たちはクリスチャンになった。
夫婦で同時に洗礼を受けることが、この日本ではどんなに珍しいことか?
奥さんがクリスチャンでようやくようやく旦那様が洗礼を受ける、
というパターンか、結局奥さんだけがクリスチャンな場合が多い。

洗礼を受けてから、牧師先生に
「前世ってあるんでしょうか?」とお聞きしたら、
「ありません、1回きりの人生です」と明確に答えられてしまった。
余りにもはっきりと前世を否定されたので、
クリスチャンとして正しくあるために、
前世のことは素直に忘れるしかないかな、という感じだった。
景山さんや占い師の言葉を私の心から追い出すことにしたのだ。


【ジェノバを起点に、イタリアン・リヴィエラの燦然と輝く世界遺産へと足を伸ばした。”チンクエ・テッレ”だ。イタリア語で5つの村という意味なんだけと、
そのままなかんじ。5つの漁村の総称なのだ。それぞれの村の入り江はそれぞれに個性が違っていた】

ところが、やっぱり附に落ちない。何かがしっくりこなくて、困っていて。
前世があるのかないのか・・・、あるようなないような・・・。

・・・ところで、気づくとどんどん気づかされるのだが、
私の出た大学の名前は聖パウロの大学なのよね。
パウロの英語の言い方はポールなんだけど、
立教大学は英語でセント・ポールズ・ユニバーシティと言うのです。

私の人生で大学がどんなに大きく影響してきたか、を思うとぞっとする。
私が勤めたマガジンハウスという出版社は、当時の会長も社長もそして
今の会長も社長も立教大学の卒業生である。

何だか私の人生はパウロがすごく関わっているぞ、と思ってしまうのだ。
ちなみに大好きなミュージシャンはポール(パウロ)・マッカートニーだ。
笑うしかない偶然だけど。いや、何かある? ある気がしてならない。

だから、旅の計画を練っていて、アルルから地中海沿岸をぐるっと回ろう、
と決めてしまってから、パウロがローマから地中海沿岸の町々を
歩いて、アルルで内陸に入り、イスパニア(今のスペイン)まで
宣教の旅をした、という伝承があることを知ったとき、
心底びびってしまった。

知らずに決めた旅行の行程が、偶然パウロのめぐった町々だったのだから・・・。

実は夏の地中海への旅を決めた後で、春の旅を追加した。
余りの偶然に、それからは意識的にパウロゆかりの地を巡っている。
ブログにしてきたけれど、そう2006年春の、
シラクサへの旅。シラクサはパウロがイタリア本土に入る前に
立ち寄った町だったから。

夢でみた景色を求めて、続く2007年もパウロの追っかけをして、
彼が漂着した島、マルタ島へと子連れで行ってきた。
さて、マルタ島イムディーナにあるカフェのテラスから眼下の景色を見たとき、
私は心底、唖然としてしまった。

夢でみた景色にそっくりだったからだ。蜂蜜色の土がうねるように
下へ下へと続いている感じ・・・・がね。
どんどん現実へと繋がっていく私の夢の記憶を、
今ではこの胸で大切に抱きしめている。

前世があるのかないのか私には分からないけれど、
私の体験は前世の可能性を訴えかけ続けているし、
牧師先生の言葉に反して、前世はあるような気がしている。

江原さんや三輪明宏さんの「オーラの泉」の影響かって?
私、見てません! でもね、
私にすごく影響を与えたルドルフ・シュタイナーは
前世のことをはっきりと肯定しているのよね。
ま、神のみぞ知る、だけど・・・ね。


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地中海子連れ旅/パリ→南仏→伊・リヴィエラ→伊・コモ湖→伊・リヴィエラ→南仏→スイス→パリ

2008年05月24日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

【パリのマルシェの様子。バスティーユ広場近く。娘は帽子をゲット】

昨日のブログで何故、子連れ旅行にいそしむか?
を私には珍しく本音で熱く、うっとうしくも書いてしまった。
2006年の春に続いて、その年の夏はさらに図にのって、
最大にして最高の母からの娘への教育的な体験をプレゼントした。

それは、夏休み中、ヨーロッパ、それも地中海沿岸を旅して回る、
ということだった。途中で、コモ湖やスイスにも立ち寄ってね。

さて、予算が約100万円、憧れのエルメス・バーキンすら買えない額だ。
でも、ケリーバックなら十分に手に入る!
物欲を押さえ込んでお子のために夏の旅行を立てたのだった。




【上はアルルのコロッセオ。闘牛などを見れる。下はニームのコロッセオ】

娘が赤ちゃんの時、2歳までの間に2本編集の仕事をした。
その時に稼いだお金・・・は、2百万を超えていたので、
本当に私の金銭感覚はずれているのかもしれない。
一般の主婦とはやっぱり違うのは認めざるを得ない、2006年の段階ではね。

でも、結局株で大損をし(夫にお金を貸して、夫が株を買ったんだけど)
さまざまなお不幸(人にだまされるとか、貸したお金が返ってこないとか)
を経験した現在では、案外立派な普通の主婦感覚を持ちつつあると思う。

周りの友人たちが、別荘を持っていようが(別荘を売る羽目に)
ステキな一軒家を建てようが(一軒家を売り出し中)
高級車を乗り回そうが(国産車に乗ってます)
張り合えるわけもなく、我が道を行っている。

結局、人間最後には内面の平安しか求めないのではないのだろうか。
欲は欲を生み。その欲には限りがない。欲にかき立てられず、
生きることは、限りない欠乏感から解放されることを意味する。
お釈迦さまや聖フランシスコは
物欲はもちろん、あらゆる煩悩から解放され、
本当に平安を持つに至ったからこそ、神々しいのだ。

イエス・キリストは生まれた時から人間的なあらゆる欲とは無縁の神の子だ。


【サント・マリー・ド・ラ・メール。3人のマリアが地中海を渡ってイスラエルから逃れてきたという伝説を持つ町。】

やっぱり、内面の平安を歳を経るごとに得ていきたい。
そんな私の思いは聖なるものへの憧憬を強めていく。
だから、どうしても聖なる香りを嗅ぐための旅となってしまうのだ。

ひとつ問題がある。
夫の理解がいるのである。夫は仕事で休みもままならず、
結局、彼だけが旅をできないのだから。

私は幸い、心の広い、理解のある夫を持った。
でも、それはそういう関係を私たちが培ってきた、とも言える。
もっと言うなら、夫を無理やりにでも理解させてしまったというわけだ。
「夫が許すわけないから、夫ぬきの旅なんてできないわ」
と言う人はたとえ夫が許しても、
夫のいない子連れの旅など結局する気がないだけなのだ。

真理はいつもこうだ。言い訳をつくって何かをやらない時、
それは心底から(潜在意識も含めて)そのことをやりたいと
思っていないだけのことなのだ。


【カマルグの白馬。野生の馬たちの元気な様子】

だから、「英語ができないから、海外には行けないわ」
というのも同じ。本当に旅をしたければ、英語ができなくたって、
平気で海を渡ってしまうだろう。

私は幸い30歳から4年間マンハッタンで暮らした経験がある。
だから今は生活するのに困らない程度の英語はできる。
でも、マンハッタンに住み始めたときは英語は少しね、と言う程度だった。

今でも思い出す。部屋の電球が切れたので、
電気屋へ行ってみたものの、電球をなんて英語で言うのかも知らず、
本当に大変だった。RとLの発音だって違いを意識すらしてなくて、
正確になど発音できなかったしね。
マンハッタンへと単身乗り込んだのは、若げのいたり・・・。
(しかし、そのマンハッタンで今の旦那に出会ったのだから、
まったく人生は分からない)

当然、地中海沿岸の国の言葉、
イタリア語もフランス語もしゃべれない。
英語がどこまで通じるのかも予想できず、期待はできなかった。

それでも旅に出てしまうのは、本当に心から旅をしたいからに他ならない。


【ニーム。デニム発祥の地】

行き先を地中海沿岸にしたのは
聖パウロがローマから地中海沿岸を旅して
アルルから内陸に入り、スペイン(当時のイスパニア)へと向かった、
という伝承があるからだった。

パウロという人に何故、こだわるかは明日のブログで書きまする。


【アヴィニョンの有名な橋】

この旅では娘と同い年のお嬢さんを持つ
2組の家族(父抜きだけど)がそれぞれ違う時に
わたしたちに合流して旅の友となった。

そのいきさつはあさってのブログでとっくり
本音で書いてみよう。ああ、醜い本音、をね。

この地中海の旅で訪れた町は
パリ、アルル、サント・マリー・デ・ラ・メール、カマルグ、ニーム、
アヴィニョン、ディアノ・マリーナ、コモ(コモ湖)、
ルガーノ(ルガーノ湖)、ジェネバ、ラッパロ、ポルトフィーノ、
チンクレ・テッレ、イェール、ミモザ、サン・トロペ、ニース、
マルセイユ、モナコ、エクス・アン・プロバンス、リヨン、ローザンヌ、
ジュネーヴ、ベルン、チューリッヒ、インターラーケン、
ユングフラウヨッホ、グリンデルワルト、ルッツェルン、モントルー、
エビアン、カードラッツ・・・
ざっと、34ヵ所くらいだろうか。

それを約6週間くらいの間に回ったのだ。
ご苦労であったねえ、と今更ながらに思う私です。
(変人、奇人、ノーテンキな私としかいいようがない)

ああ、もう一回同じ旅ができるかと言えば、
娘と2人での旅はもうできないだろう。
今度は夫と2人で、地中海の旅をしてみたいなあ。

間違いなく、そこは別天地なのだから。
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2006年春のイタリア旅行を振り返って

2008年05月22日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

【写真は全て3枚ともシシリア島のチェファルの景色】

この旅で私は初めて、バックパッカー的な旅をした。
40歳後半での暴挙である。しかも、子連れ。

子供を生んでから、一貫して子供に広い世界を見せることを
心に留めてきた。別に大上段に立って、○○教育論とかがあってのことではない。

単純に私が親からそうやって育てられたからだ。
父は車で海、山といろんな所へ私を連れて行った。
その幼い頃の経験ははっきりとした記憶として残るような類のものではなく、
私の肉体の一部となって養分となり蓄えられたのだ。

その養分を人生という過酷な旅の中で、エネルギーに換え、消耗させる。
もし、その養分がなければ私の人生という旅は
味気ないものとなってしまったはずだ。

だから、娘にも同じように養分をたっぷり与えようと決意した。

30歳の時、単身で頼る人もいないマンハッタンへと向かった私である。
そこで4年の月日を過ごしてみて、さらに確信したのだ。
異文化に触れることの大切さ、日本の外に出て日本を客観視することの意義を。

自分には不足していたものを、自分の子には与えてあげよう、と決心した。
それは、「異文化に入ってもものおじしない、国際力」だ。
それには私のように大人になってから海外留学をするのでは遅い。
できれば小さいときから呼吸して吸い込むように体内に取り入れてしまえたら、
と思ったのだ。




長くなったが、旅はそのために私が子供へ与えてあげられる最上で最高の
教育のつもりだ。

そんな中、小学4年生になるにあたって、
娘と2人、地図を片手に手作りの、つまり世界でたったひとつだけの
その一瞬にしかありえない偶然に巡り会うために旅に出たのだった。
娘も洗礼を受けたいと言い出した折だったので、
キリスト教文化にまつわる場所を見て回ることにした。

巡礼地というのは既に手あかが付いてありきたり。
なんか、マイナーでも、意味のある場所は?
と探していて、行き着いたのが聖書のこの箇所だった。
パウロのローマへと向かう宣教の旅の途中でのくだり、
「シラクサに寄港して、三日間とどまり」(使徒行伝28:12)
である。そう、パウロが寄港したシシリア島シラクサへと
行くことを決心したのであった。



ローマからアッシジ(聖フランシスコ)→ローマ経由シシリア島パレルモ→シラクサ→タオルミーナ→チェファル→パレルモ経由でミラノ(ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」)

この旅の中心は、偉大な信仰の跡をたどることであり、
身の安全も必要な出会いも神に全部委ねることだった。

そして信仰とは現実をどう生きるかであって、
それは崖っぷちに立っても神を信頼し、神だけに頼ることだということを
体験したのである。そう書くと、他力本願、困った時の神頼み、みたく安易で
お気楽なだけじゃんと誤解されるかな。
自分の意志(想念と呼んでもいいのかも)で、神に全てを明け渡し、
「神を味方につける」ことが大切なのだ。
神を味方につけるのは、実はそんなにたやすい事ではない!

毎日毎日、ありとあらゆる誘惑を受け、霊的には崖っぷちに立っていることを
思い知るべきだ。旅はそんな感覚を呼び覚ましてくれる。
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4月3日、イタリアの旅/ミラノから成田へ、帰国の日

2008年05月22日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

【ホテル近くのガルバルディ門の前で】

ミラノはレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」だけを
見るためにやってきた。それを守備良く果たせ、当時話題になっていた
「ダ・ヴィンチ・コード」での説、ヨハネとされている
人物は・・・・実は・・・?を検証した。

私はダ・ヴィンチの絵より、ボッチチェリのが好きだから、
絵を見るなら本当はフィレンツェへと心はなびく。
ウッフィツィ美術館で見た、「ヴィーナス誕生」が忘れられなくて!

でも、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」・・・!
その構図に完璧な天才の技をみるのは子供にとっても有意義だと思った。
13人の人物が長方形のテーブルの同じ側に並んで描かれたのは
美術史上初めてのことだったのだしね。

エアが夜発つ便だったので、朝寝坊して10時に起きても、
ゆっくり朝食をとって、コルソ・コモ探索ができた。


昨晩の夕食に入った、レストラン。
お寿司を食べましたが・・・。きゅうりがイタリアでは入手しにくく、
高いんでしょうね、カッパ巻きがとっても高くてびっくりした。

すごく繁盛していて、お洒落な人であふれていたが、
近くのテーブルにはアジア人軍団がいた。
漏れ聞く言葉からは中国人のようだった。すごいねえ、中国人パワー!


コルソ・コモ通りからまっすぐ繋がっていた通りの様子。
昨晩歩いたときは若くてお洒落なミラネーゼで賑わっていた。

娘は不思議そうに私に言った。
「ここの若い人たち、みーんな黒いTシャツとかシャツに
ジーンズをはいてるね」

そうです。2006年4月2日の夜、コルソ・コモに繰り出してきた
若者たちはほとんど、黒にブルージーンズだったのです。
その時隆盛を極めていた、ヒップハンガーのね。

シシリア島でみた素朴なジーンズ姿はミラノのコルソ・コモにはなく、
三段腹も見あたらず、ここではファッショナブルにジーンズをはけてこそ!
やっと市民権を得られる、といった感じでした。

子連れ旅の最後に「やせなきゃなあ」と思わされたわけでした!
娘のジーンズ姿・・・。やっぱり素朴派ですかねえ。

ミラノのホテル(良かったよ)
Una Hotel Tocq
39 02 62071
https://www.travelnow.com
を開いてA1 Discount Hotels Hotel Reservationから予約した。
ディスカウントのノーリファンド(キャンセルしても払い戻しなし)
という条件で、一泊一室が15,749.83円だった。駅も近いし、
スノッブな雰囲気がお好きならオススメのモダンなホテルです。




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4月2日、イタリア旅行/最後の夜、有名なサッカー選手に会う

2008年05月22日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

これが私たち親子の記念すべき、イタリア旅行での「最後の晩餐」!
もとい、最初で最後の宴会でのスナック!

実は夕食は娘のたっての願いで日本食だった。
ホテルの近く、コルソ・コモで2件の和食店を見つけた。
その内のどっちかっているとカジュアルなお店で、
最後の晩はありがたくも妙にお高級になっているカッパ巻きを
娘とほおばったのであった。

食事をして、ホテルに帰ると
↑写真のようなオードブルが、無料&あ食べ放題だとバーの前に
看板が出ていたのだ。お高級なカッパ巻きでは
十分満たされなかった私たちはそのタダ、というのにつられて
ふらふらとホテルのバーへと近づいていった。

9歳の娘にバー(しかも、すごくお洒落)早いのはもちろんだけど、
ちらっとバーをのぞいたら、客が1人もいなくて、
バーテンとしゃべっていたホテルのフロントのお兄さんが
入るのをためらっている私に手招きしてきたのだ。

国際親善! ここは思い切って、と私はバーのカウンターに腰を下ろした。
娘ははなから食べ物目当てで、まったくもって、
動じることもなく、むしろ恥ずかしげもなくスナックに手を出した。
「こら、飲み物を頼んでから」とたしなめたが、
カウンターにいたフロントのお兄さんが「どうぞどうぞ」と愛想がいい。

そっからはラテンのノリの楽しい楽しい夜となった。
途中からアメリカ人女性が1人カウンター席に加わった。
彼女がカクテルを頼むと、バーテンのお兄さんが
おどけてダンスを踊りながら、カクテルを作るので本当に盛り上がった。

娘もコーラで酔ったのか? と疑いたくなるほどバーテンのお兄さんに
合わせるようにおどけてみせる。コレがうけた!
多分その時流行っていたお笑いタレントの動作をしたのだと思った!
誰のギャグだっけ?


この写真↑の男の人、イタリアでは有名なサッカー選手なんだって。
何度も何度も名前を聞いたのに、忘れる前に、覚えられもしなかった。
フロントのお兄さん(仕事が終わってバーでくつろいでいた)
がいうには、イタリアで5本の指に入る有名な
プロのサッカー選手なんだって。

で、ミーハーな私はそのサッカー選手に記念の写真を撮ってもいいか、
と聞いてみた。すると、こんな感じに・・・。
な、何も膝の上に乗らなくても、と思うだろうが
お兄さんがひょいと娘を膝に乗せてしまったのだから仕方ない。

2006年の春の旅行のことだったので、その後のワールドカップでは
のお兄さんが出場しないかと、ちょっと期待した。
5本の指に入るなら、代表選手だろう、と思ったからだ。
でも、イタリアのチームにこの写真の選手がいたのかどうか、
まったく分からなかった。
サッカーのお兄さんは気さくで、翌日の朝食時にもレストランで会ったが、
ウインクまでしてちゃんと挨拶をしてくれた!

ところで、この選手、本当に誰?
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4月2日、イタリアの旅/ミラノでの行列のお店

2008年05月20日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
ホテル近くの地下鉄ガリバルディ駅からカドルナF.N.M駅へと行き、
そこからレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」へと向かう道で、
写真↑のような行列に遭遇。
私と娘は「最後の晩餐」を鑑賞後に、再び行列を見て、
ある決意をした。

「私たちも並ぼう!」
列の前になるに連れ、お店の全貌が分かってきた。
中はとってもモダンなインテリアのカフェになっていて、
入り口にジェラートやチョコレートのショーケースがあった。

私たちはお持ち帰り(というか歩きながら食べて帰ることにして)
で、ジェラートを買った。
娘はこの旅行でいつもいつも食べてきた「カフェ味」を頼んだ。
気に入ったら同じものばかり・・、誰に似たんだろう?

ミラノのこのジェラートは甘さ控えめで、実に美味でした。

さて、「最後の晩餐」の予約に関するデーターを!
http://www.cenacolovinciano.org/
(英語のサイトあり。ネット予約対象は各界の定員25名中の10人のみ)
02-89421146
(電話予約は火曜~金曜が9:00-18、土曜9:00-14:00)
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イタリアの旅/ダ・ヴィンチ・コードを検証?

2008年05月19日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

左側に頭をかしげている人物、これはヨハネなのか、
マグダラのマリアなのか?
なんでぇこんなに女っぽいヨハネをダ・ヴィンチは描いたのかしらん。
誤解されても仕方ないくらい、女性的だ。

ヨハネはやさ男だったのね、きっと!
ガイドブックによれば、福音書の著者としての
ヨハネのシンボルは鷲なんだって。


イエス・キリストとマグダラのマリアとの間の子供とか
イエスの血脈とか・・・、本当に大胆な仮説を展開させた
「ダ・ヴィンチ・コード」はあくまでも作り話、小説だ。

なんだからして、イエスを神の子と信じているキリスト教徒からは
なんつうかね、「えーかげんにしてねえ」という怒りがとぶ。
でも、結局、こういうことだ!
イエスが神の子で、神様は自分の子を十字架にかけてまで、
わたしたち人類を救おうとなさったのだ・・・。
それを信じるか信じないか? 信じないもよし、信じるもよし!

ヨハネの福音書3:16
"For God so loved the world that he gave his one and only Son, that
whoever believes in him shall not perish but have eternal life.
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世(私たち人類)を
愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の
命を持つためである。





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4月2日、イタリアの旅/「最後の晩餐」ーサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

2008年05月17日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

【チケット売り場。もとい予約したチケットを受け取る場所の建物、
入り口向かって右方向から「最後の晩餐」見学ツアーが始まる】

最寄りの地下鉄駅から簡単に着けるはずだった、
サンタ・マリア・デッレ・グラーツェ教会までの道で、
のっけから迷ってしまった。

丁度前を東洋人のカップルが歩いていたので、
娘がとっさに母がたしなめる暇もなく、
「あのー、日本人ですか?」と後ろから声をかけてしまった。

は、恥ずかしいけど、た、たよりになる娘、複雑な思い!
すると、何と日本人だったのだ。ラッキーにもそのカップルから
日本語で道案内をされ、無事教会にたどり着けたのだった。

ちなみに、今どきの若い日本人はミラノの町の中にいても、
洗練されていて、他の東洋人、中国人や韓国人より
ソフトな印象を与える。これは、いいことなんだろうね。



これが本来は教会のファサード(正面の入り口)があるところ。
丁度修復しておりまして、このように徹底した覆いがかかってました。
十字架だけが申し訳なさげに、てっぺんに顔を出していて・・・・。
現代建築みたいでしょ。さて、無事(前回書いた通り)「最後の晩餐」を
観賞できた。ミラノに来た唯一の目的を果たしたのだった。


【裏口から入っていく感じで、教会に入ると、回廊になった中庭がありました。
お花がきれい。】

「最後の晩餐」の観賞後、せっかく、教会まできたのだから
御御堂でお祈りしなきゃ、と娘と教会内に入っていった。
なんだか教会内でアート展のような催し物をしていて、
品のいいおばさんたちでごったがえしていたが・・・・。
そんなことは意に介せず、お祈りをした後中庭に出て、
お庭の空間全部を覆ってしまいそうな、満開の花に感動した。



さて、売店があったので、私と娘は旅の最後に何か記念に買えるものは
ないかと物色をした。娘は十字架のピンバッチを買い、
私は「最後の晩餐」に関するガイドブック(写真下)を購入した。

ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」はサンタ・マリア・デッレ・グラーツェ教会
に付属した古い修道院の食堂の中にある。
土地を1463年にドミニコ修道会に寄贈されたのが始まりなんだって。

ミラノ公ルドビコ・イル・モーロが一家の霊廟にと決め、ダ・ヴィンチも
彼からの依頼で「最後の晩餐」を描いたという。
着手が1495年で2~3年の月日をかけた。すごいねえ、ゆっくりで
何故だか羨ましい・・・・。



20年前にミラノで「最後の晩餐」を見た時は単なる古い壁に書かれた絵、
にすぎず、「へえー、これが有名な・・・なんだ」と思ったにすぎないが、
娘も私も今や、キリスト信仰を持っているので、
12人の弟子の様子や、キリストの姿をまじまじと見入ってしまった。

聖書のたった1節をこんなに緻密な人間劇に仕立ててしまうなんて・・・。

After he had said this, Jesus was troubled in spirit and testified,
"I tell you the truth, one of you is going to betray me."
イエスはこれらのことを話された時、霊の激動を感じ、あかしして言われた。
「まことにまことに、あなたに告げます。あなたがたの内の1人が私を裏切ります。」(ヨハネの福音書13章21節)


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4月2日、イタリアの旅/ミラノへ、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」

2008年05月16日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
チェファルからタクシーでとばすこと約30分くらいで、パレルモ空港に着いた。
シシリアのパレルモ空港からミラノ行きの飛行機に乗った。
ルフトハンザ航空1045便 パレルモ発10:10分発ミラノ行きだ。
(ヨーロッパ間を移動するルフトハンザの航空券はネットで簡単に購入できる)


デザイン・ホテルで有名なUNA Hotel Tocqを押さえてあった。(流行発信地
トルソ・コモにあるホテルで、近くにディスコがあった)
ミラノだもん、ちょっとミラノらしいホテルにしたかったからね。
バスでミラノの中央駅まで行き、結局そこからタクシーでホテルに向かった。
特別に安いレートで、キャンセルが聞かない予約だったので、
旅行が無事予定通り進んで本当によかった!

で、ホテルの部屋で少しゆっくりしてから、
ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見るために最寄りの地下鉄駅へと向かった。
「最後の晩餐」はかなり前に予約しておかないと、見られない。
もちろん、旅行の2ヶ月前くらいに日本から電話をして予約しておいた。

予約は英語が通じたのだが、本当に私の耳が正しく、
相手の英語を聞き取れたか不安でならなかった・・・、トホホ。
というのも、予約番号を教えてくれたのだが、それを当日受付で
いうと実際の切符を受け取れることになっていたのだ。

電話ではカードナンバーも伝えたような気がする。
私が予約した時間は16時45分であった。
観賞時間は15分しかなかったが、日本語の音声ガイドを借りて
何とか充実した時間にはなった。たまたま
日本人ツアー客たちと一緒に見たので、ガイドさんの説明も
時折気になって、象さんの耳状態にそばだてた。
でも、日本人のガイドさんは私たち親子を徹底的に無視して、冷たかった。
(お金払ってないんだから、聞かないでね、て感じで)

あー、イタリア人のが優しい!
私は何だか、笑顔を交わせられない同国のツーリストたちや
ツアーガイドさんに、心から失望してしまった。
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4月1日、イタリア旅行/シシリア島チェファル近郊のキャンプ場

2008年05月15日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

浜辺ではゆったりとどのくらいの時を過ごしたのだろう。
私たちの他にはひとカップルの恋人だけしかいなかった。

恋人たちは浜辺にレジャーシートを敷いて寝そべっている。
ちょっとドキドキしたが、娘への教育上よからぬようないちゃいちゃとした
戯れもなく、恋人たちは静かに景色を楽しみ、景色を吸い込み、
景色と一体になるくらい、リラックスしていたにすぎなかった。

私たちはそんな恋人たちを残して、その場を去った。
(きっと、あのカップルもほっとしたことだろう)

そして、写真はチェファルのホテルに帰る途中、寄り道してみた
キャンプ場で撮った写真。入り口に門番がいて、
「ただ中を見学したいんだけど」と言ったら、お金も取らず、入れてくれた。
なんとキャンプ場内には海沿いにプールもあった。
お父さんにホースの水をかけられて、キャッキャッとはしゃぐ
子供がいて、その前には立派なキャンピングカーが駐まっていた。

なかなかきれいなキャンプ場で、キャンピングカーで
家族旅行するのも本当に楽しそうだなあ、と心の底から憧れた。
(私は決してアウトドア派ではないので、そんなことを思うのは珍しい)
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4月1日、イタリアの旅/チェファルのサイクリングで蘇る、母子の絆?

2008年05月14日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
ホテルのフロントのお姉さんが、
チェファルから西へ(パレルモ方向)と海岸線沿いを走っていくと、
きれいな浜辺がある、と教えてくれた。

たった、それだけのサジェスチョンを頼りに
娘と私は自転車を西へと向かって走らせた。
娘がいい気になって、母親の前を車輪を走らせる。私が「止まりなさい」
後ろから言うのを無視したせいで、それみたことか、
スクーターにぶつかりそうになった。本当に、危うかった。

それ以来、私の語調はきつくなり、娘はふくれっ面になった。
「母親の言うことを聞くように!」と念を押して、彼女の
行動を制限し続けたからだ。女の子だから母子で旅ができる?
と世間の人は言うだろうけど、私の娘は女の子の範疇なのだろうか・・・?

育てた親の顔が見たい!


目的地に着くまで、立ち寄れそうなお店が一件のみ。
なんだか、心細くなりながら、フロントのお姉さんの言葉を信じた。
「海岸線を走っていれば、すぐ分かるわよ」

で、確かに、途中、海が見えなくなったと思ったらすぐビーチへ
へと続く道の案内があった。そして、出会ったのが上の写真の
本当にきれいで静かな浜辺だった。

印象派の絵のように、ゆらめく光をたたえた海を見た途端、
私たち親子のそれまでの無言の戦いは終始符を打った。
娘は急に元気になり、私は豊かな気持ちをこの胸に引き戻せたのだ。
さて、その模様は以下、写真にてご覧あれ。


彼女の洋服に注意。シシリアの旅で購入したチープ・ファッション。


上着は必要なくなり・・・。石拾いを楽しんで・・・。



とうとう、水際へと興味が引き寄せられ・・・。んな、ことに!


私は浜辺に腰を下ろして、波と戯れる娘を見守っていた。
するとどこからともなく真っ白なチョウチョが現れて、
ひらひらと砂浜から海へと向かって高度を上げていった。
私はチョウチョが恐れもせず、海の上を空へ向かって飛んでいる姿に
感動していた。私は熱くなった目頭から涙が落ちるのを
拭いもせず、ただただチョウチョが向かっていった空を見上げていた。

そして、空の青ではなく、たなびく雲の白さに心をふるわせた。
聖書の「ヘブル人への手紙12章1節」を思い出したからだ。

herefore, since we are surrounded by such a great cloud of witnesses,
let us throw off everything that hinders and the sin that so easily
entangles, and let us run with perseverance the race marked out for us.
こういうわけで、このように多くの証人たちが”雲のように”
私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの
重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている
競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

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4月1日、イタリアの旅/チェファルでマウンティン・バイクを借りる

2008年05月13日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
今でも思い浮かぶチェファルの町の情景に、
おじいちゃんたちの楽しそうな語らう姿がある。
テラス席をおじいちゃんたちが陣取って、なんともユーモラスに
身振り手振りで何かしきりに友人たちと話しこんでいる。

ここで老後を過ごすのは、本当に楽しそう!とふと思った。
気になったのはおばあちゃんが一緒じゃないこと・・・。
おばあちゃんは家で家事かなあ・・・、まさか、男のが長生き????

おじいちゃんスポットは新市街地に多かった(結構いろんなところで見かけた)。
そして、そのメインストリートに娘が飛び跳ねて喜ぶお店があった。
レンタル・バイクのお店だ。正確にはScooter for rent!!
私たちはさっそくお店の中に入っていった。


お店には若くて気さくなお兄さんが1人、なんとなく
暇そうに椅子に座っていた。で、私は英語が通じますように、と念じながら
「子供用のマウンティン・バイクもある?」と聞いた。
ラッキーなことに英語が私よりずっとうまいお兄さんはいろいろ
説明してくれ、もちろん、子供用もあるとのことだった。

さっそく、私たちは一日レンタルの契約を交わした。
それは3月31日の夕方のことだったので、その時、
「じゃ、明日の朝、10時頃ホテルのロビーまでバイクを持ってきてね」
と言って、店を出た。そして、実際4月1日の朝、バイクがホテルに届いたのだ。

チェファルのレンタル・バイクはピック・アップサービスがあり、
ホテルまで指定日にバイクを運んでくれ、さらにまたホテルまで
バイクを取りに来てくれるのだ。本当に便利だった。


西洋のバイクには日本のようにスタンドがついていない。
よって、この↑写真のように柱とか柵とか壁とかに立てかける感じになる。
その立てかけた場所と自転車(バイク)とをがっしりと繋いで
盗難予防の役目を果たすのが鍵である。

バイクを運んできてくれたお兄さんが
「ここは日本のように安全じゃないから、鍵をかけ忘れないちゃダメだよ。
鍵もつけておいたからね」と言ってきたので、そりゃ、神経を使った。
盗まれたら本当に大変!弁償できない、と。

でも、マウンティン・バイクは快適で私たちは
チェファルの小高い丘の中腹にある高級住宅街まで足を伸ばしたり、
パレルモとチェファルの中間地点にある、別荘地帯や
キャンプ場へと足を伸ばしたのだった。(その模様は明日ね)
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4月1日、イタリアの旅/チェファルの浜辺散策と1人遊び

2008年05月12日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
娘はプールサイドで日向ぼっこをした、水着のままでね。
それは再生と呼んでもいいような、エネルギーのチャージを
もたらしたようだった。ホテルのカフェでポテトフライも食べたしね。


娘は水着のまま、ホテル前の浜辺へと出て、チェファルの中心街へと
砂の上を歩いていくことになった。目指すは岩山と
大聖堂がそびえ立つ旧市街!
もちろん、私は洋服に着替え、彼女の洋服やら下着やらタオルやら、と
荷物をいっぱいカバンに詰め込んでいた。娘はてぶら・・・。

水着で嬉しそうに前を行く娘。
裸足できもちよさそう。砂浜もそれほどに焼けてなく、
春の浜辺では素足が心地よい地熱に包まれる。

途中にこんな↑岩とのり、じゃなくて岩と海草が
おりなす不思議な光景を見た。

とうとう娘は砂浜の誘惑に屈する。
まだ泳げなくても、太陽にきらめく砂浜での彼女が発明した
1人遊び・・・。表面の固まった砂を使って砂の上に並べていく。
灰色の切り絵は、長い線となって砂浜に模様を作る。

↑こんなかんじに! ね。

さて、それでも、まだまだチェファル最後の日の冒険は
わずかにファーストコーナーを回ったあたりにすぎなかった。

その後、私と娘は海外では初めての、ドキドキの体験をした。
自転車でツーリングへと出かけたのだった。

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4月1日、イタリアの旅/チェファル、アパートからホテルに移ったので・・・。

2008年05月10日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
チェファルでのアパート生活は?
部屋は広かったし、ベランダも気持ちよかったし・・・。
チェファルの大きなスーパーまで5分もなかったし、
シャワーだけだったけど、お湯も快適にでたし・・・。
とすごくよいわけではないけれど、そこそこ満足できた。
ただ、途中でガスコンロのガスに火がつかなくなったのだ。

それで、レンジでチンのものしか食べられなくなった。
キッチン付きなのに、意味ないじゃん、という状態で、
結局、夜はレストランで食事をすることに・・・・。

無論、出る時に現地の不動産屋さんに文句を言ったし、
オクトバス・トラベルにも(ネットにて)
文句のコメントを出しておいた。

【チェファルのホテルの部屋からの眺め】
だから、アパートで3泊した後で、
海岸線を歩いて移動できる(徒歩15分くらい)距離にあるホテルに
移動したときは、実に嬉しかった。

でも、お部屋の広さはアパートの3分の1。
お値段は一泊約3千円(2人分)から1万6千円(2人分)へと
一挙に跳ね上がった。それもそのはずオーシャンフロント・ビューで↓

まだ、季節ではないものの、プライベートビーチが
通りを渡ってすぐにあったし↓

娘が大好きなプールがあった↓

しっかりがゴーグルまでつけて、張り切ってプールで泳ぎだした娘が、
30秒も持たず、震え上がってプールサイドに上がってきた。
「つ、つめたすぎーーる」

足を水につけた時から分かってたことだろうに・・・、
よくぞまあ、と母は内心呆れた。水の中に入れただけでも勲章もんだけどね。
デッキチェアで寝そべっていたフランス人が
「寒くて泳げないわよね」と慌てて娘の体にタオルをかけている
私に笑いかけてきた。「She was brave enough to swim!」と
付け加えてきたけど!

まだ、春を迎えたばかりのシシリア島でのバカンスは
泳ぐにはまだまだ太陽が足りなかった。でも、なんだろう、
泳ぎたくなるほどの明るさに満ちていたのだ。

Hotel tourist Cefalu
0921-421-750 fax:0921-925-878 http://www.touristhotel.it
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