日常にバカンスを!

お台場に住むakkiitaner(アッキーターナー)のまったりな日常とぼやきっぷり、っぷり。

パリのベルシー公園②ー子連れには◎

2008年03月27日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
再開発、というと六本木ヒルズとか
ミッドタウンとか我が東京でのそれは
デベロッパー的な分厚い札束の臭いがぷんぷんする。

空間をいかに効率よくお金儲けに還元できるか、と
そろばんをはじく姿を連想させる。
お金にならない、緑が青々したような空間は猫の額程度に
とりあえず、つけておく、という感じ。

都民が憩えるような空間というよりは、
都民(あるいは観光客)がお金を落とす場所、という感じなのも、
常々不満でしょうがない

さて、パリではどうだろう。
パリ東部地区の再開発は何とも魅力的な公園を有している。
ベルシー公園(なんと広さは13ヘクタール)だ。
そこは昔ワイン倉庫だったので、その間を走っていた
トロッコの線路もところどころに残されている。
さらにワイン蔵の思い出を永遠にとどめて置くためか、
ぶどう畑まで作ってしまった。

公園内には遊具ももちろんあって、
自分より小さい子供たちに混じって娘も無邪気に遊んでいた。
ひとしきり体を動かして、飽きると
広い公園を探索して回った。

花壇の中央の家に私と娘はふらふらと入っていった。
そこは、ワイン倉庫時代の19世紀の建物で、なんとも
雰囲気があったからだ。

水路と池を中心にした
”ロマンチック庭園”もある。
池はとっても印象的で、うろ覚えだが、
6歳の娘は飛び石だったか
橋だったかを楽しそうに渡っていった。

さて、その池に隣接するようにショッピングセンターが
続いていて、レストランやら雑貨店やらと充実している。
といってもハワイで例えるなら、
アラモアナショッピングセンターのように
近代的でばかでかい感じではなく、
どっちかというとワードセンターのように
こじんまりと和めるかんじのところだ。

最も感動したのは店が並ぶ通りに(屋根はついてなかった?)
小さいお砂場が設置してあって
そのお砂場の横にベンチがあったことだ。
娘がそこで遊んだことはいうまでもない。

このベルシー地区とセーヌ川をはさんだ対岸の
トルビアック地区との間に最近、橋がかけられた。
シモーヌ・ボーヴォワールの名前が付けられていたと思う。
橋だけではなく
夏になると川に浮かぶプールまで出現するという。

あー、なんて子連れに優しいパリの再開発のあり方でしょう。

物欲だけを刺激する東京の再開発とは違う。

開発するということは未来を見据えることなんだと、
パリの町は語っている。子供をないがしろにしてはいけない、と。




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パリのベルシー公園ー6歳だった娘と探索①

2008年03月24日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
最近、お家の大掃除に大忙しで・・・。
古い書類をスキャナーでコンピュータに保存したり、
カセットテープをMDに録音しなおしたり、
サイズの合わない娘のきったない靴などを捨てたり。
人並みに主婦らしい生活にいそしんでいた。

その結果、音楽を人一倍聞く結果となった。
なんせ、嫌いな整理整頓である、
何か余興がなければやる気が起こらない。
そこで、古いCDを聞きながら、
昔懐かしいあのころを思い出しながら、
そうじをしている、というわけ。
で、今はフランク・シナトラを聞きながら
こうしてブログを打っている。
ニューヨークのマンハッタンで、
本当に死にかけていた(まじに)
フランク・シナトラのコンサートを
ラジオ・シティで見たことがあった。
シャーリー・マクレーンとの競演で、
まあ、死にかけたシナトラの残念な部分を
シャーリー・マクレーンが
補ってくれていた。

そう、それはフランク・シナトラ最後の公演となった。
おじいちゃんのシナトラが音をはずしまくって歌うさまは
アメリカの一時代
(華やかで健やかな成長期)が確実に
終わったことを象徴しているようだった。
マンハッタンは第一次(パパブッシュ)湾岸戦争を経て、
不況の様相で、日本だけがまだ
バブルで浮かれていた時代だった。

でも、マンハッタンにいれば、やがて日本もバブルが終わり、
不況を迎えるであろうことは簡単に予測できた。
でもでも、日本はバブルに浮かれまくって、
マンハッタンのロックフェラーセンターを
日本企業が買ったりするという
恐ろしい勘違いまでしでかした後だったし、
日本の女の子たちはいい気になってきれいな格好をして
マンハッタンにまで旅行に来ては、
軽薄な行為を繰り返していた。

そんな時代を一部は猛烈に働く編集者として、
残りの一部をマンハッタンに住む貧乏学生として過ごしたのだ。
1990年から1994年の4年間を・・・・・。

さて、最近はもっぱらヨーロッパばかりを旅していて」、
若い時にはすごーく魅力的だったマンハッタンが
今や確実にその色彩をくすませている。
もし、私が若い時(今より、30歳のとき)会社を辞めて、
旅立つ先がマンハッタンではなく、
パリだったらどうなっていただろう。

そう思うのはあながち退屈なことではない。

私は結局、
若くて向こう見ずだったあの頃の自分が
完全に無視していた「保守的」なもの全てを
娘とヨーロッパの町々を旅して回りながら、
母であることの恩恵と共に、今更のように味わってるのだ。

これはどこかアイロニーに満ちていて、
保守的なことが嫌いだったからこそ、保守的なことの
良さが分かるのである。

子育てを通して人生はその濃度が
2乗にも3乗にもなることを実感している。

で、写真はパリのベルシー地区での娘の様子。
最近開発されたすてきな地域で、
さすがおフランスなセンスなのだ。
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パリのビュット・ショーモンは伝説の天国?

2008年03月19日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
丘の上にあるもの、
それは公園だったり、教会だったり、
が大好きだ。
それはなだらかに続く坂道を伴うものだし、
見晴らしのよい高台をも連想させる。

さて、ビュット・ショーモンというパリでは
地元の人に人気の公園もベルヴィルの丘の北端にある。
ただ、それがちょっとまた心憎いというか、スゴイと思うのが、
公園を丘の上につくったのではなく、
丘の急斜面にこしらえてしまった点だ。

公園内には岩山がそびえていて、そこから眺める
パリの景色は圧巻。白く輝くサクレ・クールの丘や
サン・ドニの街を目に焼き付けることができる。

19区という観光客にはまったくもってマイナーな場所にあるだけに、
普段のパリを切り取ってみるにはうってつけなのだ。

子供にもありがたく、遊具のある遊び場やギニョール小屋、
回転木馬もある。パリジャンっこのあげる歓声の中に
怖じ気づくことなく、6歳の娘は無邪気に加わった。
今になってつくづく思うのは、子供は幼ければ幼いほど、
異文化の垣根をひょいと簡単に越えてしまう。
そこに、壁など存在しないかのように・・・・・。

●メトロbis線のビュット・ショーモン駅下車
(あるいは、Botzaris駅かでも行ける。高台にある下町にある公園)
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パリのビュット・ショーモン公園ー6歳の娘のはしゃぎ方

2008年03月18日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
【スプリンクラーの下をくぐっておおはしゃぎ!】

ビュット・ショーモン公園は
パリにある公園の中でも、
ペット好きにはたまらなくありがたい公園らしい。

パリに住んでいる友人から
「ビュットー・ショーモン公園だったら、
うちの犬も連れて行けるし、行こうか」と誘われた。
「あ、その公園だったら、昨日行ったよ、
あそこは犬も大丈夫だったのね」というと、
「行ったばかりだったら、やめとこ」と、あっさり提案は引っ込められた。

代わりに行ったところは確か、友人のアパートの近く、
マレにあるヴォージュ広場だったかと思う。
出版社に勤めていた時に知り合ったこの友人は
わざわざ自分の時間を犠牲にして、
パリを案内するなんてサービスはしてくれない。
一度、私の泊まっているホテルに来て、
ルームサービスをとって一緒に夕飯を取ったことがあった。
私が気を遣って、取り皿に友人の食べる分をとってあげようとしたら
「余分なことはしないでくれる」
とぴしゃりと言われてしまった。
一緒にその場に居合わせた母が友人が帰ったあと、
「あんたのお友達、キツイ子だったわねえ」としみじみと
心のそこからつぶやいた。
「そりゃ、海外に1人で住んでいたらそうなるわよ」
とかばいながらも、実にわたしが感じたことを母が代わりに
言ってくれたので、ちょっと気が晴れた。

日本人特有の繊細な気の回し方が、
個人主義なフランスで暮らす友人にはうざいことであることは
確実だった。よって、パリを案内する、なんてことを
友人が気を遣ってしてくれるはずもない。

もし、私にニューヨークで暮らした経験がなければ、
そんな友人を冷たい人だと勘違いしたかもしれない。
個人主義がある意味
究極の思いやりでもあることは、
それになじんでいない日本人には分かりづらい。

案内されてパリを歩くより、
大変でも、自分で地図を見ながら悪戦苦闘して
目的地に着く方がずっと面白い。
ただ、子連れだからちょっと甘えたかった気もしたが、
友人ははっきりと言った。
「私子供好きじゃないのよね」と。

最近では、パリに行っても友人に会うこともなくなった。
それは、どうしようもなく寂しいことなのだけれど・・・・。
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パリの観覧車ーどきどきの体験

2008年03月16日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
まだ娘が幼稚園の年少さん(2歳)の時
友人の母娘とパリ&ニースの旅を楽しんだ。

それはすごく恵まれた楽しい旅だったので、
それから友人はパリ&ニースの旅を毎夏のように
楽しんで、やみつきになっている。
わたしと娘は年中から「お受験」に突入し、
それどころではなくなった。
でも、確かローマへの旅(年中で)はしたなあ・・・。
とにかく、「パリ&ニース」の旅はしばらくおあずけとなった!

こう書くと、とっても優雅な話に聞こえるかもしれないが、
基本、私の旅はすべて贅沢はゼロの
「子供が危なくない程度の貧乏旅行」なのだ。

さて、パリのコンコルド広場にある、この観覧車(写真)!
屋根がないので、子供が身を乗り出したら
落ちてしまいそうなんです。
前向きな表現をすれば、パリの景色をそよぐ風とともに
堪能できます。本当に気持ちいい。

もちろん、子供は身を乗り出さないし、
それほど簡単には落ちないしくみになっていた(と思った)!
どこがどう、ていえないが。

ぜひ、ご体験あれ!
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アンドレ・シトロエン公園ー6歳の娘と気球に乗る

2008年03月14日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
パリで気球に乗る
それはまったくもっていいアイディアに思えた。
しかも、その気球は世界で一番大きいときている。
空へとゆっくり上がっていく気球の中で、
いつもはせわしく動いている自分のあり方を、考え直す
いい機会かもしれなかった。

シトロエン公園に着いて、娘に
「あれに乗ろう」と空に浮かんでいる気球を指した。
娘の気持ちは目の前の水の流れの方に向いているのは
明らかだったが、とにかく気球に2人で乗った。
娘には、まあまあ楽しい、といったレトロな刺激の薄い
乗り物でしかなかったが、私には眼下のパリの景色と
頬をなでる風の感触が忘れられない思い出となった。

その後、写真のように娘は無邪気に水着になって、
水遊びをした。
そこは段々になったスロープに水が流れていて、
多分子供がそこで遊ぶことなど予想もせず、
作られたのだろうけど、まさしく子供がそこで
あそぶにはうってつけの場所だった。
その行為が日本人の恥をさらしたわけでもないことも明らかだった。

なぜなら、水辺の脇に水着になって横たわっている
若い女性が3人ほどいたからだ。
みんなおのおのにくつろいで、本を読んだり、
体を太陽の下に差し出して居眠りしているようだった。
実際水でぴちゃぴちゃはしゃいだのは娘だけだったが、
それを気に留める風でもなく、
本当に無関心でいてくれた。ありがたかった。

●アンドレ・シトロエン公園Parc Andre Citroen
その名のごとく、自動車メーカー「シトロエン」の工場跡に作られた公園。
水の流れにふちどられた広い芝生を中心にそれぞれ違ったテーマを持ついくつかの庭園で構成されている。その空気感や雰囲気が未来的発想を呼ぶ公園だ。丘の上にある2つの大温室の間の斜面には、時間で変化するマルチジェット式噴水が並んでいる。そこでも娘が水着になってひとはしゃぎ! 噴水と戯れる子供たちを大人はちょっとしらけて見ているのだった。気球体験もできるし、子連れにはかなりお勧めの公園だ。
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パリのマルモッタン美術館へーポニーに会う

2008年03月13日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強


部屋の壁すべてをおおいつくす、巨大な
モネの「睡蓮」はオランジェリー美術館で見られる。
チュイルリー公園をはさんでルーブル美術館の隣にあるから
ルーブルでささっとモナリザをみて、オランジェリーに立ち寄るのが
私の理想的なコース!

ただもし、モネの風景画を堪能したかったら、
ブローニュの森近くにある「マルモッタン美術館」にいくべきかも。
私と友人は子供が2歳の時に訪れた。
ベビーカーに子供を乗せてね。

マルモッタン美術館で画家の感性にたっぷりと魅了された後
ブローニュの森近くの道を歩いていると、
高く明るい子供たちの遊ぶ声が響いてきた。
私たちはその活気ある音に吸い込まれるように進んでいった。
すると、森に続いているというよりは、独立した感じで公園があった。
マルモッタン美術館でのアート観賞は
どっちかっていうと大人の楽しみだったから、
今度は子供のご機嫌をとっておく必要があった。
そう、必然的に公園での発散タイム(子供の)となったのです。
美術館の近くに遊具のある公園があるのは本当に
ありがたかったなあ。

滑り台、お砂場・・・・、と遊具が充実していて、
お母さん、おばあちゃん、おじいちゃんが
遊びに興じる子供を見守って、ベンチでくつろいでいた。
もちろん私と友人も日陰を選んでベンチに座った。
パリでは、日本での「公園デビュー」にまつわるような
シチュエーションはなさそうだ。
おかあさんたちがつるんでいる風はいっこうにない。
みんな、個別に公園にやって来て、
それなりに調和して遊んだ後、おのおの好きに帰って行く。

子供たちがひとしきり体を動かして満足げになったので、
公園を離れて地下鉄の駅に向かおうとしたら、
そこで写真(上)のようなポニーに出くわした。
あまりの可愛さに、2人の子供も駆け寄っていった。

こんな風にポニーがいるのも知らずに歩いていて、
偶然に出会えた嬉しい驚きと発見があるのもパリならではかな。
日本だったら、「ポニー乗り場」なんて大きな看板が出ていて、
柵に囲まれた敷地がボニー乗り場専用の場所になっていたりする。
でも、そこではポニーが人間と同じように、
公園の澄んだ空気と青々とした緑を楽しみながら
優雅に散歩しているような感じだった。

さて、この公園、多分Jardins du Ranelaghかと思う?

●マルモッタン美術館Musee Marmottan
2 rue Louis-Boilly,16e
01 44 96 50 33
モネの名作「印象・日の出」が見られる。印象派の名の由来となった作品だから
逃さぬようにね。モネの「睡蓮」はもちろんのこと、ルノワール、シスレー、
ユトリロなどの作品もある。ベビーカーは入り口で預けて入場する。
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パリのバガテル庭園ー小1だった娘との思い出

2008年03月12日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
パリの森で踊っていたのは
オードリー・へプパーンとジーン・ケリーだっけ?
あれ、男優の名前が思い出せない。
映画「パリの恋人」での舞台は、
はたしてパリのどっちの森だったのだろう。
ヴァンセンヌかブローニュか・・・・?

さて、私と娘はブローニュの森を目指した。
正直いって、気楽な気分で
「森にある遊園地に行ってみる?」と娘を誘った。
ところが、わたしたち親子は迷いに迷った。
まだ6歳だった娘は迷っているその状態すら楽しめる、
まだまだ幼児の感性できらめいていた。だから、
遊園地にはたどり着けなくても、
森の入り口にある小さな公園の遊具をみて、
嬉しそうにかけていってくれた。
結局、遊園地には行けず、
ママが本当に行きたかったところ、
バガテル庭園にだけたどり着けた。

庭園にはクジャクがいて、
娘の執拗な追っかけにひるむこともなく、
悠然と2本の足をスキップさせた。
「はねを広げてよ」と頼むと、「やだよ」と言われた気がした。

5月中旬から9月まで、
9千本のバラが次々に咲き競う。
主役のバラ以外にも、睡蓮の池では睡蓮も風に揺れていた。

このバラ園を訪問してから、
私はベランダと小さな庭でバラを育てるようになった。
もし、ガーデニングや造園に興味があれば、
バガテル公園は生きたガイドブックのような存在だ。
森を巡る散歩道のあちこちに小さな城館や池、
広い芝生、花園がバランスよく配置されている。
変化に富んでいて飽きさせない。

イギリス式の回遊庭園があったかと思うと、
フランス式の幾何学庭園にもお目見えだきる。
あんまり実感できないけれど、日本庭園だってある。

娘がバラのアーチのしたをくぐってはしゃぐ。
子供の無邪気な笑顔に合わせるように、
バラの花びらが揺れていた。

●バガテル庭園 Parc de Bagatelle
Bois de Boulogne, route de Sevres a Neuilly
01 40 67 97 00 無休
43番のバスでplace de Bagatelleで下りるのが一番効率がいい
行き方だろう。メトロ駅から歩くと私たちのように迷うかも。
ブローニュの森西北端の入り口近くにある。帰りのバスを待って
いるとき、木々が織りなす深淵で静謐な雰囲気に飲みこまれそうに
なった。そこでは人間が侮れない何か、
自然への畏敬の念を呼び
起こされる。くれぐれも夜には迷い込まぬよう。
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パリからの日帰りトリップーモネの家(6歳だった娘と)

2008年03月11日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
【モネの絵をマネして佇む娘(写真中央)6歳のころ】
パリに行くと必ず寄るお店が
「國虎屋」という讃岐うどんのお店。
そして、そこへ行く途中、ジャルパックやら
マイ・バスやらのオフィスの前を通っていく。

すると自ずと、ウインドーに飾られたツアーを知らせる文字が
目に飛び込んでくる。そして、ツアーに参加したくなってしまう。

私と娘の行動は、いつもこんな風。
「ツアーでどっか行ってみる?」
「うん」
「じゃ、どれにしようか」
「ディズニーランド?」
「まさか、日本にあるでしょ、ダメダメ」
「えー、じゃ、これ」
とモネの絵が添えられたツアーの案内を娘が指さした。
「ジヴェルニー モネの家、ねえ」
私はふーん、と首をかしげる。
そして、それに決めた。
このように突発的な決め方の場合、運も左右する。
それが毎日やっているツアーとは限らないし
たまたま曜日が合わないかもしれない。

旅に出ると、私たち親子はそんな運試しのようなことばかりしている。
でも、そもそも旅はどこか運試しのようなところがある。
行くと決めた日が快晴なら青い空をバックのモンサンミッシェルに出会えるし、
天候が悪ければ、私たちのように灰色な雲を従えたモンサンミッシェルになる。

さて、私たちのジヴェルニー(大画家モネの家、睡蓮の咲く庭
はモネの絵の世界そのものだ)は明るい光の中でほほえんでいた。

もっとも感銘したのはモネの浮世絵コレクションだ。
期せずして、娘は浮世絵をフランスで初めてみることになった。

彼の2番目の妻が愛用していただろうキッチンは
そのタイルの配置具合や、全体の色遣いが本当にカワイかった。

画家の感性に従って建てられた家は決してゴージャスなものではない。
さりとてそれはモネがすでに画家として成功していたことを、
如実に物語っている。いかにもセンスがいいし、何よりも庭が広大だ。
庭師が5人はいたというその庭に佇んで、
娘はモネの絵の中の少女になった。

●ジヴェルニー クロード・モネの邸宅と庭園 02 32 51 39 60
セーヌ河の下流にある緑豊かな静かな村。画家クロード・モネが43歳亡くなるまで過ごした邸宅がある。モネが描いた「睡蓮」の風景を実際に見られる池には日本人にとっては斬新な、緑色をした太鼓橋がかかっている。よく日本庭園にかかっているやつ、分かる?しだれ柳の下、その橋を渡るとふっと日本にいるような気になるよ。

パリ・サン・ラザール駅からフランスSNCFルーアンRouen
行きで約45分、ヴェルノンVernon駅下車。駅からナヴェット
(シャトルバス)で約15分。ツアーも出ているよ。




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パリからシャルトルへー6歳だった娘と初体験

2008年03月10日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
娘が6歳だったころ、私はまだ更年期障害ではなかった。
まだ、何となく自分がずーと若くいられるような気がしていた頃、
それなりにエネルギーもあって
パリからどこか電車に乗って出かけたくなった。

メモ用紙に行き先を書いて(フランス語で)
それを握りしめ、パリのモンパルナスの駅へと
娘と向かった。

ストーンと空に伸びたモンパルナスタワーが目印。
駅はそれなりに大きく、分からないことだらけだったけど。
まだまだ冒険者を気取ることができた頃だった。
改札では行き先を書いたメモ用紙を見せ、
大人1人、子供1人の往復切符をなんとか無事
買うことが出来た。自分の力をまだ信じていた分、
用意周到とはほど遠いずさんな計画だったが、
私と娘は本当に目指すシャルトルという町に降り立てた。
それはヨーロッパで初めて味わう電車の旅だった。

ただ、駅前はがらーんとしていて、
旧市街地まで歩いていかねばならない。
私たちはそれでもたどり着けた。
シャルトル・ブルーと呼ばれて本当に美しい
ステンドグラスを持つ、美しい「ノートル・ダム大聖堂」に。

町は中世のまま時が止まったように静まりかえっていた。
ゆったりと流れる小川の周りを散策して、
その崇高で気高いアカデミックな町の空気を堪能した。
大聖堂ではパイプオルガンの響きと共に、
6歳の娘は居眠りをした。それは、天使に囲まれているような
安心感に満ちた眠りだった。
私は訪れることの出来た喜びでいっぱいになって、
こっそり音もたてずに、主の祈りを唱えていた。

●シャルトルChartres モンパルナス駅から急行で50分、
              普通70分。1時間に1~2本
              (日曜は少ないので要注意!)
 
4世紀半ばから巡礼の聖地として栄えた古都。町には河がかかる
重厚な石橋や数百年の水車、船着き場などが残る。中世の雰囲気
が今でも残る。ノートルダム大聖堂は世界遺産で、町のシンボル。
観光案内所
pl.de la Cathedrale
02 37 18 26 26
http://www.chartres-tourisme.com
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パリのお気に入りの場所ーロダン美術館

2008年03月09日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
今回のパリへの旅行で
行けなかったパリのお気に入りの場所は多い。
それらを過去の写真と共に紹介していくね。

何度でも行きたい場所、しかも子連れにはありがたい場所、
という意味で写真上のロダン美術館は本当にお勧め。
娘が小学校一年生の時、ロダン美術館の庭はちょうどいい
遊び場だった。たとえば、お砂場があるのよね。
美しい庭はとにかく市民に憩いの場になっている。
美術館へは入らず、庭だけなら無料で
(12歳以下はどっちみち美術館も無料だけど)
テラスのあるカフェでゆったりできるのです。

しかも、庭園にはロダンの有名な「考える人」や「地獄の門」が
さりげなく置かれている。心にくいんす!

娘の彫刻への反応も面白かった。どうやら
絵画より立体的な分、興味を引くようだった。

●ロダン美術館 Musee Rodin
79 rue de Verenne 7e
01 44 18 61 10
9:30-17:45(10-3月は~16:45 最終入場は閉館の30分前)
月休 
http://www.musee-rodin.fr/
余談だけど、近くに3つ星レストラン
「アルページュ」があるよん。

●アルページュArpege
84 rue de Verenne 7e
01 45 51 47 33
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9歳の娘と友人とモン・サンミッシェルへーパリからツアー

2008年03月08日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
パリからはいろんなツアーが出ている。
日帰りツアーで最も人気なのがモン・サンミッシェルかと!

さて、我が娘も10歳の時、パリからのバス・ツアーに参加した。
片道4時間かけて、ノルマンディ地方へと走っていった。
途中トイレ休憩があるから、トイレの近い私でも大丈夫だった。

私と友人親子が選んだのは
ブルターニュ地方の可愛い町にも立ち寄る
盛りだくさんのツアー。モン・ミッシェルでは2時間くらい
滞在時間があって、各々自由に好きなところで昼食を取った。
ほとんどの乗客(日本人ばかり)は道中寝入ってました
新婚さんなのかカップルが多かったな。寝るよね、やっぱり?



これがその町並み。
残念ながら小雨がしとしと舗道をぬらす、
ちょっと肌寒い日だった。娘と友達が舗道を走っていく。
モデルが娘でもこうして絵になる町並みでした。カワイイ!
さて、ここで地理的なお話を。パリからは西に位置する
モン・サンミッシェルはノルマンディー地方とブルターニュ地方の
境、サン・マロ湾に浮かんでいるのだ。
木組みの家々が可愛い町(ブブロン)を30分くらい散策して、
さらに西へとバスは再び発車した。




自然のおりなす灰色の芸術作品を背景に
モン・サンミッシェルか天空の向かってそびえ立つ。
車中、バスガイドさんが日本語で
モン・サンミッシェルの歴史を教えてくれるよ。
世界史を習う前に聞いてみたかった。


バスの中から撮ったので、いまいちピンがピンときていない!
「岩山の上に修道院を建てよ」と言ったという聖ミカエル(大天使)
が、周りに放牧されている羊とともに今でも
このモン・サンミッシェルを守っている。
そんな気がした。

名物のオムレツも食べました。まあ、もっと美味しいオムレツは
日本にはいっぱいある気がした。

●Mont-St-Michel環境整備工事中(2015年完成予定)  
02 33 60 14 30
パリ・モンパルナス駅からフランス国鉄SNCFレンヌRenne行きに乗る。
約2時間(TGVという日本の新幹線のような列車で)
でレンヌに到着。レンヌ駅からモン・サンミッシェル行きの
バスで約2時間で到着。

私も電車で行く方法も考えたが、帰りの電車との兼ね合いが
悪くて、ツアーにした。電車でいくなら一泊した方がよい気
がする。車をとばしていったことのある友人は、ブルターニュ
やノルマンディの景色を楽しめて楽しかったと言っている。
でも結局、バスツアーがもっとも手軽だ。もちろん運転に自
信のある人はレンタカーもいいかもしれないが・・・。日本と
違って右側通行だし、ロータリーでの右折・左折は至難の技よん。

私が参加したツアー
emi travel
http://www.emitravel.jp/mt_st_michel/index.php



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パリの思い出ー小1の娘とメリーゴーランド

2008年03月07日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
【パリにはメリーゴーランドがいっぱい。子供によるけど、小学校4年生くらいまでは十分はしゃいでくれる。これは娘が小1の時】

3日前、娘の学校のママから電話があった。
「この冬パリに行ったんですって。えいみちゃんの
作文、今頃になって読んだら、書いてあったから」
「ああ、そう・・、そんなこと書いてしまって・・」
(本当にいかにも自慢みたいで作文にはしてほしくない)
「バレエを見に行ったってかんじよね,どのくらい行ってたの?」
「まる7日間パリを楽しんだの、バレエは4回みたのよ。
最初の3日間は時差ぼけでダメだろうと思ったから、
残り4日間で連続して毎晩みたの」
「すごいわねー、この春、私たち母娘もロンドンとパリへ行くのよ」
「わあ、いいわねえ」
「ドーバー海峡をユーロスターで渡りたくって」
「そうかあ、私たち、昔行った時、飛行機で移動しちゃったから・・、
いいなあ、どんなだったか教えてね」

という会話をした。その時、パリがどんなに子連れには
優しい町かを力説するのを忘れなかった。(ロンドンは印象が悪い)
その電話の主は、我が家のようなサラリーマンのご家庭ではなく、
会社経営を手広くなさっているオーナーの奥方なので、
我が家の貧乏旅行を紹介しても仕方がないだろうな、と思っていた。
ところが、素晴らしいことに
「娘のためには貧乏旅行のがいいと思っている」
とおっしゃったので、いい気になっていろいろしゃべってしまった。

ビジネスクラスでいける人がエコノミーに乗るのと→友人、
エコノミーにしか乗れない人がエコノミーに乗る→私たち、
のとではその意味あいが違う。

そのママがいった。(その母娘は休みの度に海外へと向かう)
「うまく言えないのだけど、目に見えない大きな事を
旅行から娘が学んでいる気がして・・・・」
その言葉に我が意を得たり、であった。ジャンジャン!
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ピーター先生さようなら!イーオンの人気者

2008年03月07日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

【先週の土曜日の夜のことでーす('08/3/1)! さよならパーティでの写真】

娘が10歳の時、お台場に引っ越してきてまずしたこと。
それが、豊洲シェルタワーにある子供英会話教室「イーオン」
の門を叩くことだった。
それまで、娘が習っていたのはピアノだけだったから、
多少ピアノの代わりという意味合いもあった。
それに私もそろそろ社会復帰の準備をしなくちゃ、という
思いもあった。娘と一緒にイーオンに通うことにしたのだ。
私の方は「児童英語教師」の資格を取るため・・・。
知ってる?
2011年から「小学校英語教育必修がスタート」すること。

圧倒的に不足している英語教師を補充するために
民間の学識者が推し進めてきたのが、J-Shineという協議会で
小学校英語指導者育成講座を開催しているのよ。
それを私は受けることにして、それを受けるためには
イーオンで1年間レッスンを受けなければいけなかったのよん。

で、「イーオン」では親子そろって、写真のイケメン!
ピーター先生にはお世話になりました。


ところがピーター先生は7ヶ月くらいして、
他のイーオン校に転勤になったの。
すごく悲しかったなあ。本当にいい先生だったから。
そして、この度日本をいよいよ発つという知らせが入り、
古巣の豊洲校の生徒が自主的に先生を呼んで
さよならパーティをしたのだった。

これはピーター先生の人気を物語る、わけで
私も娘と共に参加させていただいた、というわけです。
今は11歳になった娘が
「ピーター先生が学校の先生を入れても
一番よかった、大好き。マルタの英語の先生と同じくらい好き」
と言っています。
学校各位の皆様すみません!
ちなみにマルタの先生というのは、去年の夏
寄宿してお世話になったマルタ島にある
英語学校の先生のことです。

今年の夏も参加したい、とせがまれていて
ちゃくちゃくと準備中です。サマーキャンプ(ショート留学)の!

私は主イエス・キリストが最後の晩餐で言った言葉を思い出す
そして、母娘でいつかまた先生に再会できることを祈っています。
When a woman is about to give birth, she is sad
because her hour of suffering has come;
but when the baby is born, she forgets her suffering,
because she is happy that a baby has been born into the world.

That is how it is with you:
now you are sad, but I will see you again,
and your hearts be filled with gladness,
the kind of gladness that no one can take away from you.
"when that day comes, you will not ask me for anything.
I am telling you the truth: the Father will give you
whatever you ask of him in my name.

Until now you have not asked for anything in my name;
ask and you will receive,
so that your happiness may be complete.
(ヨハネの福音書16章から抜粋)

コメント (1)
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帰国(07/12/29)、成田空港でのマルシェに感動!

2008年03月06日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
パリをほぼ定刻に出発したジャル(JL)406便は
私と娘を快適に空へと運んでくれた。

というのも、私の横は空席。4席並んでいる
アイル席を3人で使えたのだった。これはとってもラッキーなこと。
遅くチェックインした割にはなんという幸運でしょう!
さて、お隣さんがいない場合、すみやかに肘掛けを上へと
持ち上げ2席を1人でゆったり使えるというわけ。うふふ。
相変わらず、映画鑑賞に励んだが、2ヶ月ちょっと過ぎた今、
さっぱり思い出せない。確か「ヘアースプレー」
(ジョン・トラボルタがデブのお母さん役をして踊った)
を観たような・・・。いずれにせよ、ジャルのエコノミーも
進化していて、映画は新旧かなりの数のタイトルが観られる
個人モニター搭載だ。しかもオン・デイマンド!(昔は違った)
娘はそれで、ゲームをやったり、くすくす、
時にはワハハと笑っていた。
そんな笑える映画やっているのかしら、と思っていたら、
タモリの番組を見ていたという。
我が娘はタモリが誰かも知らないで、
「おじさん、どんなテレビに出ているの」と
本人に聞いた女である。
横にいた私がどれほど青ざめたか・・・!
まあ、5歳の時だから許されるかもしれないが?
タモリさんはそれまで、相変わらずのおもしろさで
イグアナのマネやら、サルのマネやら・・・幼稚園児を
さんざん楽しませてくれていたので、本当に申し訳なく思った。
ちなみに私たち母子と友人の3人でカラオケボックスに
いたら、夫がいきなりタモリと一緒に現れたのだった。

びっくりしたー

さて、そんなことはどうでもいいんだった。
12時間弱の空の旅を苦痛に思ったことがない母娘であることは
十分伝わったと思う?

ところで、成田空港にマルシェが出ていて、
そこで写真のものを購入、これが本当に美味しくて
何だか日本のすごさを帰国後すぐに思い知らされた気がした。
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