日常にバカンスを!

お台場に住むakkiitaner(アッキーターナー)のまったりな日常とぼやきっぷり、っぷり。

---何でこうなるの、幸運編

2007年08月31日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強


失敗とはなんぞや?
間違い、てどんなこと?

そういう問いかけに、私はこう答えたい。

失敗は幸運の元、
間違いは幸運の種。

本当に私があの時あの道を正しく進んでいったなら、
私はバーゼルについてこんな美味しいお寿司にはありつけなかった。
ついてから1時間も経たないうちに。(写真上)

いやはや、人生は旅のようで、旅は人生のようで・・・・。
前振りが長すぎ?

そう、フライブルグから本の30分でバーゼルに着いた。
つまりドイツからスイスに国境を越えたのだ。
スイスこそ本当に安心して旅が出来る場所、と信じていた私は
自信を持って
「トラム乗り場はこっちの出口ね」と娘を誘導した。

そして、何の不安もなくエレベータで地上に降りようとしたとき、
そのエレベータにステキな東洋人のご婦人が乗っていた。
横には背の高い外人がいて、ご夫婦なのはすぐ察しがついた。

東洋人の母・娘が大きな荷物を引きずって乗り込んできたのが
チャーミングだったのか、変すぎたのか、
背の高い外人のおじさんが、
「コンバンワ」と声をかけてきたのだ。
えー、日本語上手、と思った瞬間、
確立90%に近い予想で、「あの、日本人の方ですか?」と
女性の方にとっさに聞いてしまったのだ。

この軽薄さがたまらない、自分でも。

さて、その女性は「そうですよ」という。
「ここは駐車場のエレベータよ」とすぐ付け加えてくれたのだ。
「え、そうなんですか、トラムのある出口じゃないんですか」
というと、「それなら私たちが今から行こうとしている方面だから
一緒に行きましょう」と言ってくれたのだ。

なんだか、この旅では優しい人ばかりに出会う。
ストレンジャー母子としては、
道を教えてくれる人は皆、天使に見える。

反対の出口へ進む道中は決して短くない。
バーゼルが都会であることはすぐ分かった。

さて、いろいろ話しながら歩くうちに、
なんだか、楽しげな雰囲気になっていった。
さて、ホテルへは6番に乗ってホテルに行くことは調べてあった(今度は)ので、
そのことを話すと、
どうやら、6番のトラムは駅前から出ていないので、
なにやらどこかで乗り換えなければならないと、教えてくれた。

「分かりました、じゃ、いっそのことタクシーで行っちゃいます」と
タクシーが乗り場に止まっているのが見えたので、
そう言って別れようとすると、
女性は「夫が一緒に日本食を食べに行きませんか?といっているけれど、
どうしますか?」と聞いてきた。
電車の中で節約をかねてパンを食べたばかりじゃん、とんでもない!と思い
丁寧にお断りしようとした瞬間、
娘が横で「行きたい、食べに行きたい!」と言い出した。

「夫が食べてからでよければ、車で送ってあげるよ、と言っているし」
とひと押しもあり、当然、その魅惑的な提案には抵抗できず、
本当にレストランへと赴くことに。

いやあ、旅っていいですねえ。
と思うのはこんな瞬間でもあるが、パンを食べなきゃよかった、と
思ったのも事実だ。

さて、「じゃ、私はパンをかじったばかりなので、
飲むのを中心でおつまみといきましょうかねえ」などと、
のたもうていた。
初対面の人に飲んべえさん、であることをあっさりばらしてしまうなんて、
わ、わたしってどうかしている!
しまった、と思ったが、遅かった。
「わたしは飲めないのよ」とおくさん。

「あ、いえいえ、じゃ、飲みに入るのはやめて、ちゃんと食べます」
と言ってしまった(そっちのが失敗だったかも)。

で、武士ではないが、武士に2言はない、ので
上の写真のようなお寿司を食べたのだ。
確か、「江戸っ子寿司」だったかな。
写真ではわかりづらいけれど、エビ天が入っていて、
天むすの親戚のような巻物が美味しかった。
衣もさくさくしててね。



(写真は店内の様子)

娘は「卵とじうどん」という。
「えー、なんでそんなものを」と思ったが、値段を見ると
お寿司より4ユーロくらい安い。
そうか、親孝行な娘、と思いなおして、
「分かった、うどんでいいのね」と了解した。

でも、待てよ、卵とじうどんが17ユーロ、う、
それって、うどんのぶんざいで3千円弱するのね、
えー、と考え直す。
「うどんより、寿司のがいいんじゃない、せっかくだから
ママの財布気にしなくてもいいのよ」と言うと、
「うどんが食べたいんだもん」という。

で、私はビールを頼み、我が家はざっと42ユーロ、なり、ということろ。
ただ、ここはユーロじゃなくて、スイスフランを使うんだった、と気づく。
なーんだ、あのうどん約1700円なんじゃん、とほっとした。
【注:1ユーロ=約160円、のつもりで計算。1スイスフラン=約100円の計算】

フランの手持ちがなかったので、
「すいません、フランを今、持ってないので、
カードで払わせて下さい。
そちらの分をフランをいただけるとこちらも助かります」
と申し出た。
すると、
「夫が全部払いたい、といっているから、
ここはこちらにごちそうさせて」という。

あ、あ、あ、ありえない。
こんな、話。
かなり、抵抗して払おうとすると、
「スイスではことばの裏などかく必要ないのよ。
本当に、できること、したいことしか申し出たりしないから」
と諭された。

日本に帰ってからお礼に何か送ろうと思って住所を聞いたら、
「なんかお礼するとか、そんな風に思うこともないのよ」と
教えくれない。
「あ、じゃ、お礼はしませんけど、お手紙くらいは書かせて下さい」と
言って、ようやく住所をいただけた。

しかも、ことば通り、車で送って下さり、
本当に助かったばかりでなく、身に余る幸運がこの身にふりかかっていることは
確実に理解できた。

メルキュール・ヨーロッパ(ホテル)に着くと、
奥さんの方から
「週末は予定があってバーゼルの町をご案内できなくて残念だわ、
でも、もしよろしければ月曜、うちに遊びにいらして、
テラスがとっも気持ちいいのよ」と申し出があった。

「そちらのご予定もおありでしょうから、
週明けに電話するわね、ホテルに」と
ホテルの電話番号と部屋の番号を控えて、去っていった。

なんて幸せな出会いだろう、
本当に本当に、親切から言ってくれているのが、
雰囲気で分かる。

ご夫婦には3人の娘さんがいるという。
その娘さんは全員、それぞれ独立して(未婚だが)いて
一緒には住んでいないとか。
子どもが好きでたまらない様子で、
どうやら娘を気に入ってもらえたようだ。

子連れ旅行でなければありえない。この幸運は・・・。
だって、誰が40過ぎのおばさんにここまで優しくしてくれようか。

奥さんは食事中もこう言っていた。
「今のうちに子どもとはべたべたしておきなさいね。
あっという間に巣立ってしまうから。私なんか、子どもの肌の感触やら
笑顔やら、こどものことなら些細なことでも全部覚えているのよ」と。

ありがとよ、娘。
本当に、遠慮ない子どもらしいその態度が、ご夫婦の心を捕らえたようだった。
寿司を食べず、うどんを食べたところも
二人の心をぐっとわしづかみしたのかも・・・。

よーく分からないが、”この幸運”に感謝だけは忘れなかった。

娘は「パパみたいないい人(オジサンをさしていた)が
他にもいるんだね、パパ以上にいい人かも」などと、無邪気に喜んでいた。

夫が聞いたら、嬉しいだろうか悔しいだろうか、とふと考えた。









8月16日、闇夜で?だったけど、ステキなホテル!

2007年08月31日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
昨日は一瞬どうなることやら、と不安だったが。
ホテルの部屋は娘のお気に入りとなった。



朝食をとるために階段を下りてみて、
おー、昨晩お兄ちゃん、こんな階段を
右手に私の大きなスーツケース、
左てに娘の小さなスーツケースを持って、一気にでも
本当に頑張って運んでくれたんだ・・。

と改めて感謝した。
この階段を(写真上)ぐるりぐるりと両手で荷物を持って
運んでくれたなんて、超人ハルクのような人だったのね。
体力もすごい!

娘が「昨日のお兄さん、すごかったよね。こんな大変な階段を
2つのスーツケースを同時に運んじゃったんだもの」と言ってきた。
母が感謝の気持ちでいっぱいになっているのが
娘にも伝わったのかなあ。

チップも受け取ってくれなかったので、
お金のためにしたのではなく、本当に親切心からの行為だったのだ。

これで、娘は一生、ドイツ人をいい人のいる国、とインプットすることに
なるのだろう。

旅人をもてなすのは、
私をもてなしたのと同じことだ、
というようなことを(小さき者にしたことは私にしたことと同じ、とも)
イエス・キリストの言葉として聖書は伝えているが、
見返りのないことを親切心だけでできる青年がいることに
ドイツという国のすごさを思い知った。



ささやかでカワイイ、ホテルのエントランス。
左にはレストランのテラスがある。

しかし、こんなひっそりとあるホテル、
夜の闇の中では見つけられなかったのもムリからぬことだった。

明るい内にホテルはチェックインすべし!
マルタからフランクフルトへの航空便をもうひとつ早いものに
設定すべきだったと、大反省!

でも、もし、早い便で来ていたら、
あのハンサムで親切な黒人青年には会えなかった・・・・。

そうだ何もかも、これでいいのだ!
うん、うん、と昨夜無事に着けた幸運をかみしめる私。

そう偶然は何もない。

私と娘はハイデルベルグで人々の優しさ触れ、
優しさの大切さを知るために、ここまでやってきたのだろう。



---聖霊教会を目指せ!

2007年08月31日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強


さて、昼食もしっかり食べたし・・・・。
どこかに出かけたいのだが、娘は全く出る気配がない。
理由は3つ考えられた、
①ホテルの部屋の内装が明るくてカワイイので居心地がいい
②足をしっかり治しておきたい(打撲は刺激をさけるのが一番)
③久々にコンピュータで遊びたい

ということだろう。

といっても10歳の子どもを一人にして出かけられない。

「じゃ、ママはコンピュータでブログでも書いているね」
と言って、ホテルの人にワイヤレスLANを使えるかどうかを
問い合わせてみた。

すると、「担当の人が来るまでしばらく待って」と言われ・・・、
1時間は待たされ・・・。

ようやく、担当の人がログインのためのパスワード等を持って
部屋に来てくれた。


マルタ島ではワイヤレスLANを試してみたが、常に接続不能で終わった。
でも、ドイツでなら、と淡い期待を抱いたのだ。
夫によれば、ワイヤレスでもインターネットができる可能性も5%くらいは
あるかもしれない、ということ。
そのわずかな可能性にかけてみたのだ。

よく言うじゃん、「可能性がある限り、闘う」て映画の中のヒーローがさ。
でも、もちろん私はヒーローではなかった。
駄目だった。残念!
使えなかったのだから、
インターネット使用料も取られないし、
節約にはなったぞ。よかった!
そう無理やり思い直し、気分を変えた。

仕方なく、娘がはまっている「ワード捜し」を始めた。
デスクから離れ、ベッドに横たわって・・・。
娘は随分前からベットに横たわり、
「ワード捜し」を始めて、うんうんうなったり、
「やった! ママ、また見つかった、すごい」などと一人で盛り上がっている。
スドクよりは簡単。でも、結構、手間どった。

時計を見ると既に4時だった。

さて、少しはやはり町を見に行きたい。
「ママ、出かけたいんだけど、どうする?」
と聞くと、
「ママ、一人で出かけていいよ、でも、その間コンピュータ、やっててもいい?」
という返事。なるほど、と思いながら
「いいわよ、もちろん」と答える。
インターネットができないのだから、変なサイトにアクセスするのでは云々と
心配する必要もない。安心して許可できる。
「じゃ、3時間だけお留守番できる?」
と聞くと、「できるよ」という。
ママだと分かる暗号を決め、ママ以外の人を絶対部屋に入れないことを約束させ、
私はホテルを後にした。

アメリカだったら子どもだけをホテルの部屋に残すのは犯罪である。

ヨーロッパではまだ、そんなことを聞かないので、その分安全なのだろう。
ドイツに住んでいた友人も「ドイツは安全だよ」と言っていたが・・・。
もちろん、絶対安全な場所など世界中どこを捜してもないだろう。

さて、ホテル前にあるトラムの停留所につく。(3分もかからない)
困ったことに販売機で切符を買おうともたもたしていたら、
トラムがきてしまい、仕方なく運転手さんから買うことにする。
「切符買いたいんだけど」といいながら、乗車した。
すると、
「切符は売れないから、切符なしで乗っていいよ」
などと言ってきたので、びっくりした。
狐につまままれたような気分だったが、そんなありがたいことはないので、
椅子に座って、無銭乗車を決め込んだ。

どうも、ここが一番賑やかそうだ!
大きな広場に出たので、
町の中心に違いないとふんで、トラムを降りた。

運転手さんが「本当は切符代を払うのが正しいからね、
僕だからいらない、て言って乗せてあげたんだよ」と
話しかけてきてくれた。それも、トラムの中から通りに降りた私に。
「ありがとう」と私は心からお礼した。

ドイツ人は四角張って融通が利かない人たち、とばかり思っていたので
このおおらかさに出会った時、本当にびっくりしたし、嬉しかった。
先入観でものごとを決めつけてはいけないことを改めて思い知った。

ただ、その後注意して見ていたら、
ほとんどの人が切符を持たずに乗車している、ということに
気がついたりもしたのだが。
乗車したら切符を黄色い刻印機に差し入れて
刻印をしなければいけないのに、刻印している人がほとんどいない、
という状況だった。

「聖霊教会」だけは見ておきたい!
そう思っていたら、教会に続いているハウプト通りという
メイン通りを偶然に見つけられた。ラッキー!
簡単だ、明らかにその通りが一番賑わっていて
歩行者しか歩けないような旧市街地のたたずまいだったのだから。

写真は聖霊教会。
シンプルな内装でマリア像やら何像やら銅像が置かれていなければ、
そこは大抵プロテスタントの教会だ。
プロテスタントは偶像礼拝をしてはならない、という
聖書のみことばに忠実だから・・・ね。
どうやら、聖霊教会はプロテスタントのようだった。

帰国後、資料で確認すると、当たり!(プロテスタント) であった。

さて、下の写真は斬新な教会のステンドグラス。
現代アートのようだ。

何世紀もの歴史を重ねてきたいかにも古めかしい教会に
斬新なアートを取り入れる。
そんな非凡で柔軟な感性に出会えたことに感動し、
ひたすらステンドグラスを仰ぎ見ていた。

そして、
”このステンドグラス、
あとどのくらいの年月をこの教会と共に過ごしていくのだろう”
とふと考えたりもした。




















---あの有名な橋を渡る

2007年08月31日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強


ネッカー川にたどり着く。
おお、川沿いの町並みも美しい!(上)
川の水は・・・、おお、濁流ちゃんね。

川や山など一切ない、マルタ島にずっといたせいか、
緑あふれる川沿いの景色を目にして、懐かしさがこみ上げる。



アルテ・ブリュッケ(オールド・ブリッジ)には門がついていた。
その門には塔が2本左右についていて、昔読んだおとぎ話の世界。
橋自体は1788年に完成されたというから、
同じように古そうだ。おや、妙なものを見つけた。(写真上)
と橋の脇に目をやる。
有名なオブジェなのか、観光客がきてはその前で記念写真を撮っている。

実に、これを猿だと分かるまでに時間がかかった。
そう、帰国してガイドブックを見るまで・・・・。

石でできていて、いかにも頑丈そうな橋を渡る。
観光のメッカなのか、たった10分そこそこの間に
2つの日本人団体とすれ違った。

きっと、ツアーの人たちは気づかないと思うけれど、
この団体ツアーが一斉に不揃いではあるが
列を作って歩く様は異様に目立つ。
地味な色合いの洋服の人が20人以上束になって、
明るい色調の洋服を着た人の中を歩いていくのだ。

陽と陰、善と悪でいったら、役回りは確実に陰か悪だなあ、と
ふと日本人の無表情な団体を目にして、感じてしまった。
だから、海外に行ったら、日本では着るのにはばかれるような、
派手で明るい洋服を着てみるのはいかがだろうか!

どこの国でも団体ツアーするものだし、
ツアーが悪いはずもない。
(私は個人旅行のが好きだけれど)

ただ、ヨーロピアンな色あいに身を包んで
ジャパニーズ・ファッションも今やハイセンスであることを
示してほしい。
いかにも高そうな洋服で歩くのは危険度が増すので
素材のよしあしは関係なく、安物でいいから明るめの色を選ぼう。
地味が信条のファッションなら、せめて小物で明るい色を
さし色に身につけて、歩いてみようね。

と、どうでもいいようなことなのだけれども、思ってしまった。

さて、石橋も渡ったことだし、
娘も心配だから、ホテルに戻ろう。

帰りは、来た時と反対方向のトラムに乗ればいいんだし、と。
ビスマルク広場にUターン。
といってもメインのハウプト通りではなく、適当に小道を通って、ね。

地元民のためのカワイイお店が見られるので、
住んでいるような感覚で歩ける、
メイン通りからはずれた小道の散策は本当に楽しかった。

その道もメイン通りとほぼ平行に走っているので、迷うことはない。

ただ、ホテルと反対方向のトラムに乗ってしまったのは、
我ながらドジで笑えた。(来たときと同じトラムに乗っていた)

もちろん、引き返すには単純に反対方向のトラムに乗ればいいだけだ。
と自分で自分を慰めて、通りを渡って反対方向のトラムを待った。
このことは娘には内緒にしておこう、と決めた。

なのに、ホテルに帰ってすぐ、
「ごめんね、ママ、反対方向のトラムに乗っちゃって、
 20分はそれで遅くなっちゃった!」
と謝っていた。

たった、3時間弱の散策だったが、
町の美しさを知るには、充分だった。







---ホテルのテラスで夕食

2007年08月31日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強


さて、お腹がすいた。
昨日は夜遅くなってしまったが、
今日は適正な時刻、7時に席につく。

昨晩もテラスで気持ちよく食事をしたが、
今晩も同じく、テラスに出ることにした。

ホテルの名前にレストランがついているだけあって
本当に美味しかったので、迷わずまたホテルのレストランにした。
まあ、娘の足が心配で動けないというのもあったが。

ドイツという国で美味しいイタリアンに出会うとは
嬉しい誤算だ。
オッソブッコとか、ビールにウインナー、
といったイメージだったが、
なかなかレストランもバラエティ豊かである。
今日は有名な「アルテ・ブリュッケ」(古い橋)前の
シュタイン路地に寿司バーを見つけたしね。



さて、お昼は英語のメニューがなかったが、
ディナーには英語のメニューがあった。
ドイツ語のメニューだと全くのお手上げだが、
英語なら想像できる。

この差は大きい。

さて、映水はカルパッチョ、にとびついた。
去年、パリで1回だけお洒落なカフェ・レストランに行ったのだが、
そこで肉好きな娘に私が勧めたのがカルパッチョだった。
だって、前菜だから安いのよね。
それが本当に美味しかったので、以来娘はメニューに
カルパッチョを見つけると
(トマトスパゲッテイがあっても)
カルパッチョを頼むようになった。


私は昨晩出されたサラダを気に入ってしまい
同じものを頼んだ。
そう、多少、ダイエットにも気を遣っているわけね。
ただ、チキンサラダなので、しっかり良質なタンパク質を摂取できる。
娘にもサラダとチキンは栄養的に必要なので、
2皿をシェアーすることにした。

といってもカルパッチョをあっという間に
3分の2まで食べてしまった娘に
「待った!」とストップをかけなければならなかったが。

え、メインデッシュがない、て。
娘との食事に限っては間違ってもメインまでは到達できない。
マルタ島のようにメインデッシュにたっぷり
付け合わせで野菜が付いていれば
メインディッシュだけでもいいのだけれど・・・。
野菜をとることを優先させ、サラダを頼むと
大抵それがどーんと大きいので、それだけでお腹がいっぱいになる。

美味しいドイツパンもついてくるしね。

そしてワインも忘れず、頼んで。
セプンアップも頼んで。

料金はしめて17ユーロくらいだった。
今、ユーロが高いので
円に換算するとそんなに安い感じではないが、
高いわけではない。

風や緑がそよぎ、ろうそくの明かりが揺れる。
なんて幸せ!
このホテルは正解だった、と心の底から満足した。
もちろん、娘も
「このカルパッチョ、今までで一番おいしい」などと
感動していた。




---ハイデルベルグの夕暮れ

2007年08月31日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
暮れゆく町の景色をパチリ。
ホテルの部屋から路面電車(トラム)の走る道路をのぞむ。

カーブしていくかんじがとっても好きだった。

娘はこの景色を見られただけで充分! と、
一日ホテルの部屋で過ごした。
打撲した足をいたわってのことであるが、
それほどに痛い、ということでもあり、心配だ。
私が外出した約3時間の間は、コンピュータに入れてあった
メキカンという漢字学習ソフトを楽しんだようだ。

メキカンを始めると
その集中力はすさまじく、
おお、楽しいことならがんばれるのねえ、
と呆れてしまうほどだ。
私の経験からして、勉強が楽しいわけはないが、
時代の流れというか、便利さには勝てないというか、
学習ソフト(CD-ROM)はゲーム感覚で楽しくできるので、
利用価値は大いにあると思う。

私も英語の学習ソフトはコンピュータに入れてある。
例えば、「英語は絶対勉強しないで」とか。
ネーミングがいいよね、
そのせいか、ほとんどやったことがない。

さて、ヨーロッパの鉄道旅行をお考えの方、
あるいはいつか行ってみたい、と願望をお持ちの方には
DBが出している「ヨーロッパ鉄道電子時刻表」
というCD-ROMをお勧めする。
http://www.tmo.co.jp/

今回それをPCにダウンロードしてきたが、本当に便利。

日にちと時間、発着駅、必要があれば経由駅を入れると
あらゆる情報が画面に表示される。
乗り換え回数、かかる時間、ドイツの列車だったら料金までも分かる。

まだまだ私は使い切れていないが、主要駅の構内も表示されたりと、
本当にスグレモノだ。

今回、DBのオフィスで列車の情報をプリントアウトして
もらったが、3ユーロもかかることを知っていたら、
頼まなかった。

ホテルに帰ってコンピュータを開ければ調べられるのだから。
でも、おかげでフライブルグという町に立ち寄る決心が着いた。

乗り降り自由なユーレイルパスを持っているんだもの
よさそうな町で途中下車をしてみたかったのだ。
もちろん、スーツケースを預ける場所が駅にあることも確認済み。

確認しても、本当にそうかなあ、と
ちょいと疑ってしまうのは、悪い癖? 生きる知恵?
とにかく、海外旅行では複数の人に聞いて確認を常にしていく。

ただ、DBのトラベルオフィスの人が
間違った情報を出すなんてありえない。

実は、自分の英語力に自信がないのであった。






8月15日、マルタからフランクフルトへ

2007年08月30日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強


さらば、マルタ島。

マルタ島のまとめは後ほどゆっくりとするとして、
この旅での日記を先に進めよ、と。

写真はホテルのエントランスの様子。



15:25発フランクフルト行きの便に乗って(LH=ルフトハンザ航空)。
飛行中、娘はワード捜しに没頭している。(私もやり出すとはまるたちだが、
娘もかなり熱中していた)

約3時間弱でフランクフルトに。
マルタへは私たちのようにフランクフルト経由で行ける。

他にローマ経由、ミラノ経由、ロンドン経由・・・・・、
といろいろな行き方がある。

エア・マルタ http://www.airmalta.com


が飛んでいる都市なら経由先になるのでネットで検討してみるといい。
ちなみに娘がECマルタで知り合った、日本人の男の子たちは2人とも
エミレーツ航空でドバイ経由だったようだ。

私たちは日本航空のマイレージのポイントを使っての無料航空券だったので
経由先としては、ロンドン、ローマ、パリ・・・と
日本航空が直行便を出しているヨーロッパの都市すべてが選択肢となった。

最後までスイスの学校のサマースクールかECマルタのサマーキャンプか、
で悩んでいたので(娘の留学先)
どちらにしても便利なフランクフルトにしておいた、というわけだ。

さて、フランクフルトからはスイスのドイツ語圏やフランスのアルザス地方は
さほど遠くない。
そこで、3ヶ国ユーレイル・セレクトパス・セーバー(5日間)
を日本で購入してあった。

3ヶ国(ドイツ、フランス、スイス)を鉄道でまわる計8泊の旅だ。

最初の宿泊先はハイデルベルグ。
きれいな町だと勧めてくれた友人がいたからだ。

フランクフルト空港からの行き方は2つ考えられた。
一つは、ルフトハンザのバスで。
もう一つは、空港駅から列車で、と。

実は、バスを使うつもりでいたのだが、
急遽変更した。
といってもなにか手続きがいるわけでもなんでもなく、
気ままなもので、わたしが心変わりをしたにすぎない。

マルタからフランクフルトまでの飛行機の中で
日本人ファミリーに出会い、
話をする機会があった。
聞けば、今は日本にいるが、以前ドイツに住んでいたという。
だったらドイツのことには詳しいだろうと思い、
「ハイデルベルグまではバスか電車のどっちがいいですかねえ」と聞くと、
即答で「電車」と返事が返ってきた。
それで、ユーレイルパスを使って移動することに決めた、というわけだ。

ところで、海外生活をした経験のあるファミリーらしく、
通関ではもっともすいている列にさっと並び、
私たちより40分は早く、バゲッジ・クレームへと進んでいった。

私たちより後にきた別の日本人ファミリーは
いったん私たちの列の後に並んだのだが、
「ここは時間がかかりそうだ」と言いながら、
別の列に変え、私たちを抜かしていってしまった。

私と娘は自分たちの要領の悪さに呆れてしまった・・・。
正確には”私の”要領の悪さだが。
早く通関を通りたいために他の列に移ったのだが、
それがすべて裏目裏目に出て、
かえって遅くなっていった。
言いたくないが、2回は列を変えた。
実はさらにもう一回、列を変えようとしたのだが、娘に止められた。
「ママ、いい加減にして」と。

はっきりと断言できる。
微妙に、いや、かなり決断が遅いのだ。
ようやく気づいたのだが、中国人らしき人にはやたらと時間がかかっている。
たまたまだったかもしれないが、娘も同じことを感じたようだ。
差別なのか、と思うほどだった。
そういうことを知っていれば、通関をさっさと終え、
もっと早くハイデルベルグに着けたかもしれない。

でも、きっと後に起こった、涙が出そうなくらいありがたかった経験は
この遅れがあったからこそ体験できたことなのだ。

きっと、ね。



---ユーレイルパスの旅始まる

2007年08月30日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強


さて、鉄道で移動することを決意。
ありがとう、ドイツに住んでいたという
日本人の家族連れさん、と心より彼らに感謝する

ユーレイルパスを使うのは去年に続いて2回目。
去年はヴァリデイト(パスを有効にする)
する駅がパリのリヨン駅だったのだが、ちょっと大変だった。
ヴァリデイトしてくれるチケット売り場が長蛇の列で、
予約していたTGVに危うく乗り遅れそうになったのだ。
結局、ヴァリデイトせずに乗車して、
検札の車掌さんが回ってきたとき、
予約券と一緒に差し出して、その場でバスを有効にしてもらった。

今回は、お気楽に予約などいっさいしていないので、
出たとこ勝負。一番最初に来た列車に乗ればいい。
ドイツのCEとICEは予約がいらないのが本当に楽。
しかも、パスを適用でき、パスさえ見せれば無料で乗れた。
(むろん、パス代を払っているのだから、無料というのは正確な表現ではないが)

確か、フランスのTGVは予約券がいった(誰か教えて、確か・・・・?)、
いや、満席が心配で日本を発つ前に予約しておいた。
パス(一等)があると割引された。つまり、パスがあってもタダではなかった。
ユーレイルパスを持っているお得感はドイツの方が大きい。

空港のi=アイ(インフォメーション)がすぐ見つかったので、
空港駅の行き方を聞く。
といっても、空港から出てすぐ、”左に行くと列車駅があるよ”
とマークの表示があったが、念のため。

嬉しいことに英語が通じた。

スーツケースを引きずっての移動だ。(もちろんカートを使えたが、
私たちは使わなかった)
遠かったらどうしよう、と思ったが、近くもないが遠くもなく
意外にすんなり移動できた。

駅に着いたら、DBとマークが出ている切符売り場に行き、
ヴァリデーションをしてもらった。
パリとは違って5分も待たなかった。
「ハイデルベルグに一番早い時刻に着く方法を教えて!」
と聞いたら、丁寧に写真(上)のような情報をプリントアウトしてくれた。
なんと、プラットフォームの番号がはっきりと書かれている。

こんなに、丁寧な情報をもらうのは初めて。
いつも、何番線かギリギリまで分からなくて大きな掲示板の前で
待ちぼうけだったのに、イタリアやフランスでは・・・。
ドイツさまさま、だ。

さて、問題は身近にあった。
娘がお腹がすいた、と不機嫌になってきたのだ。
でも、大丈夫、プリントアウトしてもらった紙に、
列車にはビストロが付いている、とある。
「電車の中にレストランがあるから、それまで我慢して」と諭す。
ところが実際、レストランに行かなかったのだ。

だって、40分そこそこで列車を乗り換えるんだもの。
娘をだましたようだが、
「30分しかないけど、食堂車に行く?」と聞いたら、
「行かない」と言うんだもん。

で、乗り換えの時のプラットフォームの移動が問題。
階段の上り下りがひと苦労。ちょっと憂鬱だった。
だから、小さいスーツケースを持ってくるべきだったのよ、
と後悔するのは目に見えていた。




が、本当に感動。
ドイツさまさまさま、もう一丁、さま、だ。

特大のスーツケースをベルトコンベアのようなゴムの上に乗せると、
自動に動き出してケースが運ばれていく。
最初は倒れるんじゃないか、とか
落ちたらどうしよう、とか思ったが、
スーツケースから手を離してもホラこの通り、
安定感ばっちりで運ばれていく。

娘もとっても軽いスーツケースなのだが、
おもしろがって乗せている。

次の列車はローカルなかんじで、30分もたたずにハイデルベルグに到着。

着いた駅にも階段には荷物用エスカレータがあり、
安定感ばっちりにスーツケースを運んでくれた。

優れもので、双方向に移動する。
下で荷物を載せれば、ベルトコンベアのような機械は上に向かって動き、
上で荷物を載せれば、今度は下に向かって動くのだ。

さて、駅に着いたら安易にタクシーでホテルに行こうと決めていた。
でも、ホテルの情報にトラムで駅や市の中心部まですぐ、
とあったので、最悪はトラムに乗って行けばいい、と2段構えの計画だった。

で、最悪な状況に・・・。
「えー、タクシー乗り場はあるのに、タクシーが一台もいない!」
タクシー乗り場にタクシーが待機していると思いこんでいた自分が恨めしい。
甘い小娘だ(なんて、図々しい)
甘いおばさん! だ。

ただ、目の前でトラム(市電のようなもの)がとまっては発車していく。
頻繁にトラムが走っている様子だった。
トラムしかないかあ、とタクシーを諦め、
トラムの乗り場に向かった。(2分もかからない、道路を渡っただけ)

ところが、何本も違う行き先のトラムが出ていて、何番のトラムに乗り、
何という名の停留所で降りればいいのかが分からない。
日本でコンピュータからプリントアウトしておいた
ホテルの場所を示した地図を広げ、
路線図と照らし合わせていると、
親切なおじいちゃんが頼んでもないのに、その地図を見て、
乗るべきトラムと降りるべき停留所を教えてくれた。
その名前のスペルまで分かるよう、地図に書きこんですらくれたのだ。


トラムを待つ間にすっかり日は落ち、町は暗闇に包まれていた。
う、心細い。おじいちゃんも違うトラムに乗り去っていってしまった。
そんなとき、親切そうな黒人のお兄さんが、
大きな荷物を地面におくと、自動販売機で
チケットを買おうとしているではないか。
思い切って、声をかけた。
「あの、すいません、もし、良かったら、切符の買い方教えて頂けますか?」
そうなのだ、買い方も分からなかったのだ。
お兄さんはとってもハンサムな顔をますますハンサムにして(?)
優しく私と娘の分を買ってくれた。
念のために地図を見せ、降りるべき駅を聞くと、
「同じトラムに乗るから、下りる駅に着いたら教えてあげるよ」という。

なんて優しいハンサムさんなんだろう。背も高いし。ほれぼれ。

決して、ハンサムだから声をかけたわけではない。決して!

実に優しそうだったのだ。
言葉が不自由な旅をしていると、優しい人かどうかが直感的に分かるようになる。
優しい人なら、言葉が通じなくても何とか助けようとしてくれるのだが、
そういう人かどうかの察しがつくようになってくる。

英語が通じなくても、ホテルの地図とスーツケースを持っていれば
誰だって何で困っているのかは想像できるはずだ。
英語ができるかどうかの問題ではなく、
優しさや心に余裕がある人に出会えるかどうかにかかっている。

ただ、間違ったことを親切に教えてくれることもあるので、
要注意。特にイタリアではこりているので、
ドイツでも用心した。
ホテルに電話して下りるべき停車地を聞き(おじちゃんの教えてくれた名前と一緒だった)、念のために中央駅から何番めかも聞いておいた。

ところが、「7番目で降りろ」と言われたのに、
いざ7番目の停車地点になっても
ハンサムなお兄さんは「ここだよ」と言ってくれない。
えー、どっちが正しいのぉー!

お兄さんの顔をみては、不安げな顔を大げさに見せると、
「ドントワーリィ」という。
優しそうなお兄さんを信じてはみるものの
頭はくるくると最悪の事態に備えて、作動し始める。
娘が平然としているのが救いだったが(泣かれたら大変)。


13番めの乗り場あたりで、「ここだよ」とお兄さんが言うので降りた。
降りた瞬間、不安は恐怖に変わってしまいそうだった。
ない、ない、ホテルらしきものが・・・。
ホテルの人は「降りたらすぐのところにホテルはあるよ」と言ったのに・・・。

さて、事の真相はこうだ。
7番めの停車所で降りられるトラムに乗らず、大回りのトラムに乗ってしまい
13番めの、でも同じ名前の、つまり同じ停車地点に降りたのだ。
ありがとう、あの親切なおじいちゃん、遠回りしたおかげで
本当にサスペンスな夜となった。

でも、今でもぞっとする。
あの優しいハンサムな黒人さんに出会えてなければ、
私たちどうなっていたのだろう、と。
トラムの運転手さんに地図を見せ、
着いたら教えてくれるように頼むしかなかっただろう。
う、待てよ、お兄さんも遠回りをするトラムを教えてくれたのね。

中央駅からホテルまで行けるトラムが
一種類だけだと思いこんでいた私も愚かだった。
2路線あったなんて。

え、で、降りてからどうしたって?
ホテルにもう一度電話して「トラムを降りたけど、どうやっていくの」と聞いた。
優しいホテルの人(これもハンサムなお兄さん)が
「ガソリンスタンドが見えるか」と聞いてきたとき、
「うん、見える」と答えて、ようやく正しい場所に降りられたことを
確認できた。その瞬間、どれほどほっとしたことか!

そして、ホテルのお兄さんの方が
大きなスーツケースを持った私たちを見つけてくれ
(そのくらい、降りた場所から近くにホテルはあった)
通りから部屋まで荷物を運んでくれた。

なんてなんて親切! 
娘も私も感謝の気持ちでいっぱい、泣きたくなるほどだった。

だって、そのホテル、エレベータがなくて部屋は3階だったのよ!
お礼にチップを差し出したら、受け取ってもらえなかった。
しかも、「お腹ぺこぺこ」と話すと
レストランのラスト・オーダーは終わっていたのに
簡単なものを作ってもらえるよう厨房にかけあってくれた。
「スパゲッティとかサラダなら作れるよ」ということになり・・・・。

娘が「じゃ、トマトスパゲッティ」と目を輝かせたのはいうまでもない。

私はサラダを頼む。
夕食にありつけたのは10時半ころだったろうか。

ハイデルベルグという町の偉大さを私は忘れない。
こんなに優しい人ばかりなんて・・・・。

ハイデルベルクを発つ日に
全く同じ場所で、あの親切なおじいちゃんに
もう一度ばったり会うことになろうとは、
その時の私と娘は知るよしもなかった・・・。



ハイデルベルグには優しさがいっぱいl


8月14日、やっぱりポール様に会いたい!

2007年08月29日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
最後にまた、ポール様ゆかりの場所に行きたい。
この願いをよくできた娘は本当に快く聞き入れてくれた。

「ママ! だったらラバトにあるホテルにすればよかったのに」
と付け加える事も忘れなかったが。
ラバトというのは聖パウロ教会や聖パウロの洞窟のある場所のこと。
もちろん、私もとっくの昔にラバトにあるホテルに
移れないものかと考えた。
でも、ホテル自体が見つからなかった。
(逃しているだけかもしれないが)

娘は既にECマルタ(語学学校)のカリキュラムの中で、
イムディーナには連れて行ってもらっている。
でも、ラバトには行かなかったというのだ。
けしからん。
ポール様を無視するなんて!

そこで、昨夜、海辺のトランポリンで飛び跳ねすぎて
せっかく治ってきた足が再び悪化してしまった娘とラバトに向かった。

足の痛い娘だからして、私としては気が引けたが。
お祈りをたっぷりとしておきたかった。

さて、写真はその教会横に立つポール様(聖パウロ)の銅像。
なんと神々しい。

え、何を祈ったかって?
そりゃ、娘の足が早くなおりますように、て。

それから・・・・。内緒。

さて、気が済んだのでラバトからヴァレッタへと
向かったのであった。
というのも、娘がECマルタで連れて行ってもらった
ヴァレッタにあるショッピングセンターにもう一度行きたがったからだ。

え、そんなショッピングセンターどこにあるの?
と私の方が娘に聞く。

もちろん、娘もはっきりと場所は分かっていない。

でも、狭いヴァレッタのこと、その場所は絶対分かる!
と信じて向かったのであった。

そして、やはり見つけることが出来た。
何も買わなかったのだけれどね。
ショッピングセンターといっても、
とても小さい。それが、本当にヴァレッタらしくて好感が持てた。

-------マルタ島、最後の晩餐

2007年08月29日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強


マルタ島最後の食事にふさわしい、レストランを探せ!
ヴァレッタのメイン通り(Republic Str)
をきょろきょろしながら娘と歩く。

マルタならではのものを食べておきたいなあ、
と思っている私の横で、娘が
「ママ、トマトスパゲッティのあるお店にしてね」と言ってきた。
子連れの旅では食べてもらうことに意義があるので、
あまり偏りは気にせず、
毎日食べたいものを食べさせている。

その結果、彼女は連続4夜、トマトスパゲッティを食べることになった。
親として「ママが野菜系を頼むからそれもちゃんと食べなさいよ」
と条件を出すのも忘れない。

ピザの専門店があったが、それでは2人の要求は満たされない。
すぐそこにシティ・ゲート(出口)が見えてきて・・・、
レストランはもうないのか、と諦めた瞬間、
あったーと嬉しくなったのが、この写真のレストラン(上)。

高い天井が、気に入った!
と娘と目を合わせて、即決して入る。

もちろんエントランスにはメニューも出ていたから、
スパゲッティがあるのは確認済み。

「マルタ伝統の料理」という項目もあって、
母と子、2人の要望通り、胃袋は満たされるに違いない・・・、
そう思って嬉しくなった。

とっても優しそうなお兄さんがメニューを持ってきてくれた。

メニューの「マルタ伝統の料理」の箇所を見る。
ビーフ・オリーブ、これはもう食べた。
マルティーズ・サラダ、これも食べた。
え、食べてないのは
ウサギの肉とローストチキンだけかあ、
うーん、ウサギは駄目だろう、そんなことを思っていると。

決めてないのに、お兄さんがオーダーを聞きに来る。
こんな時、小心者で、ついテキトーに頼んでしまうのが情けない。
客なのだから、えらそうに
「まだ、決めてないから、後でまたきておくれ」と言えないものか・・・。

とっさに、「ローストチキン」と言ってしまった。
あ、野菜を娘に食べさせなければ、と思い出して、
「野菜はついてますか?」と聞くと、
「ついているよ」というので安心して頼む。
マルタでは付け合わせに野菜もたっぷりとついてくる。
それを知ったとき、本当にうれしかった。

娘にはメニューになかったが、
「トマトスパゲッティはある?」と聞くと、
大抵のお店はメニューになくても手抜き料理なので「いいよ」と
作ってきてくれる。

まるで、ケチャップを混ぜただけのようなスパゲッティが運ばれてきた。
文句は言えまい。
でも、娘は美味しい、と満足している。
どれどれ、と私も食してみたが、本当に美味しかった。
味はちゃんとしていた。
見た目ではわからないものだ、と反省した。

さて、待ち遠しい、私のチキン。
それが・・・・、




これであった。

おー、どうしよう。

私はひるんだ。北京ダックのようなたたずまい、いや、お姿。
私は美味しいことが分かっていても北京ダックのお姿が苦手。
きもちこのように北京ダック系の有り様だったので、
肉にナイフを入れるのに勇気がいった。

日頃娘に「好き嫌いはよくないのよ」なんて言ってきた自分を呪った。
母の威厳(もうないか)を保つため、頑張った。

娘が協力してくれた。食べるのを手伝ってくれたのだ。
ポテトフライだけだけどね。

さて、味は? というと
チキンと一緒に、お兄さんが持ってきてくれたマスタードのおかげで、
「よかった味がする」という味だった。
しかも、そのマスタードが初めてのテイストだった。
なんというかちょっとコンソメ系な味付けがされていて、
美味しかったのだ。救われた。

今となっては比べようもないが、
ウサギの方がよかったのかも・・・・。

お店の隅にはビリヤードやバーがあって、
地元と思われる人たちがくつろいでいる。

天井が高くてすごく気持ちいい空間なのに、気取ってなくて、
値段も実に安かった。

文句は言えまい!
美味しいマスタードに出会えたのだし。
と、支払いのレシートを見て、
どうにかこうにか「最後の晩餐」を満足することができた。


8月13日、ゴールデン・ベイへ

2007年08月19日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
ブジッバでの滞在を決めたとき、
もちろん娘のサマーキャンプの滞在先に近いことは第一だったが、
当てずっぽというか、地図もろくに持ってないので
ネットでホテル情報を探っていく内に
ココがいいかな、と何となく決めていった。

ガイドブックに掲載されるほど、メジャーな所ではないので、
きっと辺鄙で不便なところだろう!
とある意味覚悟していた。

ところが、何という幸運な誤算だろう。

マルタ島で最も美しい浜辺の一つと言われている
ゴールデンベイまでバスで20分。
とてもアクセスがいいことを後になって知った。

であるから、
娘が帰ってきたら、絶対2人でゴールデン・ベイに行こうと決めていた。
娘は足を打撲して痛そうにしているが、
泳ぐときは痛くないので、提案に乗っかってくれた。

夕暮れ時に砂が金色に輝くことがあることから
ついたというゴールデン・ベイは
夕暮れを待たなくても充分金色に輝いていた。

お昼過ぎについたので、既に浜辺は人でいっぱい。

デッキチェア2つとアンブレラを借りることにした。
6.5マルタリラなり。(約2600円)

チェアは穴が空いているし、アンブレラはコマーシャルが入っていて
あんまりおしゃれではないが、まあ、横たわれて日影になるのなら
よしとしよう、と諦めた。

さて、海もかなりの遠浅で安心度満点。
特に子連れにはありがたい。
朝、ブジッバで調達したボールで娘と海の中でのバレーを試みたが、
全然続かない。なんせ、風がふくので、まっすぐに飛んでくれないのだ。

で、諦めて、ボールの上にお腹を載せてどれくらい
バランスを取っていられるか、を競うことにした。
海上でのバランスボール状態だ。
これが腹筋に聞く感じでなかなかよかった。

浜辺はそんなに広くないが、赤みがかった岩肌に囲まれて
本当にきれい。
そこからコゾ島へのツアーや、コミノ島のルーラグーンへのツアーも出ていた。
ゴールデン・ベイとブルー・ラグーンを両方同じ日に楽しむのは
かなりスペシャルな一日となるかも。

でも、もういっちゃったもんね!
とゴールデン・ベイでゆっくりを決め込んだ。

娘もECマルタでブルーラグーンは行ったという。
「ブルー・ラグーンは平戸(長崎)の海よりきれいだった」と
娘が言ったので、
そうか、ニューヨーカーのおばあちゃんがブルー・ラグーンで
「こんなきれいな海日本にないでしょ」
と言ってきたとき、
つい大人げもなく、
「あるもん」みたいな張り合いをしてしまっとことを
密かに反省した。

ビーチで飲むビールは美味しく、
気持ちよくほほをなでる風と塩の香りに遠浅のきれいな海。
娘の楽しそうな顔。ああ、なんて幸せ・・・。

う、でも、何か足りないものがある、
夫だ。パパだ。

いつか、夫も一緒に来られる日がくることをマジに祈る私であった。
あるいは、私がお留守番で、パパが娘とマルタにいて、
ああ、妻がここにいたらなあ、と思ってくれるとしたら、
それもいいかも。

最悪なのは夫が妻のいない間に、ここぞ、とばかり
普段やれないことをしていることだろう。
例えば、美味しい焼き肉レストランに行く、とか。

そう、私の夫は妻と娘が旅行に出かけると、
必ず、特別お高級な焼き肉レストランに行くのであった。

待ってましたとばかり・・・・、いや、あまりの寂しさに
打ち勝つために。





-------友達になるって!

2007年08月19日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
娘は日本から持ってきた「スパイ・ガール」という本を
また読み始める。
デッキ・チェアに横たわり、
アンプレラが作る影の中で。

私はこっくりこっくりと眠っては起き、
顔の向きを変え、また寝入っていた。

すると突然の思わぬ訪問者が。
カワイイ声で娘に何やら言っていたようだった。

私は睡魔と闘っていて、ほとんど頭は働かない。
でも、娘の声ははっきりと聞こえた。
「ママ、この子と遊んできていい?
友達になろう、ていってきたから」と。

もちろん、「いいわよ」と答えて、また目を閉じた。
時々娘が帰ってきて、
「ママ、うちらのホテルなんて名前」とか
「このボールであそんでくるね、いい?」とかいっては
また、新しくできた友達のところへと戻っていく。

その都度情報もちゃんとくれるのは嬉しいが、答えるのは辛い。
つまり常に起こされたことになる。

最終的にそのカワイイ新しい娘の友達は
私のところにも来て、
そのお母様も来て、ついに住所を交換し合った。

マルタ島に住む人で、弁護士をしているというお母さんは
来年は「うちに泊まって英語学校に行けば」とか気楽に誘って下さる。
一人娘を持つ親はやはり一人娘を持つ親の気持ちがわかる。
お互いに遊ばせてくれたお礼をいいあった。

兄弟でもいれば、と思うのは子どもは子どもと遊びたがる、という事実を
いたいほど知っているからだ。

小さい新しいお友達は7歳で娘より3歳年下。
カワイイ声で、
「来年はうちに泊まれるよ」などと娘に言っている。
娘は英語を学んできたはずだが、反応しない。
「こたえてあげて、英語で」と言うと、
「イエス」とだけ話す。
なんだかこの夏の成果が不安になってきた。

もちろん、即成果を期待するのはせっかちすぎるのもわかっているが。
そんな私の気持ちを察してか、
新しいお友達のお母様が
「娘さんはとてもいい子ね。
うちの子がおしゃべりだからきっと話しているうちに
英語をもっとしゃべれるようになるわよ」と慰めてくれた。

マルタではマルタ語の他に英語もしっかり習うのだそうだ。
「娘も最低でも週3回は英語の授業があるのよ」というと
「それじゃ、足りないわね」とあっさりと言われた。

私は2人の子どもの写真を撮った。
娘が今日買ったばかりのボールを新しいお友達にあげると、
そのお友達も気に入って遊んでいたはずの
砂場セットをくれた。

さあて、夕方4時になって私たちは帰ることに。
新しい友人たちはまだ残っているという。

私たちが借りてあったデッキチェア2つとアンブレラを
そのまま彼女たちに使ってもらうことにした。

友情の証として・・・。
でへ、なーんて。

弁護士をしているというお母さんはデッキチェアの上に
エルメスの大きな鞄をドンとおいて、
デッキ代を払いたい、と申し出てきたが、
丁寧にお断りした。

単純にゆっくりと娘との時間を過ごしてもらいたくて
申し出ただけなのだから。

8月12日、セント・ジュリアンへ

2007年08月19日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
ほぼ、食い気に任せて今日は娘とセント・ジュリアンに行くことに。
というのはそこには日本食を食べられるレストランが最低でも2つあると
思いこんでいたからだ。

さて、でも泳ぐのも大切。
私は人前で着替えるのがはばかれるので、水着を下に着て出かけ、
娘は水着を持って出た。

さて、セント・ジュリアンのスピノーラ湾には
ハリウッドスターも訪れるらしい眺めのいいレストランがある。
そして泳げる場所もちゃんとある。

というか偶然見つけた。
(実はもっとスリーマよりの海で泳ぐつもりでいたが)
きれいな湾は穏やかに輝いて、
ついつい泳いでみたくなった。
そこは地元の人も楽しむ場らしく、
本の小さな砂浜しかないささやかな場所は
子どもが2,3人水の中で楽しんでいる。

人でごったがえす芋あらいのような状況にならないのが、
マルタのいいところだ。
(ところがあとで、セント・ジョージ湾沿いの浜辺は
若者でごった返しているのを知ったが)

娘も「ここなら鮫がこないよね」と妙なことを言って
泳ぐのを楽しんでいる。
海底に自分の影がうつる。
本当にきれいな水の中で、
手をあげると、海底のもう一人の自分も手をあげる。

気持ちよく浮くことができた。

ブルーラグーンで出会った、キャップをかぶって
泳ぐニューヨーカーのおばあちゃんの真似をして、
いや、参考にして、
いつのまにか、サングラスをして泳ぐ変な人になっていた。

だって、目の下のしわ、これ以上増やしたくないもん。


ところで、こういった地元民の集う場所は
ささやかすぎてシャワーすらない。
でも、なぜか泳いだあとすぐにシャワーを浴びなくても
気にならないのは水がきれいだから?
私が繊細じゃないってこと?

どっち?
どっち?

写真はスピノーラ湾の道路側に浮いていた船と
主人様に付きそう犬。

泳いだのはずっと奥の防波堤の先。

-------マルタで日本食

2007年08月19日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
娘のために「かあさんは夜なべーをして、
ラーメンを捜して回ったぁ」
なんて歌もなければ、そんなことも実際なく、
ヒルトンホテルを目指していたとき、偶然それを発見した。

階段になっている細い抜け道のはしっこに
ひたひたと風に揺れる
「sushi」「noodle」と書かれた旗を。
おおー日本食屋さんかあ、と感動したが、
いわゆる今風のバーの風情でカフェにもなっている。

なーんだ、と思ったが
娘がラーメン好きなので一度連れて行ってあげよう!
と母は娘が帰ってきたら、まず、ラーメンを食べに
連れて行ってあげようと思っていたのだ。

で、実現させた。

もちろん、期待に胸ふくまらせて娘は
chikin ramenと書かれてあった料理を頼む。
ふつう、メニューにそう書かれてあれば、
「チキン・ラーメン」が出てくるはずだ。

ふつう、はね。
ところがここはマルタ。地中海の真ん中。
飛行機で乗り換えて約15時間の地。
ああ、聖ヨハネ騎士団(貴族たち)が闊歩したところ。

やはり、文化は西から東へと伝播するものなのか。
東から西、となると何かが複雑に絡み合うものなのか。

実に前置きが長いが。
そう、ご想像の通り。期待はずれなものが出されたのだ。

しかし、あなたの想像もせいぜいここまででしょ。
まさか、そのラーメンにそばの麺が使われていることなど、
まさっか、想像できまい。

でも、ここまでならへえーですむよね。
その汁の中に、生のセロリとチャンサイまでが入っていると、
それは、もう気が遠くなり、めまいのする感じだろう。

幸いなことにめまいをするような繊細な娘ではなく、
お寿司のために出された醤油をスープに入れ始めた。
「何やってんの?」と私が怒ると、
「だって、臭いがイヤなんだもん」という。

どれどれ、と試食すると。
「オー・マイ・ゴット」

私が頼んだお寿司と交換してあげた。
むろん、私もそば麺でベトナムのフォーのつゆのような臭いで
でも実は醤油味なラーメンはきつい。

ひたすら具のチキンを食べまくった。
そのチキンの味はすこぶる美味しかった。
でも、ベトナム料理のような味。

さて、ウエイターのお兄さんが、自信がありげに
「どう、料理は」と聞いてきたので、
「あのね、これ、日本のラーメンと全然ちがうよ。
私たち日本からきたからいうのだけどね。
でも、チキンは美味しいね」
と答えておいた。
だから、正直、お勧めできない。
パーチャビルにある「Hugo」というレストラン・バー(カフェ)で
日本のラーメンを期待するのはやめよう。

ただ、写真のお寿司は「hot tuna maki」だが、
これはまあまあいける。

ホットなわけで、辛いが。
娘は鷹の爪を全部とって食べていた。
お代わりするほどの気に入りようだった。

さて、パーチャビルは若者の集う町。
店のすぐ前に巨大なディスコがあるので
夜中にぎわうのだろう。

若者な(自称でも、気分だけでも)あなたなら、
マルタで(安全に)ディスコに興じた後、
よいざましに辛いマグロ巻きといくのもいいかもしれない!

深夜バスが(期間限定のようだが)
ブジッバまで走っている。
もちろん私はディスコは体験しなかったが、

娘はECマルタで体験したようだ。

といっても宿泊したホテルのプールサイドで
夜みんなで踊ったという。

マルタではディスコはすこぶる健全な様子で
(ただ、中国人と間違われイヤな思いをした留学生がいるようだが)
ブジッバでも外から中が見える踊れるバーがあった。

そうそうブジッバには、社交ダンスもできる
野外ボールルームのようなバーもあって、
それを見学しているだけの人たちもいた。

驚いたのはカラオケもけっこうあったことだ。
音痴な声が通りに響いていて、ほんとうに開けっぴろげ。

とにっかく大人も子どもも夜遅くまで楽しんでいる。
大人といっても若いのからお年寄りまでのオールエイジという感じだ。

緩むにはもってこいの場所である。
何が嬉しいかといえば、安全性は高い、ということ。
もちろん、海外では注意を怠ってはいけないが・・・。


-------セント・ジュリアンで調達物質は?

2007年08月19日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
海外に行ってわざわざ重い本を買ってしまうやつ。
しかも、英語なので読む可能性ないのに・・・。

そういうアホなやつは時々いる。
それは、私。

しかし、そんなアホぶりが遺伝するなんて、信じられない。
娘がセント・ジュリアンというかセント・ジョージベイ近くの
ショッピングセンターで本屋を見つけ、
「ママ~、ハリー・ポッターの最新版ありますか、て英語でどう聞くの」と
聞いてきたときには、はあーと呆然となった。
まさか、買いたいわけじゃあるまいなあ、と思ったら。

しっかりそういう時は英語も通じて、手にハリー・ポッターの
分厚い本を既に袋から出して、ニマニマしながら戻ってきた。
相当嬉しそうだが、
一応、私が水をさす。
「英語の本買っても意味ないじゃん」
でも娘は
「日本語に訳す人が訳すのが遅くて、日本での発売は来年になっちゃうんだもん」という。
でも、翻訳本を待った方が自分で訳して読むより、早く読めるはずだが、
そういうことはうまく考えられないらしい。

でも、母が(私が)
「ああ、私のPCに翻訳機能があるからそれ使ってみたら」とアドバイス。

早速その晩、娘が翻訳機能を使って訳している。
それによると、最初の文がこういうことになる。

「2人の男性は、(彼、それ)らが、我慢した一秒間のわずかな、月明かりのlaneで非常にまだ、お互いの胸に向けられた魔法の杖が、それから、お互いをrecoginisingするという状態で、数ヤード離れていて、どこからともなく現れました」とへんてこりんな文が画面に表示された。

いやあ、翻訳家はだてに翻訳家として生計を立てているのではないのである。

PCの翻訳ソフトの頭脳をはるかに超えた人間による名文の
「ハリー・ポッターの第7巻」を私は期待して待っていたい。
本来娘こそそうするべきであるが・・・。

娘いわく、
「誰が最後に死んじゃうのか、早く知りたい」のだそうだ。
だったら、最後の方だけ訳せば、という母に
「最初から読まないとつまんないじゃん」という。

娘が本気で英語を訳しながら(翻訳ソフトで)読むつもりで
いることに、不思議なたくましさを感じてしまった。(ちなみに607ページある)

さて、写真はその本屋の前での娘の写真。
お洋服も帽子もすべてがマルタで買った物。
洋服の総額(帽子含む)2000円くらいで、本代が4000円くらい。

何かがおかしい、と思うのは私だけ?