神功皇后の母は天之日矛(あめのひぼこ)の子孫・葛城高顙媛です。葛城氏は、能にも演目能 「葛城」 があったり、一言主神に関係があったりします。
また、アメノヒボコは、幾つかの逸話から敦賀駅の銅像、敦賀の名前の元になったツヌガアラシトとおそらく同一人物のように思われます。
その「アメノヒボコ」について、次の話があります。
『日本書紀』によると、天日槍(アメノヒボコ)は新羅の王子であるが、弟に国を譲り、父の祖国を訪ねて渡来してきたとされる(朝鮮の歴史でも、新羅の第4代の王は日本より婿となったと記述されています)。
以前、神武天皇について調べた時に、神武天皇の兄は新羅の王となった話がありました。
太古は今より国境の意識はなく、その国で権力争いや後継ぎ争いに負けたらお隣の国へ逃れることはあったのかもですね。
新羅は、三韓征伐で神功皇后が征伐し鉾を立てる話が古事記にありました。それだけ、日本と新羅は太古から因縁があるということでしょうか。
また、天日槍が持参した宝物の1つに「胆狭浅の大刀(いささのたち)」があります。その、イササは、気比神宮の御祭神で応神天皇と名前を変えた伊奢沙別命(イザサワケ命)のイササと響きが同じです。
気比神宮御祭神イザサワケのイザサは天日槍が持参した宝物のイザサから名付けられたのかもですね。
気比の神様が名前を応神天皇と交換したということは、元は神功皇后の息子応神天皇が新羅に縁のある宝物イササの太刀のイザサを、名前にもっていたことになるのでしょうか。
神功皇后の子、応神天皇が敦賀(角鹿)の気比神と名前を交換したり、
敦賀は新羅からの渡来人ツヌガアラシトの名前に縁があったり、
ツヌガアラシトはアメノヒボコと同一人物だったり、
アメノヒボコは神功皇后の祖先にあたる御方だったり、
気比神はアメノヒボコが持参した宝物「胆狭浅の大刀(いささのたち)」の名前に似たイザサワケという御神名だったり、
なんだかクルクル頭がまわりますね。
ツヌガアラシトは、新羅を捨て、日本にくるわけで、新羅人とされていますが、実はルーツはもう少し別なんじゃないかと思っています。
話が長くなるので、それではまた後日😊
つづく