大きな神社に諏訪神社があるのはよくみかけるのですが、境内の右奥にひっそりとある冨士の諏訪神社の場所は、まるで異空間の雰囲気すらしました。
諏訪神社の参道脇の木々は、神社内では高天原と呼ばれる場所。
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天気は快晴。空気が澄んでピンとはりつめていました。姉と2人で諏訪神社で参拝したあと、参道の片側からモワモワっと煙のような霧がでてきました。
そちらをみると木の隙間から出ていました。
「お姉ちゃん、煙、、?、御神気?凄い!?」
と目をまん丸くしていると、次第に光が差し込み、あっと感じるほどの光景を目にしてしまいました。
ツアーなのに、この場所には参拝客が殆どいませんでした。ありがたい光景です。
何ものかがおわします。
有り難い。
感謝。
無限に広がるエネルギーが、光に助けられて意思を持って顕れたような、そんな空間でした。深い感動を覚えました。🥹
ところで、諏訪神社については、興味深い話を教えて貰えました。拝殿の向かって右手には、地元のお祭りである「吉田の火祭り」のお神輿が展示され、左手には縁起の良い赤富士神輿があります。
地元のお神輿は明神神輿というようです。
明神神輿
お祭りの際、明神神輿を赤富士神輿は追い抜かないようです。神様が祭りの間に乗っておられる明神神輿の明神様こそ、タケミナカタ神。諏訪に坐します神様なのですよと教えて頂きました。
私のブログでも何度も登場しました太古国譲りで諏訪から出ないようにとされた神様です。
もしかして、先程の諏訪神社の御神気、は、、、、、。
いずれにせよ、有り難くて胸がいっぱいになりました。🙏
吉田の火祭りについては、実は、上吉田地区等では、諏訪神社に関連した火祭りの起源伝説が伝えられています。
長野県の諏訪大社では諏訪明神が蛇体となって現れるとされますが、上吉田でも蛇に関する伝承があり、火祭の神輿は神社を発って上吉田の上宿から下宿に下りて行きますが、このとき神輿とともに白い蛇神や龍神が上吉田の街を上から下へと下って行くといわれます。
そのため、御師(おし)の家では、火祭り当日の朝に、屋敷地内に流れる川を清掃し、蛇神の通りを迎えます。これを「白蛇様のお下り」というようです。
火祭の時は白い蛇が東の川を下り、黒い蛇が西の川を上るから、祭りの時には川を使ったり汚してはいけないといわれています。
諏訪のご祭神である建御名方神が戦いの最中この地に寄った際、夕暮れ時になったため、建御名方神を迎えるべく明るくするために地元の人々が松明を燃やしたのが起源だと言っていました。
浅間神社のご祭神である木花咲耶姫が、一夜の交わりで出来た赤子を瓊瓊杵命に疑われ、自らの証をたてるために、燃え盛る産屋のなかお産に挑んだところ、無事自らの子供を産んだことに由来して火を焚くようになったという逸話も、吉田の火祭りにはあるようです。
これは記紀神話の後付けだと仰っていましたね。。。😌
おそらく、太古の建御名方神の人気は物凄かったのですね。地元に残る伝承、お祭りでも建御名方神の御神体をのせた明神神輿を赤富士神輿は追い抜かない。全国にある神社は、八幡神社の次に多いのが諏訪神社です。
諏訪から出ないようにとされた建御名方神や出雲の国譲りのストーリー、太古の人に愛された国津神のエネルギーをこの地にも感じました。
建御名方神は諏訪の御柱祭に行ったことから非常に心惹かれる神様の一柱です。
火祭りの起源の逸話も、時代の流れや勢力と関係があり、どれを受け取るかは、受け手側の感性により様々ですね。
8月26日の吉田の火祭り❤️🔥🔥🗻🔥❤️🔥、があるようです。