応神天皇、仁徳天皇2代にわたり名前を交換している。これは一体何故だろう?から疑問が疑問を呼びました。
3貴神とされる、天照大御神、月讀尊、素戔嗚尊がいます。
その月読尊、直ぐ神話から消えてしまったのは何故なのか。
秦氏は、沢山の技術を日本にもたらします。この秦氏、日本書記の第14代「仲哀天皇」の第8年に,弓月国の王が,日本の朝廷を公式訪問し、養蚕の蚕の種を献上したとあり、この弓月国はユダヤとの関連があり、これが秦氏のルーツなのではないかと言われています。そして、弓月の月も気になります。
土佐の長宗我部氏は自らの祖を秦氏と言っています。長宗我部氏の末裔の方を知っており、尊敬しています。
神話で様々な逸話を持つツヌガアラシトなんかは、新羅王とありますが、さらに元を辿るとルーツは新羅だけではないかもしれません。わかりませんが。
ツヌガアラシトの角を見たとき、モーゼの角を思いました。海を割ったとされるモーゼは約束の地、東の国カナンを求めて大移動をしたユダヤ人です
海を割るモーゼ
角のあるモーゼ
海を渡ってきたツヌガアラシト(アメノヒボコ)
ツヌガアラシト(アメノヒボコ)を祖先にもつ神功皇后の子は応神天皇。その子は仁徳天皇です。その代に、弓月国からきた渡来人は、秦姓を賜り、雄略天皇の代に太秦の地を賜ったとあります。
ところで、秦氏のもたらしたものが、今をいきる私達の生活の中に深く浸透しています。
パワースポット「千本鳥居」で知られる京都市の伏見稲荷大社は、全国に約3万社あるお稲荷さんの総本宮ですね。奈良時代初め創建されるのですが、秦伊呂具が創建します。秦氏の氏神です。
伏見稲荷大社発行の『稲荷百話』に、秦伊呂具は、山城国葛野の県主(県の首長)賀茂久治良の子との記述があるようです。
賀茂氏には修験道の祖役小角がいます。役小角の本から、役小角が生きた時代が描かれます。新羅、唐相手に戦った無謀な白村江の戦いで、男は駆り出され、働き手を失った女、子供、年老いた人々には、さらなる徴税です。朝廷は百済からの渡来人で固められる有様。
乙巳の変の後の更に堕落した、このような世の中に怒り、再び賀茂氏の大王、饒速日命の国を復活、再建したいと、役小角は日本中に張り巡らされた仲間のネットワークを使い、草の根運動のようにじわじわと傀儡政権を倒そうと奮起する話がありました。
賀茂氏も元は渡来人。饒速日命を祖と仰ぐ一族は、日本各国にその当時はいたのです。饒速日命は、実は秦氏だったのでしょうか。(真相はわかりませんが。)
『山城国風土記』逸文によると、賀茂氏は神武の東征を先導した人物です。秦氏の創建した伏見稲荷大社は、ヤマト王権と天皇家が重視した「上七社」の一つです。同じく、賀茂氏の氏神を祀るのが京都市で最も古い神社の上賀茂神社と下鴨神社も、上七社のようです。
このように、秦一族は今に残る代表的な神社の数々を創建しています。賀茂氏の神、迦毛之大御神は類稀なる高い霊験が認められた神で、往古より「復活再生、甦りの神」と崇められます。ツヌガアラシトや、饒速日命の神宝にも、死者の復活を暗示するような宝がありました。
賀茂一族は、天体観測や薬学の知識、製鉄や農耕の技術、馬術などにも長じており、現在、全国にカモ(加茂、賀茂、鴨等)の名がつく郡や市町村は全て鴨氏の移住地であり、争いを好まず平和を重んじた鴨一族は、その優れた製鉄や農耕の技術を活かして各地で貢献したと伝えられているようです。
その賀茂氏が崇めたのが饒速日命。饒速日命を御祭神とする元伊勢籠神社の宮司さんは、海部氏です。関係あるかどうかは解りませんが、新羅語で「ハタ」とは「海」のことのようで、半島から海を渡って来た人の意味が込められているようです。
籠神社には亀に乗った浦島太郎の像があります。また、奧宮である眞名井神社は、もとは社紋が六芒星だったようです。(今は変えられていますが。)
稲荷は元々「伊奈利」だったようで、『山城国風土記』逸文には、
伊奈利と称するゆえんは、この地に古くから住む秦氏族の伊呂具が餅を的にして矢を射ったところ、餅が白鳥と化して飛び立ち、山の峰に降り、そこに稲が成ったので社名とした、とあるようです。
餅や白い鳥から、私は月をイメージしてしまいます。
月と兎について(兎の餅つき)
ところで、朱い鳥居⛩は日本の原風景。伏見稲荷の千本鳥居は、外国人さえも魅了してやみません。その鳥居を秦氏が建立したのは、人が自然に遍く坐します神々を感じるアンテナ(角、本当のミミ)がなくなったからかもです。ここですよ、と形で示すことが神の地を示す目印。
そのような自然そのもののエネルギーの高い場所は、自然があれば至るところにあるものの、現代では目印があった場所さえ廃れたり壊されたり。
縄文時代、それは人は争わず和し、自然と一体となり分離意識がない時代。そんな時代には、目に見える、目立つ鳥居は要らなかったのかもですね。遍く豊富な氣の中で、食の恵みに預かりながら、命を繋ぐ、それ自体、神のなせるわざですね。命を大切にしたいです。
日本の太古からの神社や仏閣、また仏像も、誰にでもわかる形で神仏の宮や神仏を表したのは、人のアンテナの退化からかもですね。人の内なる身体に実は宮殿があり、そこに誰しも自分の神を宿しているんです。このことを、ただ外にもわかりやすく建立している、、だから、ヤオロズノ神からは自分の内を見つめなさいと、他人の内も認めなさいと言われている、、そんな風に感じました。
気の良い人、それは、内なる神の宮殿を大切にしている人なのかもですね。☺️