小野篁について書いています。昨日の続きです。
篁には様々な逸話が残っていますが、中でも沢山語られるのが、昼間は朝廷で官吏を、夜間は冥府において閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説です。これは、平安時代末期から鎌倉時代にかけての説話集に多く残されています。
イメージでは、この閻魔様の近くで補佐をしている御方です。
小野篁は昼間は人間世界では多方面で多才でしたが、夜は地獄の閻魔大王を補佐していたとは、善悪の視点に我がなく、遣唐使の逸話からも、実は人間世界のしがらみから解き放たれた心の持ち主だったのかもですね。
冥官小野篁についての逸話を紹介します。
冥府(地獄)との往還には井戸を使っており、その井戸は、入口は京都東山の六道珍皇寺(死の六道)と出口は京都嵯峨の福正寺(生の六道、明治に廃寺)にあったとされます。
篁には、六道珍皇寺を創建したとの説もあるようで、六道珍皇寺旧境内から実際に井戸が発見され、この井戸を「黄泉がえりの井戸」と呼称しているとか。
六道珍皇寺の閻魔堂には、篁作と言われる閻魔大王と篁の木像が並んで安置されているようです。
また、矢田寺(金剛山寺)の満米上人について、篁が閻魔大王に菩薩戒を授ける人物として紹介したとされており、
この物語は「矢田地蔵縁起(奈良国立博物館)」として描かれています。
この伝説に基づき、京都矢田寺の梵鐘を「送り鐘」と称して六道珍皇寺の「迎え鐘」と対の存在としているようです。
また、紫式部との逸話も描かれます。
京都市北区にある篁のものと伝えられる墓の隣には、紫式部のものと言われる墓があるようです。
これは愛欲を描いた咎で地獄に落とされた式部を、篁が閻魔大王にとりなしたという伝説に基づくもののようですね。(源氏供養)。
厳しいですね。閻魔大王。。。。
ところで、個人的には小野篁のエピソードで足利学校の創始者という話に惹かれ提出ます。
1549年には宣教師のフランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されました。日本の「学校」「学び」はここから始まったといわれ、大変貴重な場所のようです。昔、知人の学校の先生がこちらに息子さんに連れて行ってもらい非常に感動したと言っていました。
学びって、何をいうのかな、難しいな、と個人的には思います。教科偏重より学問を学びながらもその背後に、目標にむけてコツコツやる克己心とか、知らない世界を広げる探究心とか、優しい心を育てるとか自然に身につけることが理想です。
理想と現実のはざまで様々な子供の世界が学校で繰り広げられます。学校という枠が必ずしも学びの場なのかはさておき、何でも良いので、学びを通して無限の可能性を信じて子供達に幸せになって欲しいなと思います。
足利学校の大成殿には、日本最古の「孔子坐像」と、「小野篁像」が鎮座しています。孔子は中国古代の思想家で儒教の祖で、小野篁は儒教にも通じ、様々な分野で大変優れていたことから「学問の神様」と言われます。
少し後の時代の菅原道真公も学問の神様ですが、小野篁も同じく学問の神様です。菅原道真は梅の花と結びつきますが、足利学校にも梅に纏わるエピソードがあります。
足利学校の孔子廟には「不断梅」という木があるようです。花が散って実がなり、普通の梅の実が黄色く熟して落ちる頃になっても青いまま木になっているので「落ちない梅」と言われているようです。
そして、足利学校には、古くから伝わる「字降松(かなふりまつ)」の伝説もあります。
読めない字や意味のわからない言葉などを紙に書いてこの松の枝に結んでおくと、翌日にはふりがなや注釈がついていたというお話です。
この「松」には「神を待つ」意味があるとされています。松は食べても良し❣️
「落ちない梅」と「神を松」とかで、受験生には人気だとか。縁起を担ぐことも時には必要かな☺️
『野馬台詩(歌行詩)』の注釈によれば、竹から生まれたのはかぐや姫だけでなく、小野篁も竹から生まれたという話もあり、篁(タカムラ)の漢字のつくりは、竹と皇ですね。🎋。竹のように真っ直で、かぐや姫のように月から来たような、どこか人間離れした方だったのかも。
松竹梅揃ってなんと縁起が良いです。
晩年には一本の桜🌸の大木から京都六地蔵を彫り上げて大善寺に安置した話もあります。
神様を松
落ちない梅
竹のように真っ直ぐに
そして、桜🌸咲く
受験生は、追い込みのシーズンですね。体調を整えて、自ら困難に向かい合う過程で、後悔しないように自分を信じて、やりぬいて欲しいです。
顔晴れ、受験生😌