木材チップが年々腐葉土化することを期待して(将来、余分な肥料を必要としないどころか、栄養豊富に実が育つ)苗植えに工夫した10本の2年生の朝倉山椒だが、果たして、本当に、どこまで育つのか、一種の「かけ」である。
農業といえども、立派な事業であり、事業である以上常に「リスク」が伴う。
「80歳で山椒農家になる」という目標は、この年であと5年半ほどで「会社社長になる」というのと同義だ。今、40年前の34歳なら世間も認める立派な目標だが、74歳では「ぼけ老人の戯言」に過ぎないと行政も信じない。
それでも、まあ、暇を持て余す老人が、余計なコロナやウクライナの心配をするより、樹木の剪定や育て方に気を配って、足元の雑草や石ころ集めに日々を過ごすことの方が、健全な気がする。
時代は農山林漁業が、近代的な技術や資材を背景にして大きな変革発展期を迎えている。水田耕作や畑に人工衛星画像を活用し、ドローンで種まきや肥料の散布をするし、完全な工場生産でトマトやイチゴやレタスを栽培する時代。
今はその入り口にいる。空飛ぶ車に草刈りロボットも当たり前になるかも知れない。まあ、明日が分からない老人の知ったことではないが、こっちは自分が出来ることをするばかり。若者が1日で出来ることを、こっちは、仕方がない。1週間かかる作業も多いし、頭もフル回転しなきゃいけない。
忙しいのだ。