モノと心の独り言

コミュニケーション/メディア/コミュニティ ココロの建築家になりたいと・・・ 

”思い入れる”団塊世代、”はまる”消費世代

2006-04-20 08:17:56 | 基本的なコト
  参照 ワールドカップとタコツボ社会
      意識社会・・・

4月19日のNHK総合クローズアップ現代での、
”団塊世代の音楽ブーム”とやらを観ていて気がついのが、
”思い入れる”団塊世代と”はまる”消費世代との違い。

TVに映る団塊世代が第二の青春を迎える不安のなかで、
いまさら、ナツメロの一部である70'sを引き出してくるのは、
あの時代・社会とともに共有していた気分を取り戻したい、
この30年、役割を果たすために、適応し、硬直してしまった身体・気分を
ほぐしてゆきたいっていう、感じらしい。

それは、たんなる"癒し”のマッサージでは、取りきれない
会社的役割という舞台で演じ続けてきた硬直をほぐす行為、
”ご苦労様”なんて、終わりのコトバなんか聞くまえに、
青春時代に親しんだ音楽の振動を浴び・自らのリズムを思い出し、
自分の足が踏み出し、第二の青春メロディーを絞りだす。

仕事帰り、ネクタイ姿で歌い・演奏する姿を見ると、
企業・組織・職業に思い入れてきたその心情を、
引退前にから解しにかかるのは自然の姿だ。

ただ、博報堂のゲストが団塊世代の暮らし方を明るく話すのだが、
歴史始まって以来、先代の遺産継承をする世代、
また、第二の青春も、一生懸命ガンバッテ
なにさせようとするのか?
そりゃ、”女房酔わせて、なにしようって”いうのとは、
どうも違うような気がする。

企画・広告代理店的な消費量拡大だけでなければ、
人間ややりたいことがあれば、結構元気で暮らすから
医療・介護・福祉費が減る?
少子化の中、こんどは地域社会や広域社会テーマでの働き手へ変身してもらう?
もうちょっと概念的に、動物的生存から、人間的生存の社会へ?
でも、”マズロー”の欲望五段階の名誉欲って、
結局社会的な支配力・影響力の誇示みたいだったし、
団塊マーケットという世代でくくること自体、
近代モデルっぽいな。

消費世代の音楽って、
思い入れではなく、はまったり、ぬけたりする、遊びのようなものなのだ。
音楽というジャンルだけでなく、
ダンスであり、アートであり、ストリート・カルチャー自体が
暮らし方の気分だろう。

共通の社会意識があった時代なら、思い入れ込んでも良かった。
しかし、多元的な社会意識で生きてゆくには、
はまり込んだら、たんなるオタク。
他の世界との関わりを失わない程度の、
ゲームプレーヤーとしての冷静さが、必要なのだ。

世界が一つだった時代の筋の通ったシニアは良い。
しかし、世界が多様ではなく、多元だと解ってしまった団塊が、
無邪気に思い込んだ振りをしても、
実体は違うんじゃない?
「こうじゃなきゃいけない」という思い込む必要な、ないんだよ。

久しぶりに抱えたギターで、
動かない指や、続かない息に身体を感じた後、
「どうしたい?」
(アンチエージングや、ステータスな大人貴族を演じるおバカじゃないよねー)


アーバン・トライバル・ライフ





最新の画像もっと見る

コメントを投稿