コトバが、自己中心に組み立てられるメディアなら、
描画もまた、その自意識を映し出すメディアだと思う。
同じ人を、写真で写すのと、イラストで描くのでは、
意図の表れ方は、大きく違う。
コミックは、その内的な世界の描写に強いだけ、
書き手の自意識が、読み手の自意識に迫ってきて、
精神的なメディアだと感じられる。
写真は、それ自体が物理・化学の結果である。
何を、何時を、どのフレームを、どこに焦点 . . . 本文を読む
コトバは、コトバの歴史があって、
いろいろな分野や立場で語られた地層がある。
それが、自分で回転を始めて、
自分だけのコトバとなっていったり、
コトバの自己増殖で拡散していったり、
コトバの夢の島に、立ち上がることもできそう気までする。
だけど、コトバは、対象を共通にする人と人を繋ぐ媒介となるのがその役割だろうから、
モノや自身との手がかりとしてのコトバも、
その関係を示す他の手がかりがなくな . . . 本文を読む
コトバも画像も
それ自体が、自律的に動いているわけではない。
世界の始めにコトバがあったわけではなく、
喜びや悲しみ、そして叫びが時を経て、コトバという媒介になったに過ぎない。
どちらも、対象と身体の関わりを、表現し、記録してきた。
イベリア半島やサハラ砂漠の洞窟には、描きつけた絵が残り、
身体には刻み付けた刺青や化粧がほどこされる。
それらを記すこと自体が、社会的な秘儀であり、マツリゴト(祭 . . . 本文を読む
コトバでは、共有できる筋道、論理があるけれど、
画像では、どうなのでしょう?
画像は、写真では、対象を機械的に写しているようでいて、
撮る人それぞれ、いろいろな見方、見せ方、見え方がある。
見た以上に写ってしまうけど、
見る側は、見たいもの・見えたものしか見ていないのが写真。
人間として共感できると思えること、
その環境・文化の中でししか見えてこないことも、沢山ありそう。
その画像が、歯車が噛 . . . 本文を読む
いろいろな出来事を、
コトバでとらえ、貯めこんで整えて、
語り、記してきたけれど、
まばたくようにシャッターし、
手指の操作でファイルにし、
一枚、一枚、モニターして眺めると、
画像が画像を引き付けて、
繫がりだす,語りだす。
デジタル写真はコスト無視、
どんどん撮って、貯めこんで、整えて、
写真もまた、一つのコトバとなってくる。
対象と画像との関係を、
知り合ってる人達との
. . . 本文を読む
夜明けの雲の広がりを、
ジェット機が、
飛行機雲で引き裂いてゆきます。
この夏は、体温を越える気温を何度記録したのでしょうか。
温度もまた、私たちの環境、
体内温度を自律させているといっても、
わずかな体外温度帯のなかでの命です。
30度も越えれば、思考回路の熱放射は、難しく、
零下に晒しても、収縮した脳内血管を破ります。
衣服から室内の冷暖房まで、
多層な”人口皮膚”みたいなモノでしょう . . . 本文を読む
個室の中で、個人の身体と同居するフィギュア
コミック、アニメ、ゲームのなかの社会的メッセージと
個人の眼差しが交錯して、
お互いの関係が始まります。
それぞれの妄想空間もまた
別次元で繫がっているように感じられ、
個体主義としての、共時代性へと拡がります。
しかし、繫がりを牽けば手を離す、
セックスにも闘争にも至らない
距離感のような繫がりかも知れま . . . 本文を読む
GREE NIGHIT のB1フロア、
同じメディア、仕掛けを使うということが共通項で、
いつもの仲間が集まったり、新しい出会いがあったりで・・800人余
私が異業種交流で青山の”人間舎”に通っていた1980年代が懐かしい。
人と会うことしでしか繫がりをつくれなかった時代だった。 . . . 本文を読む
9月12日18時過ぎから代官山で、
GREE NIFHT、10万人加入を目前にした前夜祭が開かれた。
GREEは、「友達の友達は、みんな友達に」という仕組みで広がっている
”ソーシャル・ネットワーク”の一つ。
この夜は、MSNメッセンジャーのプロモーションとタイアップして
クラブ会場を借り切ってのイベントだった。
. . . 本文を読む